下園壮太著『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)の立ち読み
■はじめに 1億総イライラ社会の到来
コロナ禍でこれから起きてくること
コロナ禍が一段落しつつある今、私は日本人のメンタルヘルスに2つの現象が起きてくるのではないかと予想しています。
1つは、うつやメンタル不調に陥る人の増加。
すでに心身をすり減らしている医療従事者や、介護、保育などで働く方々などを中心に、燃え尽き症候群による退職が増えそうです。また、一見おだやかに過ごしてきた人でも、長引く不安、自粛による孤立化、我慢疲れなどにより、落ち込む方が増えるかもしれません。社会全体で見ると、うつや自殺者数が増える可能性も危惧しています。
コロナの大きな不安は低下したと思われる今になって、なぜ「メンタル面での重症化」現象が起きるのでしょうか。
その最大の要因は「ステルス疲労」です。「ステルス疲労」というのは、私の造語で、感知できないうちにかなり深い疲労状態に陥る、蓄積された疲労のことです。
少し振り返ってみましょう。
新型コロナウイルスは「生命に直結する不安」です。明日のプレゼンが不安……というレベルではなく、命がけの不安です。不安は私たちに考えることを強要します。それで疲れてしまうのです。しかもその状態が2年続いているのです。
また、新型コロナウイルス発生時から、社会の変化と混乱の大きさはすさまじいものでした。突然の休園・休校や緊急事態宣言、マスク不足やトイレットペーパー買い占め。
「新しい生活様式」として、消毒やマスク着用が習慣化され、テレワーク(在宅勤務)が一気に普及しました。
テレワークは通勤時間が減ってラクになるなどのメリットを感じる人も多くいます。でも、オンラインへの対応など、慣れるのに案外エネルギーを使いました。気軽に立ち寄っていた飲食店も閉鎖され、夕食難民という言葉も使われました。
人間にとって、すべての「変化」はストレスです。結婚、出産、昇進、栄転、独立、入学、定年など、たとえそれがプラスの変化であっても、新しいことに対応して慣れるためにエネルギーを使うという意味で、とても疲れるのです。
もしこれが一つの変化、例えば「マスク」だけならば、2、3カ月で人は慣れ、当初感じていた疲れもやがてとれます。ところが、すでにコロナ発生から2年。その間にも状況はずっと流動的です。Go ToイートやGo Toトラベルキャンペーンでアクセルを踏んだかと思えば、再びの緊急事態宣言、自粛要請でブレーキがかかる。オリンピック・パラリンピック開催の一方で、子どもの修学旅行は中止され、ワクチン接種が広がり希望が出てきたところで、変異株の発生と感染の再拡大による規制の再強化など、複数の「変化」が続いているのです。
これに加えて、対人関係に使うエネルギーも増加しているようです。というのも、不安に対する感受性は、個人差が大きい。打ち合わせや食事に誘ったり、誘われたりする場面でも、「相手がどのくらいコロナを気にしているのか」に気を遣う場面が増えました。今までにはなかった気遣いです。これも疲れますよね。中にはその差がきっかけで、人間関係がギスギスしてしまった人もいます。
一方で、そんなつらさに伴ういろんな思いを、簡単に口に出せない雰囲気もあります。
医療従事者の大変さに較べたら、私が不満を言っている場合ではない、といった感覚です。
また、楽しいことも控えなければならない。こうした我慢もまた大変エネルギーを消耗する精神活動なのです。私の経験値では、人が「我慢」できるのは、せいぜい1年。コロナ禍はすでに2年におよび、はっきりとした終息が見えない今、その限界はとうに超えつつあります。要請や宣言の効果が薄くなっているのも、このためです。
うつ状態につながる「4つの痛いところ」
ただし、疲労が溜まっているからといって、すべての人が「うつ」になるわけではありません。私は、人のメンタルには、うつになりやすい「4つの痛いところ」があると考えています。
その4つとは、1疲労感(負担感)、2無力感、3自責感、4不安感です。
人は、ベースの疲労感(1)が深まるとき、2から4の感情が合わせて刺激される環境であると、単なる疲労ではなく、「うつ状態」に陥ります。「死にたい気持ち」も出てきやすくなるのです。
