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あなたの居場所 ー おにぎりを与えるひと
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」 (マタイ11:28〜30)
その筋(聖書)ではとても有名なフレーズでしょうが、わたしは初めて目にしました。驚いた後、わたしのこころがぱっーと開いた。
1.声がする時
とことんダメだった日でしょう。すべてが裏目になって打ちつけて来た日。
あがき疲れました。
もう家に帰ろう、、と絶望色のわたしは夕暮れの街をとぼとぼ歩いています。
もうすぐ家だという道の角で、ふらっと現れた長衣の人に出会う。その人の瞳がとても澄んでいることにわたしは気が付きます。
そのひとは、不思議なほどに穏やかな声でわたしに語りかける。
「わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。」
ああ、、こんな日にそんなこと言われたら、わたしあなたに付いて行ってしまう。
その声はいつまでもわたしの耳に残り続け、後日わたしは教会の門をくぐろうとする。
それは、あなたがどこか懐かしいひとだから。
打ちひしがれた日々に、わたしはあなたにもう一度会いたいと思ってしまう。。
紀元26〜30年頃のイスラエルでこの言葉が発せられ、2000年の時を経たんだそうです。
今更ながらに驚愕しました。
あなた自身が手を広げながら、こう言っている自分を想像してみてください。
わたしは言われている姿は想像できましたが、そうじぶんで言っている姿は想像できませんでした。
じぶんの中をどうひっくり返してもこの言葉を見つけられなかった。
ほんとにこんなことが言える人間がこの地上にいたなんて信じられない。
おお、、あまりに巨大な愛のかたまり。。
いったいイエスとは何者だったんでしょうか。
2.おむすびの里
暑い日が続きます。先日、かのじょがおむすぎを結んでくれました。
おむすびを食べるとほっと和み、食欲がないときもおむすびなら食べられます。
佐藤初女(サトウハツメ)さんは、訪ねてくる人たちを迎えるための宿泊施設「森のイスキア」で手作りの料理を用意しました。
心を病み、つらく苦しいことがある人たち。ひとたちはどうしようもなくなった時、口コミで聞いた青森のイスキアまでおずおずと来ました。
行っていいんだろうか?迷惑じゃないだろうか?甘えかな?行ってどうなるというんだろう?
でも、ふらふらとどうしてもそこに行ってしまう。
初女さんは、共に大きな丸い食卓を囲み心を分かち合って食事をしました。
有名なエピソードが伝わっています。
ある時自殺念慮にかられた若い男性がイスキアにやってきた。
佐藤初女さんは、深刻な青年の様子を見て、宿泊していくことを勧めます。
けれど、その青年は泊まることを頑なに拒否して帰ると言い張ります。
初女さんは、少し待つようにと言って、おむすびを用意しその青年に渡しました。
青年は、帰りの列車の中で何気無くそのおむすびの包みを開きました。
すると、タオルに包んでくれたお陰で、ほんのりと温かい、まるで握りたてのようなおむすびが出てきた。
そのおむすびを口に運んだ瞬間に彼は驚きました。
今まで、こんなにも素晴らしいおむすびを食べたことがなかったのです。
口の中で、お米が自然とほどけてゆく。。まるでお米が生きているかのように口の中で踊るんです。
その美味しさと言ったら、この世のものではないほどだった。
青年は思いました。
こんなにも美味しくて手の込んでいるおむすび、しかも自分の為にこれほどの手数をかけて苦労しておむすびを握ってくれるひとがいると気付いた。
自分はひとりぼっちで、誰も自分のことなんか気遣ってくれないし、誰も愛してくれないと思っていたけれど、そうではないのだと彼は気付いた。
こんなにも自分のために、尽くしてくれる人が世の中に居ると知り、この世も捨てたもんじゃないなと思い直したそうです。
そして、こういう初女さんという人がいることを知り、もう一度生きてみようと決心し、自殺を思い止まったというのです。
彼女は、「一緒に食事をすれば人の心は開いていく」と言う。
「おむすびを握るということは、それを通して握る人の心を伝えることです」とも言っています。
