気を散らすための天使は蝶々の羽根を持っている
絶望に取り憑かれてしまうことを、遠くに輝く星を見ていて思いました。
(以前から思っていた事だけど、このタイミングで出す事で誰か傷ついてしまったならごめんなさい。でも届いて欲しい人もいるので出します)
本当に、人間はカメラに似ていると思う。神様は自分に似せて人間を作ったというが、人間は自分に似せてカメラを作ったのだろうか。
カメラがそのレンズに集めた光でこの世のイメージをボディに映し出すように、私たちも神経を使って集めた情報を脳で組み立ててこの世を作ります。人間がニュートラルにこの世を把握するということはかなり難しいことです。(カメラだって絞り、露出、シャッタースピード、レンズの種類、構図、トリミング、ピントの位置などなどで全然写りが違います。ニュートラルな写真など存在しないのです)この組み立て方は、情報の取捨選択には個人個人の癖や、その時の個人の状態にかなり依存します。私たちは同じ世界に生まれながら、同じ世界には生きていません。世界は私たちの中で組み立てられているのです。私たちが脳の中にいる以上、自分で組み立てた世界で生きるしかないのです。
これは言い換えると、自分の世界は自分で作れるということ、あなたが自我を持つ人間であるなら、自分の世界にはある程度の責任を持てということ。
もちろん、起こることはこの世の物理法則に則って、平等に起こります。形あるものはいつか壊れ、形ないものも無常です。しかし、それらはただの情報であり、それに対して悪い、良い、美しい、醜い、嬉しい、悲しい、といちいち判断を下しているのは私たちそれぞれ個人の脳です。この世(だと思っている)ほとんどがこの勝手な判断による妄想による幻想です。
一度、騙されたと思って、自分の脳の中を整理してみてください。何かを見たり聞いたりしたときに思った事を、情報なのか、妄想なのか分けてみると、本当にいちいち色んな事を思って、その勝手に思った事を事実と勘違いしていることに驚くと思います。
私は妄想することが悪いと言っているわけではありません。それはこの世に生きる素晴らしいいろどりであることは確かです。どのような感情も感覚も味わうためにあるのです。感想の湧かない世界など味気ないものでしょう。
ただしかし、それは自分で選び、作り上げているという事を自覚して欲しいのです。特に悲しみや苦しみ、怒りや憎しみに襲われた時に。問題はほとんど外の世界にある情報ではなく自分自身の中にあります。なぜ自分が世界をそのように組み立てているのかを立ち止まって見直して欲しいのです。
例えば、子供の頃に出来の悪い邪魔な子と言われたとして、それがずっと心の底に残っていたら、ただ他人に「やめてください」と言われた時に、言った人は
「やめてください」(やめてください)
のつもりでも、
「やめてください」(いい加減にしろよこの穀潰し)
くらいの強さで聞こえてしまい、深く傷ついたり、相手を恨んだりしてしまいます。※1
自分は役に立たないという妄想によって相手の表情や声のトーンも違って見え、歪んだ組み立てによって自分に優しくない世界を作ってしまうのです。カメラで言うと経験という余計なフィルターがかかっているんです。経験による予測も妄想です。例えそれが合ってたとしても、実際確認してないなら自分の中で勝手に考えているに過ぎません。過去起こったことと現在起っていることは別のことなのですから。
そして人間は、絶望に触れてしまうと、異常に視野が狭くなります。それはまるで望遠レンズで森の中で小鳥を見ているような状態です。望遠レンズで小鳥を見ている時は、周りにどんな木が生えているのか、他にどんな生き物がいるのか、雲の状態だって見ることができません。絶望を見ている時は、絶望だけしか見えないレンズを選んでいるのです。
友人で恋人を自死で亡くした人がいます。
当時、彼女は当然深く傷ついていましたが、
「私も死んじゃおうかなと思ったこともあったけど、本当に死にたくて死ぬ人っていないと思うんだよね」
と言っていました。
私はそれを聞いた時はその言葉が理解できなかったのですが、なんだか印象に残ってずっと記憶に残っていました。
今ならそれが理解できます。自死してしまった彼は、それに集中してしまっただけなんだと。
苦しみや悲しみは、何度も私たちの脳の中に生まれてくるものです。でもそれは死にいたるものではないのです。それ以外にもあなたの世界を組み立てるための情報はいくらでも豊かに用意されているのがこの世です。
一人で絶望にズームインしている人の視点を変えるのは難しいことです。ふと、そこから気が散るためのものは芸術であり、娯楽であり、官能であり、社交であり、義務や災害かもしれません。何がそのきっかけであり、その人の天使になりうるのかはわかりません。気が散る天使は、運命に従って訪れているのかもしれません。※2
私には、運命を見る力も、大きな声もありませんが、大きな海にボトルを流すように、インターネットに雑多なものを流します。作品を作ったり、人とコミュニケーションをとったりします。私やあなたがそんなふうに存在することによって、いつか誰かの気が散れば良いなと思っています。
※1(個人的には役に立たなくても全然OKですし、どんな状態でも失敗しても誰に何を言われてもあなたの価値は変わらないですよ。オッケーです。あなたはオッケー。これだけは妄想ではなく真実です)
※2ホルモンとか神経の病気が原因で死にたい気持ちが脳内物質として暴れてるってこともあります。私は医者じゃないけどその可能性がある場合は速やかに病院に行ってください。文明が解決することもある。
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