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「老いて死ぬ、その周辺」若竹千佐子さんの書評を特別公開

 谷川直子さんの『その朝は、あっさりと』(朝日新聞出版)は、長寿社会という「最先端」の時代を生きる私たちに、道しるべとなる「老衰介護看取り小説」です。老い、病、死を庶民の視線で、見捨てない温かさに満ちた、小林一茶の句が、小説の主人公である96歳の恭輔や周囲の家族、介護をする人びとを励ましつづけます。
 本書を『おらおらでひとりいぐも』で芥川賞を受賞された、若竹千佐子さんが書評してくださいました。老いゆく人のしんどい介護や看取り、「生産性」や「効率」が優先する社会と対極にある「老衰死」。このうえなく見事に読み込んでくださった書評を特別に公開いたします。

谷川直子『その朝は、あっさりと』(朝日新聞出版)
谷川直子『その朝は、あっさりと』(朝日新聞出版)

老いて死ぬ、その周辺

「ああ~ああああああ」

 たまに一人旅に出ることがある。

 このあいだも青森、五所川原から金木に向かう弘南バスに乗っていた。中途半端な時間だったせいか、バスの中は私と病院帰りらしいおじいさんとほぼ貸し切り状態だった。このおじいさん、冒頭のような長いあくびを連発した。ほんとうにひっきりなしに。

 旅の空で揺られ揺られて聞く他人のあくび。それがどうしても、飽きた、俺はほとほと飽きてしまったんだよう、生きるのがさほんとにさぁ、のように聞こえた。おじいさんのあくびが私にも伝染して、今はいいとしてこの先どうなるんだろう。私はどうなって死ぬんだろう。緩慢な死が恐ろしい気がした。我が身を持て余すときが来るかもしれない。

 私たちは今「人生百年時代」などと言われる稀にみる長寿社会を手に入れた。それを手放しで喜べるかどうか。漠然とした不安まで手にしたのかもしれない。

 谷川直子著『その朝は、あっさりと』は、長らえた後死ぬることの意味を問う老衰介護看取り小説である。

 主人公恭輔は96歳。10年前から認知症の症状が現れ、4年前に転んで骨折してからは本格的な在宅での介護生活を受ける身になった。妻は85歳。還暦前後の二人の娘と息子がいる。

 この小説は恭輔が亡くなるまでの3週間を扱っている。

 介護する家族は疲弊している。

「はよくたばれ」「やってられん」そんな言葉とは裏腹に

「食べなあかんやん。百まで生きるんちゃうの」

 長い間共に暮らした、大事に育ててくれた、疲れてもなお、そんな夫を父を励まさずにおれないのだろう。

 もう目も開かず耳も聞こえない恭輔と家族を結ぶのは一冊の文庫本。小林一茶句集だった。

 生活者の目線で弱いもの小さなものに目を向けた一茶の句を恭輔は若いころから愛読しており、気に入った句にはしるしをつけている。それを辿りながらもう声を発することのない父の気持ちを慮る。ときには一茶の人生を辿りながらも

 雁よ雁いくつのとしから旅をした

 この句が話題になるや否や、詩人になりたくて一年間あてもなく旅に出た若い日の次女素子の話が持ち出され、からかわれながらも一家の間に温かいものが流れたりする。

 一茶の句にこの家族ならではの新しい意味が加わる。

 長い間時間をかけて共有された記憶の蓄積が家族を作るのだ。それは常に更新され続ける。病んだから衰えたからといってそれを無下になど苦しくてできない。

 それにしても介護生活は本当にたいへんだ。家族だけでやり遂げるなど到底不可能だ。この小説で描かれる看護小規模多機能型居宅介護、通称「かんたき」のような制度なり仕組みがあって初めて可能だと思う。それですら容易ではないのだろう。関わってくれる看護師介護士の献身的な支えがあればこそだ。新聞などで訪問介護事業所が減っていると聞くにつけ心細い限りだ。この制度を誰もが関心を持って大事に守り育てなければならない。

 私たちは「生産性」だの「効率」だのが優先する世界に住んでいる。それとはまったく対極にある老衰死。

 私が緩慢な死を恐れたのは子や孫の足手まといになりはしないか、彼らの自由を奪いはしないかと恐れるからだ。

 それすらもいつの間にか効率だのなんだの「常識」にとらわれていたのかもしれない。

 誰もがいつかは迎える死。人の最期が片隅に追いやられたり、忌避されていいはずがない。大切な人の死に深く関わることが何よりの「死に稽古」なのだ。そうやって命はリレーされていく。

 もはや何の不安も焦りもなく生と死のあわいをたゆたうように行き来する恭輔の描写は美しい。長く生きたからこその境地だろうか。

 でもそのときは、やはり訪れる。

 長い間の緊張感から解放されて残された家族は「何か大きな仕事を終えたような晴れ晴れとした気持ち」を味わう。

 この静かな、静謐とも言える達成感は尊い。

 私たちはこの価値以上の何を求めて生きているのか。

 人より多くだの、早くだの、人と較べて優劣を競うような価値に何ほどの意味があるのだろうか。

 谷川さんはこの小説で私たちが目指すべき豊かさの質を問うたのだと思う。みごとな小説だと思った。

(「一冊の本」9月号より転載)