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人生の最後の日を誰と過ごしたいか


あるひとが、『人生の最後の日を誰と過ごしたいか』と問いました。

今日か明日にでも会う方法を考え、できるだけ頻繁にその人に会うようにと付け加えた。

最後の日の人。

わたしの場合、それは明らかでした。

その”誰か”と毎日会えているのなら幸運です。

でも、先を見ていないわたしは有難さを認識していなかった。

いつか、どちらかが入院なり施設に入り、会えなくなるでしょう。

大切な問いは、いつも大切にされにくいのですほろほろ。



1.やがての日常


1階の大浴場から出て、かのじょがエレベータの前で待っていると、

後ろからおじいさんとおばあさんが近寄って来た。よろよろ。

エレベータが1階まで降りて来る。ドアが開く。

かのじょは乗り込み、ドアの「開く」ボタンを押し、おばあさんが入るのを待った。


ここは、圧倒的に女の園。

80代、90代の老人ばかりだから、夫はさっさと亡くなっている。ほろほろ。

おじいさんは、別な棟に住んでいるらしい他所の人。

エレベータの中に入って来たおばあさんが、ドアの内から廊下のそのおじいさんに言った。

デートの確認。簡単に済むはずだった。


「じゃあ、8日の金曜日に行きましょうね。わたし、お迎えに伺うわ」とおばあさん。

「はい。じゃ、6日の金曜日にね」とおじいさん。

「いえいえ、そうじゃないですよ。8日金曜日ですよっ」

「はい。じゃ、8日水曜日ですね」とおじいさん。

「いえいえ、8日金曜日ですよっ」とドアの中からおばあさんがもう一度いう。

「おお、、じゃあ、6日金曜日にねっ」

「いえいえ、そうじゃないのお。8日金曜日ですよっ」

「おお、、分かりました」

ほんとに、分かったんかい!


おじいさんは、最初、日にちに操作してしまった。

で、誤りを指摘され、今度は曜日を操作している。

そのうちに、なにが何だやらに・・。


ドアの開ボタンを押し続けていたかのじょは、なかなか出発できなかった。

待たされたけど、でも、面白かったわぁ~とかのじょが笑ってわたしに報告した。

かのじょは、始終、笑える話を拾って来てはわたしに食べさす。ぱくっ。


いや、わたしはこれが笑えなかった。

昔からおじいさんが、こんなヘンテコなことを言っていたとは思えない。

大事なデートなのだ。行く気満々で復唱したのだ。

が、90歳を超えると、半数が認知症だそうです。

そこまで行かない人も半数いるけど、とにかくどんどんこうしてボケて来る。

わたしも仲間入りするに決まってる。

おお、、いったいどうしたらいいのやらほろほろ。



2.93歳のおじいさんがいう


つらつらとYouTubeのショートを見ていたら、93歳のおじいさんがこんなことを言っていました。

『あなたが車を一台持っていて、一生その車にしか乗れないとしよう。

当然あなたはその車を大切に扱うだろう。

必要以上にオイルを交換したり、慎重な運転を心がけたりするはずだ。

ここで考えて欲しいのは、あなたが一生に一つの心と一つの体しか持てないということだ。』

おお、、含蓄あるお言葉っ。

しっかりした93歳だ。素晴らしいぞっ。


こう言ったのは、アメリカ有数の資産家ウォーレン・バフェットだった。

全米の時価総額トップ5に常に入るバークシャー・ハサウェイの現役CEO。

たんなるどこかのおじいちゃんが、ほろほろ言ったのじゃない。

彼がどのように資産を築きあげたかは、とても興味深い。

あまりに当たり前な方法過ぎて誰もマネれない。(そこは、本日は割愛)

