【8コマ哲学】男女問わずモテモテだった哲学者・サルトルが変えた“結婚の意味”とは?
「あなたは何にでもなれます」なんていわれても、「そんなことねぇよ」ってぼやきたくなりますよね。でも、理屈上は本当に何にでもなれるんです。サルトルはこんなふうに言ってます。「人間は自らつくるところのものになる」ってね。
物はいったんつくられたら、生涯その物のままです。運命は変えられないわけです。いくら頑張っても。でも、人間の場合は頑張れば運命は変わります。たとえば、ペーパーナイフは、紙を切るという用途や役割(本質)が先にあって、この世に存在(実存)する。つまり、本質が実存に先立つということです。しかし、人間は逆で、運命は変えられる(実存は本質に先立つ)。これをサルトルは、「実存は本質に先立つ」と表現したわけです。
その後、「実存は本質に先立つ」は実存主義を象徴するスローガンになりました。そして、サルトルは言行一致で、自ら実存主義を実践しました。たとえば、世の中を変えるためにデモをしましたし、何より結婚も自分の好きなように変えちゃいましたからね。
彼は“結婚の意味”そのものを変えちゃったんです。同じく哲学者の恋人・ボーヴォワールと“結婚”したんですが、それは“契約結婚”といって、二人ともいくらでも恋人をつくっていいというものでした。そうしてサルトルは、他の女性たちと浮名を流します。二人はいろいろありながらも、生涯の伴侶として連れ添いました。
「それって、結婚っていえるの?」と思うかもしれません。ただ、自分がいいと思う制度がなければ、自分でつくってしまうというのが実存主義なのです。なんだか究極のわがままに聞こえますが、みんな、心の底ではそうした生き方に憧れていたんでしょうね。
だからサルトルは、男女問わずモテモテだったし、人々から慕われていたのです。彼の葬儀には、なんと5万人もの人たちが駆けつけたというのですから。それは単に彼が20世紀の知のスターだったからだけではなく、自分で人生を切りひらくのはそう簡単じゃないと、みんなわかっていたからなんでしょうね。サルトルの人気は、そんな彼への尊敬の表れでもあったように思えてなりません。
(文/哲学者・小川仁志)