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クリエイターは死ぬのが仕事なんだ

「ベトナム戦争のとき」と、アメリカの偉大なる作家カート・ヴォネガットは語っている。「この国のまともなアーティストは全て戦争に反対だった。レーザービームのように一致して、みんな同じ方向をみていた。しかしその力は6フィートの脚立からカスタードパイを落としたくらいだった」

先日、後輩と飲みにいった。

たぶん僕は後輩に気前よく奢る方で、ひとつにお金の使い道なんて、突きつめると誰かを食わしてやること以外にないからで、ふたつ目には迷える青春の話を聞くのが好きだから。

僕は注意深く聞く。迷いや悩みや葛藤を。だからいろんな後輩たちが、ランチや夕飯や酒をたかりにやってきてくれる。

アーティスト志望の者もいる。パフォーマーや、クリエーターや、呪われた作家志望まで。僕のことを〝夢を叶えた者〟と見立て──そんな良いものではないのだが──スプーンひとさじほどでもヒントを得られないかというように。

とはいえ僕の口から出るのは「努力しよう」「それでも必ず成功するかはわからない」「したたかにやりなさい」「僕も切腹を考えてるよ」といった妄言の数々だからキューリのピリ辛漬けにも劣る。

いつも迷える後輩たちを前に感じることがある。

その後輩たちの人生には、間違いなく、ひどい地獄が待ち受けていること。午前三時にコーヒーを淹れて、テーブルの上において、その水面をながめたまま、はや三時間経過していた──という夜を過ごさねばならないこと。何かを手にするために、本当に失いたくなかったものを失わなくてはならないこと。その挙句に手に入れるものは、海外の硬貨に彫られた大統領の横顔の目のくぼみのような、ちっぽけな虚無であること。

こんなことは説明できるものではない。ある種のものごとは、説明して理解させるものではなく、ただ本人が体感するしかないから。本当に伝えたいことは伝わらない。そういうものだ。

「ほんと毎日つらくて」その夜、ビールを飲みながら後輩はいった。20代前半で人生の負の側面を知りはじめたようだった。「人生のことを考えすぎて、もう鬱になりそうで。はやく楽になりたいなとか考えてます」

「安心しな」僕はすでに酔っていた。「10年後も変わらないからさ」

その後輩は僕に影響されてか、わずかに文章を書きはじめていた。誰にだって執筆する権利はある。人権は失われるが。

「文章を書くのって大変なんですね。悩みが深まって、死にたくなりません?」

「わかるよ」僕はさらにビールを飲んだ。

「自分の文章がまだまだってのもあるんですけど。ほんとに深く考えちゃって──ドツボみたいな。もうヤバいですね。考えない方がいいですよね?」

「いや、もっと考えないといけないよ」僕はさらにビールを飲んだ。頭の奥で、きらきら星がくるくる回転して、夜空の星たちが讃美歌を合唱していた。「もし君が普通の後輩なら、もっと別のことをいったかもしれない。でもクリエイターを目指すなら、こういうしかないんだ」

「はあ」

「悩めない人たちのぶんまで、悩んで、それを作品にして届けるのが仕事なんだから」僕はいった。「クリエイターは死ぬのが仕事なんだよ」

僕はいつも炭鉱のカナリアをイメージする。どこまでも真っ暗な洞穴を進む鉱夫たちがロウソクの火とともに吊り下げる鳥籠のなかにいれられた小鳥を。

鉱夫たちがカナリアを持ち歩くのは慰めのためではない。地下から毒ガスが噴きでたときに、人間より先に死ぬから。カナリアが死んだら「この先は危ないぞ」と、ツルハシや地図やシャベルを置いて一目散に逃げるためだ。

アーティストはカナリアだ。

その感性によって、その時代の毒ガスを察知して、カナリアの歌のように作品をつくりあげる。その作品は、ときには熱狂をもって迎え入れられたり、ときには痛烈な風刺になったり、ほとんど路上のアルバイト募集のポスターのように無視されたりする。

そのころカナリアは死んでいる。そういうものだ。

すごくダークなことを書いているのは自覚している。自分の胸だけにしまっておく類のことなのかもしれない。けれど、こんな絶望的な考えだって、ときには誰かの救いになるかもしれないでしょう?

あの夜、酔っ払って伝えきれなかったことは、つまり、そういうことなんだよ。

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浅田さん
ありがとうございます。あなたの「スキやサポート」をインクにとかして続きを書きます。約束します。