情熱を失った新聞記者が再び「書きたい」と奮い立つ題材に出会うという出発点はデビュー作『盤上のアルファ』(2011年)、子供たちの未来を奪う犯罪への憤りという点では代表作として知られる社会派ミステリー『罪の声』(2016年)、フェイクニュースが蔓延し虚実の見極めが難しい現代社会のデッサンという点では吉川英治文学新人賞受賞作『歪んだ波紋』(2018年)、関係者たちの証言によって犯人像が炙り出される構成上の演出は『朱色の化身』(2022年)……。塩田武士の最新作『存在のすべてを』は、過去作の様々な断片が入り込んでいる。それらが見事に統合され、そのうえで、小説世界が根底からアップグレードされている感触がある。作家に何が起きたのか。本作で、何を起こそうとしたのか?
■『存在のすべてを』序章を期間限定で公開中!
50ページものボリュームを割いた「序章――誘拐――」で描かれるのは、平成3年(1991年)に神奈川県下で発生した特異な誘拐事件だ。12月11日の夕刻、厚木市内で2人組の男に小学六年生の少年が拐われ、犯人は電話で母親に身代金を要求した。通報を受けた警察は、警視庁の特殊事件捜査指導官を含む総勢279名からなる対策チームを編成。翌12日、警察のバックアップを受けた両親が身代金受け渡しのために動き出した矢先、横浜市中区に暮らす資産家から「4歳の孫が誘拐され、身代金を要求された」という新たな通報が入る。すでに厚木に配備している警察官を、山手に回すのは難しい。残った人員の中から2件目の誘拐事件の対応を任せられたのは、かつて県警本部の特殊班にいた所轄刑事・中澤洋一だった。
犯人サイドと被害者・警察サイドとの丁々発止のやり取りをリアルタイムで表現できる誘拐は、ミステリーおよびサスペンスの花形だ。数多くのクリエイターが果敢にチャレンジしてきたが、「二児同時誘拐」は前代未聞と断言できる。この着想について、何よりもまず作家に聞いてみたかった。
警察関係者に取材をかけると、二児同時誘拐は成功する可能性があるとの心証を得た。と同時に、華やかな印象から選んだものの決して土地勘があるわけではなかった横浜の各地を実際に歩き、誘拐ルートを慎重に見定めていった。
今とは変わってしまった30年前の街の風景に、犯人の要求に従い身代金を持って駆け回る祖父と、少し離れたところから彼にイヤホン越しで指示を出す中年刑事らが配置され、緊迫感に満ちた長い長い1日がノンフィクションかと見紛うリアリティで綴られていく。結末は残酷だ。一件目の誘拐事件は無傷での解放となったが、二件目は身代金こそ奪われなかったものの警察の判断や不運が重なって犯人を取り逃し、資産家の孫の男の子は帰ってこなかった。ところが、最後に驚くべき一文が現れる。〈澄んだ夜空の下に舞い降りたのは、7歳に成長した自分の孫だった〉。誘拐されたまま3年もの長きにわたり帰ってこなかった男児が、祖父母の家のドアを叩いたのだ。
冒頭の50ページが、「序章」と位置付けられていることに注意したい。犯罪小説として高度な達成を誇るこの50ページは、「本編」のためのいわば前置きに過ぎない。では、「本編」では何が描かれているのか――。
■写実画だったからこそ描き手の足跡を追えた
「第一章――暴露――」は令和3年(2021年)12月から始まる。大日新聞宇都宮支局の支局長である門田次郎は、二児同時誘拐事件発生時、横浜支局の2年目の新米記者として取材に当たっていた。そのおりに世話になった元刑事・中澤洋一の葬儀に列席すると、中澤の後輩刑事から声をかけられる。「これ、読まれました?」。その週刊誌記事によれば、SNSをきっかけにブレイクした人気の写実画家・如月脩は、二児同時誘拐事件の二件目の被害男児・内藤亮だった。亮は「空白の3年」に何が起きたのか周囲に一切口を閉ざしたまま消息を絶っていたのだが……実は、かつて犯人である可能性が指摘されながら逮捕されなかった男の親族に、無名の画家がいた。もしかしたら「空白の3年」の間、少年と行動を共にしていたのはその画家なのではないか? お蔵入りした30年前の未解決事件を、亡き刑事はもう捜査できない。現場から長らく退いていた門田は、これが最後になると腹を括り取材を始める。
