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坂本九という人

坂本九という人

 キミは坂本九を知っているか。
——— ええ、あたしは彼を忘れません。

 人の死は2度あると云う。
1度目は肉体の朽ちたとき、2度目は忘れられたときである。

 1941年、九ちゃんは神奈川に生まれた。
 九ちゃんと言えばスローなメロディに想い込めた歌の印象も強かろうが、 実のところ、ロカビリーっ子なのである。しかも結構激しめ。 エルヴィスよろしく米国の音楽に影響を受けた彼は、 バンドに加入し、日劇ウエスタンカーニバルで新人賞を獲得した。

 その後、新たに『ダニー飯田とパラダイス・キング』というバンドに加入する。
 あゝ、パラキン。愛してるよパラキン… 。パラキンといえば、米国のポップスを和訳した『訳詞ポップ』を始め、かなりの人気を博したらしい。 当時の人々はさぞ熱狂したろうなぁ。なんせ、流行りのきらびやかに見える異国の音楽を、自分たちの言葉で聞けると云うんだ。興奮だよ。 九ちゃんがいた頃のパラキン、たまらん。

 その後、移籍し、ソロで発表したのが『上を向いて歩こう』である。
 これは米国においても『Sukiyaki』なんて腹の減る名前で売られたわけだが、なんとこれがかのビルボードで1位となった。しかも3週連続。 60年代の前半。 どういった時代か? 九ちゃんはドイツにおいて、ナチス式敬礼をしながらこの曲を歌っている記録もあるらしい。 あの時代に九ちゃんは、生き、そして歌った。 ほかにも映画なりテレビなり、いろんなところで活躍して、その表情はいつもにっこりと、かつコミカル。

中坊のぼくを救った九ちゃん

 ぼくが彼と出会ったのは中学生の時である。
 当時の僕は、ハッキリいって世の中に怒っていた。 当時は学校や塾がぼくの世界の全てであったし、その中で繰り返される人間の下心的なものがたまらなく厭だった。思春期だと言われればそうだが、渦中の当人には相当のものであった。 表面は上手くやれるけれど、あの時期に「快さ」はなかった。

 そこに風を送ったのが、九ちゃんである!
 YouTubeであったかテレビであったか、もう定かではないが、ぼくは『上を向いて歩こう』の虜になっていた。 あれは末の中学3年生だったと思うが、たまたまテレビでソレが流れて母の前で号泣したこともある。 九ちゃんはもちろん歌が上手いし(それも独特な歌唱法)、いつも笑顔だし、人柄もいい。 しかし、ぼくが彼を好きな1番の理由は、『母性』である。誰がなんと云おうと『母性』なのである。
 母性はなにも、いわゆる"女"だけじゃないとぼくは定義する。 母性は海であり空であり、ひいては地球である。 つまりは何か広大な、壮大な、包み込むもの。 ぼくは九ちゃんの歌と言葉で、いつだって胎児になれる。 あったかくて、やさしくて、安心する。

 さよなら さよなら。
 この(映像の)曲のタイトルである。 歌詞は繰り返しである。しかし、着物で雄々しく歌う坂本、感化されるように腕を振るう指揮者中村。言葉もわからぬというのにこんなにも鼓舞される観衆。すべてが一体で、美しくて、ぼくはこの映像を10年前に何度も何度もみた。「さよなら」と云うくせ、明日への希望だった。 一体感の出所は九ちゃんであり、その母性だと思えて仕方ないのである。

九ちゃんは有名な飛行機墜落事故でなくなった。
当時の人々は、非常にショックであったと聞く。
ぼくは彼を二度、死なせはしません。

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