新型コロナウイルスの環境は、この4つの「痛いところ」を刺激する条件が揃っていました。
まず、病気や経済に対する、「4不安感」が刺激され、その不安と変化を我慢で「1疲労感・負担感」が募ります。そして、長引く流行は、自分や人間社会が頑張ってもウイルスにはなかなか勝てないという「2無力感」を強め、自分が無自覚に病気を人にうつしているかもしれないという「3自責感」も刺激します。
「コロナで大変なのはみんな同じだから」と思っていても、実は今は多くの人が、この4点が刺激された疲労状態、つまりうつ予備軍になっているかもしれないのです。
疲労が怒りを誘発する
コロナ禍がメンタルに及ぼす影響の2つ目は、「イライラ、怒りの誘発」です。それが、本書のテーマです。
私の中ではすでに、東日本大震災の1年後くらいから、「社会全体がなんとなくイライラしてきている」という感覚はありました。怒りによる事件やトラブルを耳にすることが増え、また個人レベルでも、「怒り」「イライラ」に悩まされるクライアントが多くなったからです。
背景には、震災の影響、格差社会、価値観が多様化して他人とぶつかることが多くなったことのほか、インターネットやSNSの影響などが考えられます。SNSでは、怒りや不安などのネガティブ情報ほど、伝染しやすい。ちょっとした書き込みでも増幅、拡散され、いつのまにか巨大化していくものです。
その怒りの増加傾向が、このコロナ禍によって、ぐっと顕著になってくると考えています。その原因は、うつの増加と同じく、知覚できない疲労の蓄積です。
なぜ「疲労」が「怒り」の感情を沸き立たせるのか、詳しいメカニズムは、本書で紐解といていきます。
「怒り」の本質も取り扱い方も知らず、このまま放置すれば、私たちは「怒り」に振り回されることになります。感情のままに相手を傷つけ、第三者を傷つけ、そして自分をも傷つけてしまうことになりかねません。
私たちは、本気で「怒り」の問題に、向き合うべきときが来ました。
読者の皆さんの中にはすでに、怒りで悩み、関連する書籍を読んだり、セミナーなどに参加されたりしている方もいらっしゃるかもしれません。
それがヒントとなるのなら良いのですが、その一方で、「本で読んだようには怒りが収まらない」「うまくいかないので、結局イライラを溜め込んでいる」など、ジレンマを抱えている人も多いのではないかと推測します。
私は長年自衛隊で経験を積んだ、「実践カウンセラー」です。
今、私は、カウンセラーの育成と合わせて、自分の感情とのつき合い方のヒントを紹介する「感情のケアプログラム(感ケア)」の講座を開催しています。感ケアは、私が自衛隊の現職時代に、自衛隊員用のメンタルトレーニングとして開発したものを、一般の方用にアレンジしたものです。
感ケアでは、努めて現実的なツールを紹介するよう心がけています。それぞれの日常生活こそ、皆さんの「戦場」であり、そこで本当に役に立つ支援をしたいからです。
本書では、感ケアの中でも怒りのケアに特化して、これまで私がクライアントに対して伝え、訓練し、実際に効果をあげてきたものだけを、できるだけわかりやすくお伝えしようと思います。
皆さまの日常生活が少しでもおだやかなものとなりますように。
下園壮太
■自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術・目次
はじめに 1億総イライラ社会の到来
コロナ禍でこれから起きてくること
うつ状態につながる「4つの痛いところ」
疲労が怒りを誘発する
1章 怒る自分はダメな自分?――私たちは「感情」の役割を何も知らない
「怒りは敵と思え」
感情は人間を守ってくれる本能のシステム
怒りは人間の理性を乗っ取る
感ケア5(感情のケアに有効な5つの要素)
①刺激(連続性)
②体調・蓄積疲労
理由のないイライラは「疲労の2段階」の典型的な症状
③防衛記憶
④自信
人間は理性と感情で動くが、疲れてくると「感情」に乗っ取られる
⑤個人の対処法
我慢で怒りに対処する利点と欠点
我慢だけの人は、パワハラ上司になりやすい
アンガーマネジメントがうまくいかないのは?
