「父に言い返してしまう私」に本気で向き合ってみたら、もれなく「自分の言葉の怖さ」に気づいた。
「親に言い返してしまう生意気な子ども」
私はそんなわがままな子どもの1人でした(時々ですになってしまいます笑)。
✔︎パパだってこういうとこあるじゃん!
✔︎わかってるよ!
✔︎パパにはわかんないよ!
このように、私がいつも言い返してしまっていた父が
今日、51歳の誕生日を迎えました。
おめでとうございます!!!!
今日は、そんな父とのこれまでを振り返りたいと思います。
父といえば、超大手企業のトップセールスマンとして全国を周りながらも
家族サービスも満点。そんな、すごい人です。
お休みの日には洗濯物をしたり、お風呂洗いをしたり
私が小さい時には毎週キャンプやスキー、公園、数々の旅行。
私が勉強をできるようになったのも、足が速いのも、
父と一緒に小学生の時
✔︎お風呂で「パパ塾」をやってもらったり
✔︎朝早く起きて走る練習をしたり
そんな父の私への大変な奉仕活動があったからです。
今も、私の思いを尊重してなるべく自由にしてくれて
でも危険がないように守るところは守ってくれる。
本当に、私を、私たち家族を大切にしてくれています。
でも、だからこそ、本当に大切に思ってくれるからこそ
私や弟の態度が悪かったり
スタンスがよくなかったりすると
ものすんんんんんごい勢いで怒られます。
大学に入ってからも何度も
泣きすぎて息ができなくなるほど怒られています笑
(恥ずかしー笑)
怒られた時、1年ほど前までの私は、
自分の弱みを受け止めることが苦手で
「パパだってこういうとこあるじゃん!!!!」とか
「わかってるよ!」とか
「パパにはわかんないよ!」とか。。。
生意気にも散々に言い返していました。
(高3の時、一回の喧嘩がきっかけで
4ヶ月ほどお互いに口を聞かなかったこともあります笑)
きっと自分に余裕がなかったんだと思います。
学校でも様々な人間関係の問題が混雑し、
自分のアイデンティティがよくわからない思春期に、
✔︎自分の弱みを受け入れる余裕
✔︎他の人の意見を本当の意味で聞く余裕
がなかったんだと思います。
当時の私は、気づきませんでした。
**私が言い返す度に、
私は父を、傷つけてしまっていたことを。**
「パパにはわからない」
「パパだって悪い」
そんな言葉を言っていた私。
傷つけていることに、全然気づかなかったです。
私が怒られて傷ついているだけとばかり思っていました。
本当は、叱る人の方が苦しいのに。
注意されるより、「まあいいか」と放っておくより、
注意することの方が、ずっとずっと辛いのに。
やっと、自分の軸をもてたことで自分の心に余裕が出てきて
そんな当たり前の
「自分の言葉の怖さ」
に気づきました。
先日まで話題になっていた「3年A組ー今から皆さんは人質ですー」でも
「言葉の怖さ」「SNSの怖さ」が語られていました。
みんな、誰に対しても
その一言、その発言が、誰かを勇気づけも傷つけもします。
そんな中でも、私は今日、父の誕生日に
「父に言い返していた私」と向き合って、
そんな中でも
✔︎私を大切に思ってくれている人にこそ、言葉に気をつけなきゃいけない。
✔︎大切に思ってくれているからこそその一言が、大切な人を傷つけやすいから。
ということに気がつけました。
いつも私たちを気にかけてくれる父。
最大限に私たちの幸せを願って、支えてくれる父。
私たちのために一生懸命働いてくれて、家族サービスも100点な父。
そんな父に、
「パパにはわからないよ」なんて言葉を言うなんて
すごくすごく失礼でした。
父からの、存分にもらっていた愛情を
へし曲げる行為をしてしまっていたことに
やっと、22年もかかって、気づきました。
本当にごめんなさい。
家ではこんな私でも
外では褒めてもらえることもたくさんあります。
インターンシップでお世話になっていた企業の方に、
「ゆりちはアンパンマンみたいだね。
いつもみんなに元気や勇気を与えている。
でも1人じゃ辛い時は絶対あるから、
ジャムおじさんみたいに、そのエネルギーを補充してくれる人を見つけられたらいいね。」
と言ってもらったことがあります。
私にとって、いつも私に影ながら
エネルギーを補充してくれるのは、他ならぬ父です。
私というアンパンマンは
父というジャムおじさんによって作られて
父というジャムおじさんに補充してもらう新しい顔で
毎日、夢を持って、元気いっぱいな
充実した楽しい日々を送れています。
いつも本当にありがとう。
これからは、私が父を幸せにしていけるように。
父の夢を、叶えていけるように。
これからは「恩返し」の人生だと思うから、
頑張るね。