1921年10月3日、青森市生まれ。
小学校教員、弘前染色工房を経て83年に“弘前イスキア”を、92年に“森のイスキア”を開設します。
迷い、疲れ、救いを求めて訪れる人に食事を供し寄り添うことで、多くの人々の再生のきっかけとなったひとです。
彼女は多くの本を書かれていて、あるレビュワーはこう書きました。
「もし腹が立つなら、まずは腹を立てている自分を認める。
悲しんでいるなら、悲しいという自分をそのまま受け入れる。
すると、人のこともありのまま受け入れられる。
多様なものが多様なまま響きあい、ともに生きることが、いのちの摂理。
悲しいとき、心がざわめくときには
まず、おむすびをつくって、ゆっくり、ごはん粒をかみしめる。
ごはんをふわっとむすぶ。
いのちをむすぶ。
ふんわりむすぶと、まとまって、おちつくことを、著者に教わった。」
他者の生命から日々命を頂き、その頂いた「いのち」を結び繋いでゆく。
「食」は生命の源であり基本だと初女さんは思ったのです。
食材がかつて有していた生命をもっとも輝かしい状態で維持できるかたちに調理し、
そこに宿る生命が、それを食すものへと取り込まれ、そして彼等が生きる生命へとなる。。
だから、ふらっと訪ねて来る者におむすびを出し続けた。
迷い、疲れ、救いを求めてきた人々と食事を供し、寄り添いじっとその人の話に耳を傾ける。
たったそれだけなんです。
でも、食べ物を通じて、傷ついた心を、苦しむ者を救っていった。。
深い祈りのひとでした。
2016年2月逝去。94年の生涯を「食はいのち」という信念で生き抜きました。
まさにイエスに導かれたかのようなじんせいです。
わたしも、一度食べたかった・・。
3.イエスとはいったい何者だったんでしょうか?
「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
そう聞いたわたしは、”わたし”を諦め放棄し無条件に身を委ねる。
そんなことは滅多に起こり得ないのです。
が、この言葉には穏やかではあるけれど、強烈にどこまでも貫徹するエネルギーを感じました。
きっと、それはわたしたち誰ものこころに染みて分配されている”想い”かもしれない。
彼は、当時蹂躙され続けたサマリアの人たちのために言葉で表現できた人で、あなたの中にもわたしの中にもあるはずの無形のもの。
既に胸にあったから、わたしはイエスの言葉に、おにぎりの里に共振したのです。
それは信者でなくとも、共振器がわたしにあったから響いたのでしょう。
ある日、生を諦めて悲しい目になる人がまた一人と地に現れる。
その目は、この地に居場所が見つけられなかったのです。
わたしの居場所はここにはない・・。
悲しくてかなしくて、きっとその人は背を丸め閉じようとする。
でも、ふと目を上げたとき、同じように沈む他者の存在にも気が付くでしょう。
ああ、、なんて悲しいんだろうと我知らずにあなたは自分の手を他者に差し出してしまう。
悲哀色の波が次々と伝播してゆくのが夕暮れ時です。
夕暮れには、みんな自分の居場所に帰りたい。でも、ここにわたしの居場所は無いのです。
自分には無いんだと諦めたひとが送り出す想念がずっとこの地に響いて来たのだと思います。
P.S.
初女さんのおにぎりはこんなふうに作られていったそうです。
米一粒一粒を丁寧に扱い、お米がびっくりしないように少しずつ静かに水を入れてゆっくりと給水させ、ごはんはかために炊き上げます。
手水は1回だけで、あとは、手のひらに塩をなじませ、掌(たなごころ)で、お米粒がつぶれないくらいの力加減でゆっくりと回しながら握ります。
正方形に切った海苔(のり)をおむすびの上下、真っ黒に包みこんでできあがり。
一口食べるとはらりと口の中でほどけるほどに空気が含まれているのに、米一粒一粒がしっかりと立ち上がり、噛(か)みしめるほどにおいしさが広がります。
順序よくやれば、握るときにちょうどいい温度になります。
いわゆるおにぎりですが、ただのおにぎりではないのです。それは、とても丁寧に時をおくる人の姿そのものでしょう。
(作り方は以下を勝手に参照させていただきました、ぺこっ。
:https://www.asahi.com/ads/clients/bonmarche/life/life20220419.html)