【俵万智×ヒコロヒー 対談】俵万智が「はっ」としたヒコロヒーの言葉 対談で意気投合した、創作で食べることに通じる感覚とは
1987年のベストセラー『サラダ記念日』から最新歌集『アボカドの種』まで、女性の恋心を短歌に詠んできた歌人の俵万智さんと、今年上梓した恋愛小説集『黙って喋って』が版を重ね、作家としての評価も急上昇中のヒコロヒーさんが初対談した。
――俵さんは『黙って喋って』を各紙の書評で絶賛し評判になりました。どのような経緯で本を手に取られたんですか。
俵万智(以下、俵):ヒコロヒーさんと仕事でご一緒することになり、読んでみようと思ったのがそもそもの動機ですが、読み終わった後「これはすごい本だ」と思って。誰かとこの本について語り合いたいと思っていたら、共同通信の記者さんから「(『黙って喋って』を)ぜひ書評してくれ」と依頼があって、「自分で買って、すでに読み終わっています」と喜んで引き受けました。自分で買って読み終えていた本の書評をしたのは初めてかも。
ヒコロヒー(以下、ヒ):そういう経緯だったんですね。俵さんには毎月膨大な書評依頼があると伺っています。にもかかわらず、買っていただいて、その上書評までしていただいて、本当にありがとうございます。
■双方の意味兼ねた比喩
俵:私のXにもその書評をアップしたんです。そうしたら今までになく反響が大きくて、とても驚きました。
ヒ:「いいね」が4万ついたって聞きました。そのおかげでこの本が重版になって(笑)。俵さんの影響力あってのことだと思います。
俵:書評家の渡辺祐真さんも、私の書評を読んで『黙って喋って』を買って読んだそうです。「今年、芸人さんの書いた本を30冊くらい読んだけど、一番良かった」と言っていました。
ヒ:えー本当ですか! いいのかな……嬉しすぎます。
――俵さんがヒコロヒーさんの小説を「他の本とは違う、すごい」と思った点はどこですか。
俵:まず、心理描写がすごいと思いました。けっこう嫌な奴、ダメな奴も出てくるのに、描写に愛があるから嫌いになれない。むしろ魅力的に映ります。
「ばかだねえ」というお話の中に、何度も浮気されてしまうのに、そのつど謝られて、毎回許してしまう主人公が出てきます。その彼女の心の内を、居酒屋に並べられた料理の変化や、周囲の言葉がセミの声に聞こえてくるといった比喩で書いていて、それがすごくいい。同じことの繰り返しを歌詞カードに出てくる「米印」で表す描写なんて特によかった。私だったらこれらの描写一つ一つを歌にするなとすら思いました。
ヒ:えー俵さんが歌に! そんなめっそうもないことですが、うれしいです。
俵:ヒコロヒーさんが使う「米印」は、同じことを繰り返す意味だけではないんですね。私たちはカラオケに行くと、歌の繰り返し部分、「米印」の部分をいつも本気で歌いますよね。毎回、毎度、同じフレーズの繰り返しなんだけど熱唱する。浮気男も、それと同じで毎回本気で謝っている。そうした双方の意味を兼ねた比喩になっているんです。
■何げない輝き思い出す
ヒ:「米印」の部分を褒められたのは初めてです。
俵:読んでいる私たちには、男のキャラクターが痛いほど伝わってきます。
ヒ:いや〜そこまで読んでくださるとは……「計算どおりです」と胸を張りたいところですが(笑)、そういった視点で読んでいただけるなんて、恐縮しきりです。
――ヒコロヒーさんが俵さんの短歌集を読まれたことは?
ヒ:私、俵さんの歌集『アボカドの種』を何度も何度も読んでいます。泣かずに読んだことはないくらい、本当に大好きな歌集です。なんていうんでしょう、一首一首が「日々の何げない輝き」を思い出させてくれます。俵さんの歌から、見過ごしがちな日常とはこんなにたくましいことなんだと、すごく力をもらい励まされました。
俵:その指摘は短歌を創り続ける上で非常に嬉しい励ましです。私もヒコロヒーさんの小説を読んで「あ、この瞬間、私にも覚えがある」とすごくリアルに感じました。
――特に印象に残った歌は?
ヒ:「人生は長いひとつの連作であとがきはまだ書かないでおく」ですね。
俵:私が祐真さんと出した最新のセレクション歌集のタイトルは、『あとがきはまだ』なんです。これは「ヒコロヒーさんが気に入ってくれていた歌だったな」と思い出して付けました。
ヒ:『アボカドの種』を読むたびに、今回こそ泣かずに読むぞと思うのですが、いつも励まされて泣けてくる。一首だけでなく歌集全体が俵さんの世界観を伝えていて、読んで読んで咀嚼して、心の中にずんと落ちる。そんなこと他の本ではなかなかなくて……「こんな瞬間、あるよな」「この瞬間、輝いているよな」と実感することができます。
■狙いすぎると媚びた芸
――「こんな瞬間、あるよな」と読者が共感する作品をつくるには、何を心がけたら?
俵:最初は「読者」をあまり気にしていません。まずは自分のこと、自分自身の瞬間を形に残したい、この動機がメインです。それが最終的に読者が人生のどこかで持った感情とシンクロしたら、うれしいですが。
ヒ:私の場合「自分が書きたいことを書く」というような「小説を書く」衝動はないんですね。小説を書きだしたのも、まず依頼ありきでしたし。創作への動機、衝動は本業の方たちには及ばないとは思うんです。なので「共感してほしい」「共感されたい」という下心よりも、素直に「お仕事をさせてもらおう」くらいの気持ちで書いています。ありがたいことに、そうやって書いていても小説の連載時からわりとすぐに反響があって、それがうれしくてまた次も書くというか、本も出せましたし、今に至っています。
俵:実は「NHK短歌」では指導する立場から「短歌は日記ではなく手紙です。読む人を意識して推敲しなくてはいけません」と言ったんです。でもその時、司会のヒコロヒーさんが、「ネタを作るときにあまりウケを狙いすぎると媚びた芸になる。でも我が道を行きすぎても独りよがりになる。塩梅が大事」とおっしゃったんです。「はっ」として、「その通りです……」と反省しました。
ヒ:いやいやそんな。ネタに関しては、そうです。まだまだ若輩者ですけど、塩梅、バランス感覚、それを培っていくことがプロには必要だと思うんです。
俵:ウケることや読者サービスばかりを狙っていてはやせ細っていく。芸も短歌も、基本は同じ。両方の感覚を持つことが大事ですよね。
ヒ:創作、全般ですよね。創作で食べていくことに通じるかもしれないですね。
(構成/AERA編集部・工藤早春)