「6秒ルール」をより効果的にするには
仏教の教え「怒りを手放す」難しさ
「個人の対処法」と現代日本人の怒り
現代人のイライラは「疲れ」が9割
2章 怒りはあなたの警備隊長――怒りの役割を正しく知る
怒りのメカニズム(1)怒りは自分の「警備隊長」
①力によって現状打破をしたいとき
②外敵への防御をしたいとき
③秩序維持(世直し)をしたい
怒りのメカニズム(2)警備隊長の活動
体と心を戦闘モードに変える
被害妄想スイッチ
自分最強、自分は正義という妄想スイッチ
怒りを表現したいスイッチ
味方工作と、敵か味方かの二分スイッチ
先制攻撃スイッチ
勝ち負けをハッキリさせたい、死なばもろともスイッチ
警備隊長の警備スイッチがオフになる要素
警備隊長の特性を正しく理解しケアする
3章 怒りの暴発を防ぐには、警備隊長をケアする――「6つのプロセス」で怒りをコントロール
怒りのパワーは思っているより強大
現実問題解決と感情のケアは別作業
怒りに対処する「6つのプロセス」
①刺激から離れる(物理的な距離、時間をとる)
体からアプローチする「DNA呼吸」
脳を活性化させる「お題目をつぶやく」
体を動かすのも有効
②疲労のケア(体調管理、蓄積疲労のケア)
③警備隊長(感情)のケア
(1)警備隊長の声を聴く
(2)敵の悪意や攻撃をきちんと推察する
(3)相手にきちんと対応するシミュレーション
対応シミュレーションをするときの注意事項
(4)敵への監視体制を整える
(5)周囲に愚痴をこぼし、味方を作る
④現実的対応を考える(感情と理性の共同作業として)
幅広い現実対応を導き出す「モデルの力」
どういう状態で思い出すか(触れ方)が大切
⑤記憶のケア(恨みにしないために、しっかりと整理する)
内的エスカレーションを避けるには
怒りの思考を強制的に分解できる「7つの視点」
蓄積疲労の観点で見てみる
ドタキャンする勇気を持つ
「イライラ」の種を見つけるゴールデンファイル探し
「上司にはメールではなく直接報告」は当たり前か?
「どこで止めるか」を考える怒りの経緯分析
⑥これまでの手順を数度、繰り返す
日ごろの小さいイライラ事象への対処が大切
私のイライラ対処体験
2代目社長にカチンときたCさん
4章 怒りっぽい人に疲れないために――迷惑な人への対処法
怒りっぽい人といると自分も「怒り」に乗っ取られる
パワハラの被害にあったときに、やりがちなこと
怒りっぽい人への日常の対応
味方工作と陰口のススメ
パワハラ加害者への対応を「交通事故の比喩」で考えてみる
パワハラをカウンセリングで直すのは難しい
パワハラの被害者への組織のケア
増えている「リモートハラスメント」
ネットで攻撃された人は、反論せず表舞台から半年、去りなさい
ネットで陰謀論にはまった人を改心させられるか?
5章 夫婦、親子、職場――怒りの多発地点での実践的アドバイス
お互い強い怒りを持つ夫婦なら別れればいい
子育ての怒りが出やすい2つのパターン① 保護者自身が疲れている
マウンティングは人の本能――ママ友とのつき合い方
子育ての怒りが出やすい2つのパターン② 親子パワハラ
親子関係で親に求められる、たった1つのコツ
「頑張らせること」重視の子育ては危険
習い事もすぐにやめたっていい
職場は役割の戦場、バトルも多い「怒りの多発地帯」
組織の力が急激に低下するターニングポイント
強い組織に不可欠な2つの要素
「退却」は軽やかに、なるべく元気なうちに
6章 抱えてしまった恨みは消せるか?――できること、できないことを見極める
老いと同じように、「恨み」も受け入れるしかない
まず記憶ではなく今の自分をケアする
恨みで苦しむ人のメカニズム
記憶を消そうとせず、共存しながら新しいことをする
複合的な恨みは、怒り対処の6つのプロセスを繰り返す
一発で悩みが解消するセラピーは、この世に存在しない
セラピーでかえって体調や感情が乱れることもある
裁判に訴えても心がおだやかになるとは限らない
毒親に謝ってもらえば、問題は解決するか?
中高年になって、親への怒りが湧き出してくる理由
おわりに ゴールは「まあ、いいか」が増えていくこと
「期待値」を適正にしていけば怒りも減る
期待値の修正に有効なこと
何もしないで「価値観を変えましょう」は無理