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「忘れる脳力」は前に進んでいくために必要なこと。築地川のくらげ、最後のごあいさつ

 新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開してきたこの連載、今回がとうとう最終回。最後に嗜むのは、岩立康男著『忘れる脳力 脳寿命をのばすにはどんどん忘れなさい』(朝日新書)。築地川のくらげの最後の読書感想文を楽しんで欲しい。

岩立康男著『忘れる脳力 脳寿命をのばすにはどんどん忘れなさい』(朝日新書)

 記憶力には自信がある。
 というより、どうでもいいことをよく覚えている。記憶していたとて、役に立たないような事柄に強い。記憶はいかにデータを貯蔵できるのか。私の価値はそこにあった。暗記勉強の副作用だろう。なんでも必死に詰め込んで生きてきた。

 こんな記憶がある。
 3年前、はじめて築地市場の向かいにある朝日新聞出版を訪れたのは年末最終日、仕事納めの日だった。すぐ別室に通されたため一瞬しか目にしなかったが、どの席にどんな人がいたか。今も脳裏に浮かぶ。そう書くとえらく鋭い観察眼を兼ね備えた名探偵のようだが、実際は年明けに働きはじめたあと、自分の部署の席を改めて記憶したにすぎない。錯覚である。思えば、年内最終出勤日に面接とは随分とバタバタしたものだ。普通は年明けだろう。当時の部長がせっかちだからなのか。未だ謎のままだ。

 ところが、悲しいことに私は自分の部署にいる仲間の顔を思いだせない。書き出しとは大きく矛盾するようだが、そうではない。記憶の話題からは逸れてしまうが、もう少し書いてみる。

 2020年1月14日、私はこの会社で勤務しはじめた。例のウィルスの国内患者が確認されたのはその翌々日のことだ。日常が崩れる予感は正直、なかった。しかし、事態は急激に進む。部署内で備蓄マスクが配布され、みんながマスクをして仕事するようになった。やがて在宅勤務になり、出社しても部内にだれもいない日が続いた。開催予定だった歓迎会は中止になり、今もまだそのままだ。孤独が続いた。独りでいるのは嫌いではないが、それも度を越すと歪みがたまる。仲間の顔の目から下が思いだせない。だからたまに飲みものを口にする際など、ちょっとした拍子に口元を見ると、緊張する。これが私のこの会社での記憶。もちろん、こんな寂しいものがすべてではない。だが、記憶とはネガティブなものほど残る。それは人間の安全装置。危機から身を守るために本能的に嫌なできごとを覚える。

 千葉大学脳神経外科学教授の岩立康男氏による朝日新書『忘れる脳力 脳寿命をのばすにはどんどん忘れなさい』には記憶の在り方、脳の正しい使い方が書かれている。脳は記憶を無限に貯められるブラックホールではない。イメージとしてはPCのメモリに近い。なんでも放り込めば、いずれは容量が満たされ、機能不全を起こす。いらない文書はゴミ箱に捨てる。脳はその機能、つまり忘却を積極的に行う。忘れっぽいのは年齢のせいでも、頭が悪いからでもない。正常に脳が動いている証だ。「頭がいい人は、忘れる」「忘れる人ほどボケない」帯のキャッチコピーの通り、忘れることで、空き容量を作り、そこに新たな記憶をしまう。まるで上書き。夏に新しくなった私のPCはあっという間にメモリの半分を消費した。私が使うからきっとこうなる。なんでも記憶しておくことを美学に生きる自分を恥じる。

 人間の脳でも重要なシステムが忘れること。それを教えてくれただけでも本書に感謝だ。私はこれから忘れることにする。とはいえ、なんでも忘れてしまっては、そのうち「ここはどこ、私はだれ?」となりはしないか。答えはノー。記憶には種類があり、忘れないものとそうではないものとを脳は区別する。なにもかも忘れ去ることはできない。しかし、たとえば暗記学習やスピーチ原稿といった類の記憶は獲得から20分間で40%程度、24時間後に74%は忘れるという。いくら忘れることが脳の重要な機能とはいえど、そんなどんどん忘れてもらっては困る。この場合、記憶を定着させる方法もある。記憶は最初の20~30分で急速に減少する。つまり、30分以内に復習することが定着の近道でもある。脳が特に重要な情報ではないと判断する前に、これは大事な記憶だと教えればいい。こんなコツも本書は伝える。

 また集中力や脳の覚醒を促す物質は脳にとって毒だという。エンジン全開で集中して仕事をしまくったあとは、ぼーっとする。これがベスト。いつまでも集中モードで作業すると、やがて毒性を帯び、細胞を破壊、脳の劣化を早めるという。ものすごい勢いで毎日、長時間集中モードで仕事ができる人は優秀かもしれないが、じつは脳の衰えが早い。これは自覚したい。長く、元気に脳が動いてくれるには、集中と分散のバランスが必要。一気に仕事を片づけたら、その後はぼーっとした時間を作りたい。緊張と緩和。かつて私が演劇で学んだ作品のメリハリをつけるために必要なことは、脳にも当てはまる。観劇して心地よい芝居は緊張と緩和のバランスが絶妙だ。ふと笑ったかとも思えば、ドキッとする。私も自分の脳をそのように演出したい。

 私はかつて、築地市場で勤務していた。店の名を「米岩商店」という。第一大通路にあるマグロ専門の仲卸だ。本マグロ、メバチマグロ、キハダマグロ、天然、養殖、国産、輸入品。一口食べれば、すべて当たった。それだけ味に違いがある。ところが最近、マグロの味が分からなくなった。食べ比べセットで一口食べてみたが、ひとつも当たらなかった。築地で覚えたことをさっぱり忘れており、そんな自分が情けなく思えたが、おそらくそれは違う。いまの私にはもう必要ないことだと脳が判断したにちがいない。そうだね、もうマグロの専門家ではないよね。納得した。

 そして私はもうすぐ築地を去る。今日は約2年ぶりに築地を散歩した。市場勤務時代、配達で毎日走った平成通り。三輪バイクでライトバンのどてっぱらに突っ込んだときの痛みがよみがえる。やはり嫌な記憶が瞬時に出てきて、脳とはそういうものだと知る。京橋郵便局の向かいのビルが解体されていた。知らなかった。市場が更地になったようにこの町も変わる。そして私はいつかこの町を忘れてしまうのか。いや、忘れるはずはない。記憶に残る築地と未来の街並みに齟齬があるだけだ。

 さて、次はどの町を浮遊するのか。ひとつ確実なことは、こうしたライティング活動はこれからも違う名前だが続けるので、そのうちまたどこかで、文字でお会いしましょう。

(文・築地川のくらげ)


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