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諦めない生 ~ 選択権があるのではないでしょうか


最後まで生きるということについて書こうと思います。

91歳のお義母さんがこちらに引っ越してきてから1か月経ちました。

福岡から、ちょいと関西まで飛行機に乗ってやってきた。

自宅から空港まで、車イスで飛行機の中へ、降りてからここまでタクシーで。

ちょいとだったんだけど、ヘロヘロに。

腰や膝、肩の手術、大腸の手術、その他もろもろの入退院を繰り返し、コロナも依然として駐留している、その合間を縫って関西まで移住してくれた。

娘のかのじょが住むここがお義母さんの終(つい)の棲家となるでしょう。

お義母さんの下肢の筋肉はげっそり無くなり、細い骨があるばかりです。

シャワーも疲れるというので、朝には背中を拭いてあげてますが、背骨は前かがみにかなり曲がってます。

しかも、その背骨は左に湾曲し、それが背骨の中を通ってる神経を押しつぶす。(そうすると、下肢に痛みやシビレが起こります)

歩く時は、背中を曲げたまま2つのツエを交互についてよろよろと、ちょぼちょぼと、トイレまで行く。(あなたもお年寄りがヨロヨロ、ヨタヨタする姿を見たことがあるでしょう)

わずか数メートル先のトイレへの往復ですが、ベッドまで戻って来ると息が上がりゼイゼイしてる。

トイレまでわずか30歩。その往復動作に必要な筋肉が全脱落したことで、お義母さんにとっては全力疾走みたいになる。

ほぼベッドに寝た切りなんです。

あなたにとってたいした距離ではないんだけど、ほとんど寝たきりになった人にとってはからだ全系の総力戦となります。

いや、あなたも1週間入院すると自分の体力や筋力の低下に愕然とするでしょう。

わたしたちは、動かないとすべてがあっという間にミニマムになっちゃう。

動いてなんぼなんですね。わたしたち、人間以前に”動物なんだもの”。


肩の脱臼を繰り返したせいで、お義母さんの腕はほとんど上がりません。ちょっと無理をすると脱臼してしまう。

手もリューマチで曲がり、腫れ、うまく動かせません。

腰より低い所にあるもの、腕より高い所にあるものは人に頼んで取ってもらうしかありません。

ベッドの手の届く範囲に、テッシュやら湯のみ茶碗、孫の手、お薬、メモ帳なんかがコンパクトに寄せ集められてる。

大好きなアメも3種。(甘いものが大好きで、アメ袋なんかあっという間に平らげてます。兄嫁からは、日に一度はお義母さんにマンジュウたべさせてねとわたしたちは言付かった)。

