見出し画像

取るに足らないことが、自分の人生は悪くないものだと気付かせてくれる。津村記久子『まぬけなこよみ』朝日文庫版刊行記念エッセイを特別公開!

 作家・津村記久子さんの歳時記エッセイ『まぬけなこよみ』の朝日文庫版が発売となりました。季節の言葉や風物詩にまつわる気持ちと思い出をほのぼのとつづる、まぬけな脱力系エッセイ集で、平凡社から2017年に刊行された単行本の、初めての文庫化です。文庫版には、書評家・三宅香帆さんによるすてきな解説も収録しています!
 刊行を記念して、朝日新聞出版PR誌「一冊の本」2023年2月号に掲載された、本作著者・津村記久子さんによるエッセイを特別に公開します。

津村記久子『まぬけなこよみ』(朝日文庫)

その後のこよみ

 2012年から2015年まで「ウェブ平凡」で連載し、2017年に単行本になった本書を文庫化するにあたって、2022年に再び読み直すという作業をしたのだが、この一連のエッセイを書いていた自分に対しては、「とにかくよく思い出しているな」という印象を持った。大袈裟ではなく、これまでやったすべての仕事の中で、本書の中のわたしはもっとも思い出している。子供の頃のことはもちろん、中学生の時のことも、高校時代のことも、大学に通っていた時期についても、そして会社員生活に関しても、とにかく思い出して書いている。自伝も回想録も書きたいと思ったことは一度もないけれども、1年間の七十二候について語るという体裁の傍ら、自分は自分の曖昧になっていく記憶を書き付けていたのだなと思う。

 そしてそれが、転校や親の離婚や学校の人間関係や職場で上司に怒鳴られたことなどに塗り潰されていないことにほっとする。いろいろなことがあったけれども、その一方で、自分は生活者としての自分を十全に生きていたのだなと思えてくる。

 たとえば、〈わかめ海岸のアオサ〉というエッセイでは、住んでいた一軒家のローンを父親が払い切れなくて売ることになった後、それまでよりはずいぶん狭くて、都市からはだいぶ離れた場所に住むことになった頃についての回想をしている。当時は小学1年で、夏休みの終わりに突然引っ越しと転校を告げられて、本当にショックだったことを覚えている。友達にさよならも言えなかった。引っ越す先は、売ることになった家から車で1時間以上離れた海沿いの田舎の町だ。わたしの喘息の治療をするためだ、と言われた。でもそれは嘘だった。わたし自身もそれを信じていなかったように思う。でも親たちには何か考えがあって、自分はそれを話してもらうには子供過ぎるのだと半ば諦めていた。あのアオサがたくさん流れ着いていた海は、そういう気持ちを吹っ切るために見ていた海だった。

 突然転校する事になった件もだし、子供の頃は、大筋では無力だと感じることが多かった。しかし、本書の仕事を通して思い出した生活の細部は、そんな時期の別の一面を見せてくれているようでもある。〈土日ダイヤお盆クラブ〉での会社員だった頃のお盆休みの取り方だってそうだ。本当のところ、どうして有給休暇を使わなければいけなかったんだろうと今でも思う。けれども、お盆のすかすかの通勤電車自体の記憶は、なぜかとても味わい深いもので、なんだったら今もちょっと乗ってみたいと思う。お盆の出勤は会社でも暇で、他の社員さんもいつもより少しのんびりしていた。

 今は2023年で、もっとも古いものになると10年以上前に書かれていたりするため、残念ながらなくなってしまった習慣もある。〈初詣でめでたくつめたい〉に出てくるずっと一緒に初詣に行っていた友人は、その後家庭を持ったので、今は一緒に初詣に行くことはなくなった。けれども、本書を読み返すと、友人と初詣に行くことは、自分の20代の後半から30代の中盤までの、とても大切で思い出深い、楽しいひとときだったのだなと思い出される。今はこんなふうに真面目に初詣に行かなくなってしまったけれども、これから初詣に力を入れようという人がいたら迷いなく勧める。毎年毎年、恵方を調べて、違う神社にお詣りに行くのはとても楽しいことだ。