新聞が報道の王様だったのはとうの昔、スマホにより一億総捜査員化した現代社会において、新聞記者だからこそできることとは何か? それは、現場に足を運ぶこと、徹底的に調べること、正確に伝えること。消えた無名画家の消息を辿る門田次郎の行動には、元新聞記者である著者がデビュー作以来書き継いできた、記者の矜持というテーマが宿っている。
一方で、「第一章――暴露――」にはもう一人の視点人物が登場する。東京・新宿の「わかば画廊」でギャラリストとして働く、土屋里穂だ。百貨店の美術画廊で7年勤務したのち、父が営む現在の画廊へと移った来歴がコンパクトに綴られていった先で、内藤亮=如月脩とは高校の同級生だったという事実が明かされる。門田が読んだのと同じ週刊誌を目にした里穂は、人気画家となった少年の記憶を蘇らせる。その記憶は、初恋の記憶でもあった。
里穂はその後、何よりも作品そのものへの興味から、内藤亮=如月脩とのコンタクトを探り始める。無名の画家の足跡を辿る記者・門田との運命はいつ、いかなる形で交錯するのか? その時、あらわになる真実とは何か。
■「生きている」という重み 「生きてきた」という凄み
写実絵画(リアリズム絵画)、あるいは「写実」という思想は、本作において重要なモチーフとして採用されている。ある登場人物はこう証言する。戦後日本の画壇は抽象画が全盛で、写実画家は肩身が狭かった。しかし、今は異なる。「昔から『不景気になると写実が売れる』って言われてましてね。状況が不安定だと確実なものを求める心理が働くのかもしれません」。その証言は別の人物によってこう語り直される――「質感なき時代に実を見つめる」。
ならば、「実」はどこにあるのか? 探究の過程で小説家は、一冊の本と出会った。日本のリアリズム絵画の第一人者・野田弘志の『リアリズム絵画入門』(芸術新聞社)だ。
その話から連想したのは、『存在のすべてを』に多数盛り込まれていた、一瞬のやり取りの中に時間の厚みを感じるエピソードだ。例えば、お互い惹かれ合っているのに告白できず、進路の違いで離れ離れになることが確定している少年が少女に渡した、ホワイトデーのお返し。“両親”が“息子”のことを心の底から愛していた、と証明することになるアイテムの存在……。
■作家としてのキャリアと人間としてのキャリア
本作は「誘拐された男児の3年間の空白」という不可思議で魅力的な謎を冒頭に掲げた、ミステリーの形式が採用されている。新聞記者の門田とギャラリストの里穂、2人の探偵役のシーク・アンド・ファインドがその形式を支えている。ただし、読み進めていくうちに予想とは異なる感慨を抱くことになるかもしれない。
その理由の一つは、30年前に起きた二児同時誘拐事件の実行犯の描き方にあるのではないか。代表作『罪の声』では最終盤で脅迫事件の実行犯の物語にフィーチャーしていたが、本作は全く異なるアプローチを採用している。
ミステリーの文脈で言えばクライマックスに当たる部分がカットされた替わりに、何が書かれているのか。30年前の誘拐事件によって強制的に運命を変えられた人々、そしてその周りにいた人々の「存在のすべて」だ。時効になった後も個人的に調査を続けていた刑事、息子を誘拐された被害者家族でありながら世間のバッシングを受けた母、縦社会と拝金主義の絵画業界に反旗を翻した天才画家、その画家の才能を温かく見守ってきたギャラリストたち……。そして、強固な絆で繋がれたある“親子”。
紛れもなく「虚」である本作を読んだという経験は、間違いなく「実」へと跳ね返ってくる。単に温かな気持ちになるのではなく、人間の暗部に触れてゾクゾクとくる面も含めて、他者への好奇心や信頼感を掻きたてられる。そのような人間ドラマでありつつ……全ての印象を覆すサプライズも物語に仕込まれているから油断ならない。
(2023年7月14日 東京・渋谷にて)
■塩田武士著『存在のすべてを』序章を期間限定公開中!