思わず「そうくるか!」と叫んだ一冊・河崎秋子著『介護者D』は、親とのしんどい関係を変える介護物語だ。トミヤマユキコさんによる書評を特別公開
思わず「そうくるか!」と叫んだ一冊
東京で派遣社員をやっている琴美は、父親を介護するため30歳にして北海道の実家に戻った。母親は5年前に交通事故で亡くなっており、妹はアメリカにいるので、介護要員にカウントするのは難しい。東京での琴美は、大きな仕事を任されていたわけでも、生涯を共にするパートナーがいたわけでもなかった。しかし、だからって、喜んで実家に戻れたわけではない。なぜなら、大事な「推し」がいるから……。
琴美は、アイドルグループ「アルティメットパレット」のメンバー「ゆな」を追いかけている。ステージ上で転んでしまっても、その空気を引きずることなくパフォーマンスを続けるゆなの健気さと強さに惹かれ、ゆなをずっと推すことが自分のやりたい(やるべき)ことだと思うまでになった。もはやゆなは人生の一部。親の介護くらいで卒業できはしない。
が、しかし。元塾講師で堅物の父親は、娘の気持ちを知るよしもない。カーステレオやテレビからアイドルソングが流れてくるだけで嫌悪感を示す始末。それは好みの問題としても、そもそも娘への思いやりがあるのかが怪しい。ケア要員としての娘を頼りこそすれ、ことさらに感謝したり、労ったりしないので、心の内が読めない。
娘としては、期待するだけ無駄といったところだろうか。長い時間をかけて形づくられてきた家族の形をいきなり変えるのは難しい。その形に沿うよう気を回す琴美からは、自由になりきれない長女の悲哀が滲む。同じような境遇にある仲間がいれば少しは慰めになっただろうが、地元で再会した女友達にはあまり話が通じない。介護従事者の集まりが心の支えになりそうだったが、コロナ禍のせいで通えなくなってしまう。真綿で首を締められるような孤独。ゆながいてくれなかったら、とてもじゃないが耐えられなかっただろう。
タイトルにある「D」とは、Dランクを意味している。父親の経営する学習塾で、琴美はDランクの生徒だったのだ。そして出来のいい妹はAランク。なにをやっても褒められないDと、ちょっとしたことで褒められるA。どこの兄弟姉妹にもありそうな、しかし、とてつもなくしんどい格差である。
家父長制と能力主義のヤバいところをじっくり煮詰めたような話なので、軽快に読み進められるわけではない。むしろ、じっとりと重い空気を感じ、浅く呼吸しながら琴美の人生を追っていくことになるのだが、ラスト近くで起こる「あること」が、風向きを一気に変えてくれる。どれだけ年を取り、足腰が弱くなっても元教師としての威厳を保っていた父親が、ただの人間に思えるような瞬間がやってくる。この展開があまりに意外で、おもしろくて、思わず声が出てしまった(そうくるか!)。
親の神格化が終わるとき、親子関係は大きく変わる。父親からジャッジされ続けてきた娘が、今度は父親をジャッジする。しかし、そんな反転が起こっていることを、父親はまったく知らない。彼はいつも通り暮らしているだけだ。つまり老父を痛めつけてスッキリするような、わかりやすい勧善懲悪は描かれないのである。淡々と続く日々の暮らしの中で、琴美の認識だけががらりと変わる。「学生の時、父にとってDランクだった私は、大人になった今でもDのまま。でも、背伸びをしてAランクを目指すことは、やはり、できないのだ」という言葉も、単なる自己卑下ではなくなっていく。
自由になりきれない長女をやっている人にも読んで欲しいし、アイドルファンにも読んで欲しい。神格化がまだ続いていると信じる父親が読むとちょっと凹んじゃいそうだが、親子関係を見直すきっかけになるのは間違いない。