 一連のエッセイを書いていた頃に住んでいた家や土地からは、2年前に引っ越したのだが、続けていること、というか、ほとんど変わっていないこともかなりある。〈ストーブの実感〉の、エアコンではなくストーブ派だという話なのだが、実は昨年はエアコンだけで過ごして「寒かった」という悲愴な感想だけが残ったので、この冬はセラミックヒーターを購入し、あまり寒がることはなく過ごしている。ピンポイント暖房が好きな人間の魂百まで、ということなのかもしれない。エアコンを鷹揚に取り扱えるような人間のスケールをもともと持ち合わせていないだけかもしれないけれども、やはり直接手をかざせる熱源はいいものだと思う。

〈理想の風邪〉のような、軽い風邪を引くこともまだちょっと好きだ。この本の仕事で文章にまとめたことによって、より良く思えるようになった。これまで、コロナワクチンを四回打っているけれども、そのたびに副反応を「怖い」と思いつつも、「大手を振って寝込める」とどこかで思っていて、数日の間引きこもる準備を少し楽しく進められて乗り切れているのも、自分は風邪で横になっているのがわりと好きだと知っているからだった。「副反応対応」で買い込んで消費されなかった冷凍食品は、いつしか備蓄されてゆき、単に疲れていてしんどい時などに非常食のように食べている。今回の副反応はそうでもなかったな、と思いながら、以前の自分の用心に助けられることは、けっこう楽しい経験だ。

〈薔薇との距離感〉で書いた、友人が大好きなバラに関しては、大阪から兵庫県に引っ越して須磨離宮公園というものすごいスポットを見つけてしまったので、より身近になったと言える。須磨離宮公園のバラ園がどういう場所かというと、商店街のようにバラが咲いている所だと言うべきなのだろうか。友人とよく見に行っていた靱公園がキャンプサイトだとしたら、須磨離宮公園は出口の見えない商店街だ。バラを見過ぎて、バラ疲れさえ起こすような場所が隣の県にあるとは、本書の文章を書いた頃には思いもしなかった。

〈傘の立場〉のビニール傘に関しては、本書では「柄にマスキングテープを巻くと別の人に持って帰られなくなった」と述べているのだが、引っ越してからそれを怠って、まんまと歯医者で持って帰られてしまった。そして〈Tシャツと生き方〉のバンドTシャツは今も増殖中だ。本書の中のバンドTシャツに関する文章を書いた時以上に日常的に着るようになり、「そのTシャツはいいね」と言ってもらえることも稀にあったりして、自分の注文に加えて他の誰かの分もバンドのストアからTシャツを買うということも何度かやった。最近も数枚購入したのだが、昨今の円安でその前の注文より送料が倍近く高くなっていたことに驚いた。送料が高くなることによって、いくらか税金を取られたことにも驚いた。送料を足して商品16666円以上のものを国外から買うと課税されるのだ。むしろそれまで、そのルールも知らずTシャツを買いまくっていて、送料込みで16666円以下に抑えていたことを奇跡のように思う。

 本書の文章を書いた時点では失っていたが、戻ってきた経験もある。〈ガラス戸越しの稲妻〉の、ベランダに続くガラス戸(掃き出し窓)だ。2年前に引っ越してから、部屋のレイアウトの都合上、わたしはずっと掃き出し窓の真横で仕事をしている。寒かったり暑かったりもするかもしれないけれども、外の天気をより近く感じられるのはやっぱりちょっと楽しい。雨が降り始めると、冬でも戸を開けて機嫌良くしている。

 本書の〈かるたの宇宙〉中でわたしが自慢している、五味太郎さんの『おみせやさんの おつかいかるた』は引っ越し先まで持ってきて、今も健在だ。ときどき仕事の合間に眺めたり並べたりして力をもらっている。たぶん次の引っ越し先にも持って行くし、その次もそうだろう。

 特に生活水準が高い部分などないけれども、それなりに満足のいく生活を送っている人。本書を読み直して感じた印象はそれだった。取るに足らないが自分が生活の中で大切にしてきたことは、自分の人生はこのように悪くないものなんだから、あんまりひねくれるな、季節が移り変わっていってくれることを楽しみながら生きるんだ、という気付きを思い出させてくれたような気がする。

*津村記久子著『まぬけなこよみ』は
朝日文庫より発売中。早2刷決定!