犬山城下ビール祭りと登録文化財群
2023年8月27日(日)4年ぶりに犬山城下のイベント"ビール祭"にてライヴ出演させて頂きました。犬山城下では犬山まちづくり様主催で年間通じ楽しい酒のイベントを開催されております。今回は素敵なシンガーの方にもご縁頂き本当に暑い中でしたがありがたいイベントになりました。
犬山城下の街並みは電柱を地下に埋めることによりより歴史的な景観が楽しめる状態になっております。またこれだけ集中して登録文化財の家屋・寺院建造物が所在する区域も珍しいのではないかと思います。 毎回新たな発見がある犬山城下、敢えて国宝の犬山城天守や茶室如庵でなく、今回は登録文化財の全ての家屋について書いてみたいと思います。
まず犬山市所有の旧磯部邸、こちらでは年間通じ様々なイベントが開催されております。登録文化財は主屋・裏座敷・土蔵・奥土蔵・物置の5棟で、江戸期より呉服商を営んできました。主屋は幕末の建設で緩やかなふくらみのある起り屋根(むくりやね)が市内で唯一現存しています、
続いては犬山城下の本町通りを北から順に、山田家住宅です。こちらは1891年濃尾地震後に箪笥商の住宅として建てられました。現在は山田五平餅店を営まれております。
続いてほぼ向いの井上家住宅。こちらは主屋の他間口から見る事は出来ませんが蔵も登録文化財です。明治初期1868年の建造で、当初は養蚕・製糸業を営みました。その後印刷業を経て現在では壽俵屋犬山井上邸としていつも賑わいを見せております。
続いて伊藤家住宅、こちらも主屋の他見る事はできませんが蔵も登録文化財です。古くから綿を扱う家で明治期より呉服商、明治後期からは洋服店となりました。現建物は江戸末期のもので、改変はあるものの"Landmark Point momotaro jeans"を営まれております。
続いてはかつては最も見る事の難しい建物の一つでありましたが、周辺が駐車場となり、容貌が伺えるようになった大島家茶室。1826年瑞泉寺に建てられたものを、明治維新後大島家が受け継いだとされています。裏千家又隠の写しです。
続く瀧野家住宅蔵は明治中期の建設です。
瀧野家ほぼ向いの角にあるのが遠藤家住宅。料理屋として建てられた高い2階のたちを備える家屋で1900年の建設。1951年より硝子店所有となり1階は原型を留めないほど改変されています。
続いては前に珍しく案内板が立つ高木家住宅。こちらも姿を見る事はできませんが、主屋の他茶室と蔵が登録文化財です。江戸時代より「綿屋善四郎」の名で酒造業を営み、現在の主屋は1913年の建設。1935年より小売業を営みました。
続いて183号線と名古屋に至る本町通りの交差点に立つ真野家住宅。主屋のほか離座敷・土蔵・高塀が登録文化財です。現主屋は濃尾地震後1894年の再建の丹葉銀行頭取の本宅です。高塀がより重厚な屋敷構えを作り出しています。
少し南下した所にあるのが木之下城伝承館でもある堀部家住宅。こちらは離れ座敷・渡り廊・土蔵・作業場・高塀が登録文化財で、ニワ里ネットさんの管理の上、平素から一般公開されています(https://horibetei.com/)。代々犬山城主成瀬家に仕える武士の家系で、明治時代の建造ながら家の各所に武家住宅の痕跡が見られます。また作業場には家業であった養蚕業の名残が見られます。
続きましては本町通りを一本反れた練屋町にあるのが川村家住宅。こちらは比較的新しめの昭和13年の建造。戦前の商家の姿を今に伝えています。
更に北に上るとあるのが小島家住宅。こちらは主屋の他座敷・南蔵・北酒蔵及び北蔵・西酒蔵及び仕込み場・寄付・屋根塀と多くが登録文化財となっています。最も古い座敷が1847年、主屋は1897年頃の建造です。家は元々豪族でしたが、慶長2年犬山城主成瀬家から将軍への献上品となった朝鮮伝来の忍冬酒の醸造を開始、以降酒造業を営んでいます。外から見ても鮮やかな赤色の寄せ付け奥に広がる庭園は小堀遠州作と伝わっています。
更に北にある新町通りに北面する三井家住宅。こちらは蔵と外からはうかがい知れない渡り廊が登録文化財です。江戸期には米穀店を営み、明治大正期には製糸業を営みました。建物は製糸業当時の建造とされています。
更に北東の角にある宮田家は對依軒・蔵・井戸屋形・塀が登録文化財ですが、對依軒は見る事は出来ません。こちらも概ね昭和前期の建造です。現在眼科を営むが、江戸時代は成瀬家に仕えた武士で勘定方を務めました。
更に東に向かい余坂木戸跡近くの商人町(魚屋町)にあるのが佐橋家住宅。明治中頃に当地に移った現在「寅屋」の屋号の仕出し店で、典型的な町屋の形態を保っています。
更に東の角にあるのが梅田家住宅。こちらは主屋のほか倉庫・高塀が登録文化財。主屋は江戸末期の建造で明治初年に梅田家が既存の住宅を購入し、肥料商を営んだとされています。
更に東に進むと旧小守家住宅に至ります。こちらは善師野往還の旧木戸前に位置し、もともとは木屋の屋号で養蚕具商を営みました。建物は大正12年の建造です。
更に東に県道27号線を横切るところにある奥村家住宅。こちらは現在フレンチ奥村邸というフランス料理店を営まれています。主屋の他金庫蔵・棟門・米蔵・道具蔵・離れ・納屋・渡り廊・東高塀が登録文化財です。主屋は天保の大火直後の再建とされ、庄屋などを歴任した豪商の邸宅としてふさわしい建造物となっております。
ちょっと残念なのは平素から公開されている家屋が磯部・堀部邸のみ、登録文化財の日などには他の家屋の特別公開もあるようです。願うべくは犬山市のお祭りなどに併せて一斉公開などがあれば何より嬉しいですね。管理上の都合簡単なことではないと思いますが。
とりとめない長文・乱文失礼いたしました。しかしながら犬山城下を訪問したいと思っていただける方が一人でも多くなります事心から願っております。