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【エッセイ】願掛けの作法
ある願いがあった。
それは自分でつかみ取るたぐいのものではなく、どちらかというと(ある時期に)天から降ってくるたぐいのものだった。
それを願って数年経つ。ここまで天命は下らず。今年こそ、叶えたかった。
願って、祈った。日常の小さな出来事を兆候にこじつけて期待もした。
ほかにできることは、と考え少し身の回りを片付けてみた。それでも心は落ち着かない。
今のままならない状況になってからを思い出す。初めは伸ばしていた髪が、自分の手に負えない代物になっていた。このごろ気分が晴れない原因のひとつはそれだ。
髪を切った。今より少しだけ、軽やかだったころに戻れるような気がした。
人事を尽くして天命を待つ。
この言葉がこれほど身に染みる日が来るとは思わなかった。今年はいける気がした。期待して待った。
そして、天命は下らなかった。
人知れず結果を噛みしめる。
がっかりした顔をするほどの可愛げはないが、失望が全身からにじみ出ていたかもしれない。
日々はまた、同じようにめぐってゆく。
髪を切るタイミングを間違えたかもしれないと今になって思う。
願掛けの作法では、満願成就したときに晴れて髪を切るものらしい。
実は、先に切って既成事実を作ってしまおうという思いが少しだけあった。しかし、天は近道や抜け道を許してくれないらしい。
次の天命に向けて髪を伸ばすか。
いや、叶わない願望や手に負えない髪に振り回されるくらいなら、髪型くらい好きなようにして気分よく軽やかに過ごしていよう。
願掛けなどしない。やっぱり天命に向かっては、祈るほかにできることは待つことだけなのだと思い知った。
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