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【人物伝】浅井一彦 ~ゲルマニウムに魅入られた、希代の研究者~後編

暗礁に乗り上げたゲルマニウム研究。
解決の糸口は「石炭」にあった。

前編はこちら↓

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ゲルマニウムを初めて生理作用に応用

石炭は、太古の植物が地中に埋まり、空気から遮断されて炭化したものである。浅井らの分析の結果、植物の木質部分が炭化した部分に特に多量のゲルマニウムが含まれていることが分かった。

木質部分には、地中から水分や栄養を吸い上げる組織が含まれる。つまり、石炭のもとになった植物が、生長の過程で地中からゲルマニウムを吸い上げていたということを示していた。
石炭中のゲルマニウムは、植物に元々含まれていたものだと予想した浅井は、次に様々な植物のゲルマニウム量を定量した。

驚くべきことに、ゲルマニウムは漢方として利用されるサルノコシカケなどのキノコ類や朝鮮人参、健康維持に重宝されるニンニク、細菌への防御機構の一つである藤の瘤(こぶ)の中にも含まれていた。

これらのことから浅井は、ゲルマニウムは生物の生体防御に何らかの良い影響を及ぼしているのではないかと考え、生物の体に対するゲルマニウムの有用性の研究に大きく舵を切ったのである。

◆◆◆

有用で安全なゲルマニウムをつくる

まず初めに、当時安価に手に入った無機ゲルマニウム(二酸化ゲルマニウム)を、放射線に当てたネズミに飲ませた。これにより、ネズミの放射性障害は回復することが分かった。
しかし同時に、骨髄や脾臓、腎臓に二酸化ゲルマニウムが蓄積し、毒性を発揮することも判明した。蓄積していた二酸化ゲルマニウムは体液に溶けることなく、臓器に沈着していたのである。


これに目を付けた浅井は、人体に安全な「水に溶ける」かつ「有機物」であるゲルマニウム化合物を作ることに腐心した。

約10年もの間、失敗続きの毎日だったという。

さらに追い打ちをかけるように、浅井の石炭研究は打ち切られようとしていた。天然ガスや石油による石炭からのエネルギーの置換が進んでいたためである。
浅井は疲弊した心身を引きずりながら日夜金策に奔走。研究の行く末を憂う日々が続いた。

そんなある日、ついに研究所員の手によって「水に溶ける」「有機」ゲルマニウム化合物——アサイゲルマニウムが完成した。この時の感動を浅井はこう綴っている。

人間は、歓喜の極致に達したときは、ただ深い沈黙だけがこれに応じ、熱い涙が両頬をぬらすものであることを、私はこのときはじめて知った。まさに法悦の涙である。

(「ゲルマニウムと私」より)

しかし同時期、石炭綜合研究所は25年の歴史に幕を閉じることとなった。
浅井も極度の疲労から、寝たきりになってしまう。
苦しみの最中、浅井は、完成したばかりで毒性も確かめられていないアサイゲルマニウムを大量に飲んだ。

驚くべきことに、この日から体調は見る見るうちに回復し、身をもってその力を確信したという。

そして1968年の日本化学会での発表により、アサイゲルマニウムは世間に知られることとなった。

浅井は私設の浅井ゲルマニウム研究所を立ち上げ、アサイゲルマニウムについて急性、亜急性、慢性、催奇形性など、念入りな毒性試験を実施、安全性を確認した。

続いて浅井は、アサイゲルマニウムをなるべく多くの人に届けるべく、「ゲルマニウムクリニック」※1を開業。医者の手による治験薬としての提供を始めた。

当時、ガンは体内の酸素不足が原因だと考えられていた。
また、アサイゲルマニウムを飲んだ人からは「身体がポカポカと温かくなった」、「血色がよくなった」等、多くの声が上がっていた。
これらのことから浅井は、「ゲルマニウムが体内で酸素の働きをするのではないか」、「血の巡りをよくするのではないか」、と仮説を立てた。

この考えがその後のガンへの作用性、ひいては現在も研究が行われている「赤血球の代謝促進作用」研究へとつながっていったのである。

※1. クリニックは現在、閉院している。

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受け継がれる「浅井スピリット」

1975年に株式会社となった浅井ゲルマニウム研究所では、それから50年以上経った今でも多くの研究が続けられている。

浅井は1982年に75歳(享年)で亡くなるまで、「私のゲルマニウム」と言って、アサイゲルマニウムの研究に惜しみない援助を行った。

今では研究所内にも少なくなってしまった、生前の浅井を知る人物によれば、" 街を歩けば人々の視線を自然に集める「気品に満ちた人」だった "とのことだ。
また、苦労を知っているからこそか、困っている誰かには躊躇せず手を差し伸べる、そんな人だった。

——人々の助けになれば。アサイゲルマニウムの開発・研究はまさにその思いの中で行われたのである。

研究所の法人化に当たって、浅井は研究所員にこんなメッセージを送った。



それは浅井が持っていた、「人々の健康や幸せのために、アサイゲルマニウムを使ってもらいたい」という願いの表れだったのかもしれない。

ーーー完ーーー

長い文章、最後までお読みいただきありがとうございました。2回にわたって浅井一彦博士のご紹介をさせていただきました!
興味を持たれた方、浅井一彦博士についてもっと詳しく知りたい方は、ぜひ浅井博士の自叙伝「ゲルマニウムと私」を読んでみてください。