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【8コマ哲学】人間の認識能力の限界を説いた、哲学者・カントの逆転の発想「コペルニクス的転回」とは?

「コペルニクス的転回」をご存じでしょうか。これは「逆転の発想」のことで、18世紀に活躍した哲学者・カントが提唱した「人間が物を認識しているのではなく、物が人間に合わせて存在している」という考え方です。2022年7月に発売された『ざっくりわかる8コマ哲学』(小川仁志著、マンガ:まめ/朝日新聞出版)では、東西に広く知られる35人の哲学者の思想を、8コマまんがでざっくりゆる~く解説。ここでは、ドイツ観念論の源流となったカントをやさしく解説します。

小川仁志著/マンガ・まめ『ざっくりわかる8コマ哲学』(朝日新聞出版)
小川仁志著/マンガ・まめ『ざっくりわかる8コマ哲学』(朝日新聞出版)

 カントは、厳格な性格で有名でした。時計が時を刻むように正確な日常を送り、コツコツと研究をする「ザ・哲学者」といっていいでしょう。散歩も食事も読書もすべて決まった時間にしていました。町の人は彼の散歩の時間で時計を合わせたとまでいわれています。その厳格なカントの哲学もまた、とても厳格なものでした。人間はどう物事を認識し、そこにどのような限界があるのかといったことを厳密に理論化したわけです。

 たとえば、私たちは犬を見て、「あ、犬だ」と思いますが、カントにいわせると違うのです。むしろ犬のほうが私たちの目に合わせて犬になってくれている、と。そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、考えてみれば、私たちは犬を知っています。だから犬を見たら犬だと思うのです。

 ということは、私たちが勝手にあれは犬だと決めているだけで、犬が「私は犬です」と主張しているわけではないということです。その証拠に、私たちは得体の知れないものは認識できません。お化けもそうでしょうし、神もそうでしょう。この逆転の発想は、コペルニクスの地動説になぞらえて、「コペルニクス的転回」と呼ばれています。

さすがにレシピは生まれつき備わっていないと思いますが、人間には経験に先立つ能力があるのは事実です。たとえばカントによると、時間や空間の概念は、物差しとしてあらかじめ持ち備えているといえます。そうした経験に先立つということを、「アプリオリ」と呼ぶのです。これに対して、経験に基づいてということを、「アポステリオリ」と呼びます。(言葉・小川仁志/イラスト・©mame)

 私たちは自分の中にあらかじめ備わった、物事を認識する仕組み、時間や空間といったアプリオリな物差しで測れる限りにおいて、物事をとらえることができるにすぎません。それ以外のものは「物自体」といって、人間にはあずかり知れない存在なのです。

 たとえば赤いりんごは、人の目のフィルターを通してそう認識しているにすぎない。はたして宇宙人が見たらそれは赤いりんごなのかどうか? つまり人は、その「物自体」にたどりつくことはできないというのがカントの主張で、それが人間の認識能力の限界だということです。

 ……なかなか厳しいですね。そのほかにも、カントは「人間は正しいことを無条件にしなければならない」という厳しい倫理を提起したり、「永遠平和を実現しなければならない」などと唱えたりしていました。こんな人と一緒にいたら疲れそうですよね。でも本人はそんな人生に満足していたようです。最後の言葉は「もうこれでいい」だったそうですから。

イマヌエル・カント
1724~1804年。『純粋理性批判』『実践理性批判』で知られるドイツの哲学者。「物自体」の概念により、大陸合理論とイギリス経験論を統合し、ドイツ観念論の源流となった

(文/哲学者・小川仁志)