ずっと昔から、わたしはバフェットを追いかけているので、この言葉も見逃せなかった。


先の言葉には、続きがありました。

『常に心身を鍛練しなさい。

けっして心身の手入れを怠らないようにしなさい。

じっくり時間をかければ、あなたは自らの心を強化することができる。

人間の主要資産が自分自身だとすれば、必要なのは心身の維持と強化だ。』

おお、、そういえば、かのじょもけっして心身の手入れを怠らないぞっ。


いつものように、彼の言葉はとても当たり前すぎるのです。

お金は一度失っても再び獲得するチャンスは来るけど、自分の心身は1回性の資産です。

でも、意外なことに、これを肝に銘じ常に心身を鍛練し手入れを怠らないという者を見た記憶がない。

実は、わたしもそんなふうに思ったことがない。

たいがい、思い通りにならない自分を叱ったり、不甲斐ない自分を責めている。

休みの日も娯楽や付き合いに身を引きずり回して来た。

暴飲暴食もする。

ガンやウツになると、この身をきっと責めるだろう。

虫歯と高熱出た時だけ、「いつも、すみません」と有難がる。

仕事では、俺には才能が無いんだ!とか言っちゃう。

まるで目下の奴隷扱いだった。



3.93歳のおじいさんのヒミツ


彼には、いったんその通りだと理解したら、ずっとそれをやり続けるという”特殊”能力がありました。

当たり前なことを実行し続けるには、継続する力が要る。

いったん決めたのなら、四の五の言わずに実行し続ける。

でも、たいがいの人は続けません。惑わされ、浮気をし、気が散る。

抜きんでた人とは、多少の才能を元手に、大切だと納得したことをずーっと継続した結果でしかない。

まさに、バフェットらしい言葉だったのです。


彼が継続力をどう担保しているかですが、彼はその選ぶ選択肢(例えば株式銘柄)の10年後をしつこく思い描くという。

そう選択する理由を1ページ書き続けられないなら、選ばないと断言してる。

「間違っているかもしれないが、私はいつも理由を把握しています」と言います。


「一生に一つの心と一つの体しか持てない」という視座。そして「私はいつも理由を把握している」という視座。

彼は、体やマインドと、「わたし(自己)」とを同一視していないのです。

ふつう、人は、怒った!と感情が言えば、そうだっ、わたしは怒ってる!と翻訳してしまいます。

怖い!といえば、怖がっているのは「わたし」だとなってしまう。

感情や思考が浮かぶや否や、すぐさまその感情や思考と自己とを同一視してしまう。

けれど、感情や思考には根っこが無いのです。

浮き草の様に漂います。そして消え去ってしまう。

こうして、ふつうは「わたし」が無意識な層に流れて行きます。

3日坊主というように、一貫できないのです。

うまく伝えれていないと思いますが、

この視座の確保こそが、神のごとく投資し続けて来れた彼のヒミツの1つでしょう。



4.オチを付けれないけど


心身が崩れて行く時、わたしは何を維持、強化に励むというのでしょう?

バフェットじいさんに、あなたは何をしているのかと聞いてみたい。

全米時価総額10本指に入る投資会社のCEOなのです。

80歳過ぎたら、大統領職だって務まらないのに93歳で淡々とやり続けているあなた。


いや、聡明な人たちは、境界を見極め、覚悟するということが際立っていることに気が付きます。

かのじょでいえば、自分の出来ること出来ないことの境界をリアルに受け入れている。

だから、出来ることはずっと配慮するし、継続する。

出来なくなったら、その時、まだ出来ることを探すだけです。

出来ない領域で自分を無理強いしません。そんな無駄なことはせず、可笑しいことを探しては持って来る。

出来ないことは、ダメではない。

出来ないことは、出来ないという事実でしかないとかのじょは言う。


かれらには、出来ないことがきっと山の様にあるのです。

そうだとしても、駄菓子菓子、末永く出来ること、続けねばならないことはある。

近所の女性とデートすることは、曜日も日時も分からなくなっても、大事なのです。

それがキープできないと騒いでもしかたない。代わりにがんばるべきことや、やり方がある。

でも、何が出来て、何が出来ないかの境界を受け入れていないとならない。

そこを曖昧にしておくと、誤魔化しや混乱ばかりになる。

自信を失い、笑いも去る。

逆なのです。ボケが恐ろしいのではなく、やるべきことを放棄しボケのせいにしてしまうことがヤバイのです。


パートナーが亡くなったら亡くなったで、また、楽しみを探す。

ボケたらボケたなりに楽しむ。でも、出来ることはずっと配慮するし、継続する。

きっと、かのじょは最後の時までそうするでしょう。



P.S.


昨年末、米投資会社バークシャー・ハサウェイで長年副会長を務め、バフェットを最も身近で支えてきたチャーリー・マンガーが亡くなりました。99歳。

バフェットは声明でこういいました。

「バークシャー・ハサウェイはチャーリーのインスピレーションや賢明さ、関与がなければ、今の地位に達することは決してできなかった」と故人をたたえた。

マンガーはバフェットと一心同体となってバークシャーの最適な資金配分に取り組み、バフェットが間違えればすぐにそれを指摘する役割も担って来ました。

バフェットひとりで達成できたわけではないのです。

誰にも、とても大切なひとはいるでしょう。

冒頭の言葉、『人生の最後の日を誰と過ごしたいか』もバフェットが言ったのです。



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