ほとんどのことを自力で出来ないという状態を人はあまり経験しないまま最終期を迎えます。

それは70歳を超えた頃でしょうか。

迎えたとき、人は驚愕することでしょう。

老人を遠くに見ていた自分が、ある時、その老人本人に成っていたことに気づき、ああ、、こんなに不自由してたのかと愕然とする。

それはそれは、さぞショックかと思う。

そして、たぶん、お義母さんはわたしたちに済まないとおもってる。

自分で料理をし掃除をしお風呂に入り、縫物をし、必要に成ったら薬でも病院へでも買い物もしてきた。

なんでも自分でしてきた。それがほとんど”出来ない”。

いくら娘夫婦だといっても、いずれにしろわたしたちに遠慮が出てきます。

人によっては、出来なくなることをとても情けないことだと思い続けるかもしれない。

実は、体が不自由になること以上に致命的な現象がお義母さんに重なってます。

耳が聞こえなくなり、テレビという楽しみもあまり役に立たないのです。

わたしたちが居ない時には、音量を上げて見てるよとは言うものの、たいはんは聞こえないテレビを相手にします。

ということで、娘との会話もよく聞こえない。

なんども「なんと言った?」とかのじょに聞き返す。

段々と会話が少なくなり、テレビが付けてあっても関心外になっていって行く。会話も。。

いえ、平気であろうはずないのです。

「お義母さん、退屈だよね」と聞くと、「そんなことないよ、ここはもったいないぐらいに天国だよ」とはいうものの、やっぱりお義母さんも”にんげんだもの”。

動き、話し、笑い、泣くということがすべり落ちた”無音”の時空は苦痛のはずです。

「お義母さん、ほんとは退屈だよね」とまた聞いてみる。ようやく、「そうやね」と白状した。

小さい頃は兄弟の面倒を見て、働いて、姑を看取り、駅前食堂をし、子を育てた。

やがて夫の面倒をみて、自分の体が動かなくなってからも、店先でタバコを売り、洗濯干し、電話番した。それなりの仕事をこなして来たひと。

人の世話にならず、ひたすら人の世話をしてきたのに自分の世話さえ出来ない。さらに、ひとの声が聴こえない。ひとに自分を届けれない。。


お義母さんは少し動くとすぐ寝てしまう。食べると、また寝てしまう。

くたっと寝てしまいます。

ときどき、うんうんと苦しそうに寝ている。

熟睡の度合いはとても低くて、「お義母さん」と呼びかけるとすぐに覚醒します。

眠くて寝てるんじゃないのです。

目をつむって体を休ませている。

寝ながら左手で左足をさする。ふんふんと歌を口ずさんでる。

尿漏れしないようにと、お義母さんはメモ帳にマジックでトイレに行った時刻を書き込みます。

だいたい、昼も夜中も1時間半ごとにトイレに行っては、その時刻を次々に書き込む。

夜9時には寝て、11時半にトイレに行って、また夜中の1時、2時半、4時・・・というふうにメモ帳に時刻が書かれて行く。

尿意があるからではなく、お医者さんに言われた通りにほぼ一定時間で行くのです。

尿意を自分が覚えなくなり、放置しておくと尿漏れしてしまうので強制的に行きます。尿漏れパッドも付けてます。

が、ときどき、おもらししてしまう。

お義母さん、やっぱり恥ずかしそう。


唯一お義母さんに残されたのは、掌。そして聡明な頭脳。そうそう、娘さんも。

お義母さんにボケということはありません。

お医者さんたちも驚くのですが、わたしもその脳の明晰さにやっぱり驚きます。

35年前にあった時とまったく変わりません。

依然として高い好奇心と良きこころを持ち続けている。

苦が来ても相手のせいにしないで、自分の至らぬ所を反芻し、そして行動を決めるひと。

記憶はわたしよりむしろいいかもしれません。

高齢者は自分がいつ薬を飲んだのか、何粒飲むのかをコントロールできません。

忘れてしまうんです。曜日も、時間も分かりません。

でも、お義母さんはお医者さんの言いつけ通りに、きっちり飲んでゆく。

5種類どころか10種類ぐらい飲んでます。

薬の中には週に1度という難易度の高いものもあるけれど、それも飲みます。


こちらに引っ越して来るにあたって、送られてきた段ボールにはメモ帳とマジックがそれはそれはたくさん入っていました。

「わたしゃ、忘れ易いけん」と言う。

手は動かないけれども、メモはよく書きます。

動かないなりに、お義母さんは手をよく動かしている。

きっといつかの時点で人から言われたことを覚えていて、手を動かすこと、手を揉むことを欠かしません。

頭脳とそれに直結している指だけが、本人の意のままになります。そうそう、やさしいあなたの娘さんも。

ずっと妹や弟の世話をし、嫁いでからは夫や姑、子や孫の世話に明け暮れて来たんです。

けっして、人を裁きません。そうかいそうかいとしか言わず、暖かな眼差しを注いで来たひと。

そのひとが、最後の周回をよろよろころがりながら、ゴールに向かってます。

段々とからだの稼働範囲、探索範囲が狭まって行き、始終寝ている。

で、今朝、わたしはこんなことをお義母さんに提案しました。

「ねえねえ、お義母さん、トイレから帰って来ると息があがってるよね。あれって、当然なんだけど、でも、まずいと思うんだ。」

「そうねぇ、ぜいぜい言うとるね」

「お義母さんのからだをさすってあげて思ったんだけど、背中が曲がり、その姿勢が肺を圧迫してると思う。

肩が凝るでしょ?頭は思いのほか重いからね、肩と背筋ががんばるんですよ。

でも、多勢に無勢。だんだんと前かがみになり肺をつぶして行く。

骨盤と背骨、呼吸はすべての基盤だと思うんだ。そこが脆弱になってるんじゃないかな。

わたしたちがヨガのせんせいに習った呼吸法をやってみない?」

お義母さんは「うん」という。

で、わたしは骨盤の立たせ方、肺呼吸を促す姿勢、腹筋をへこませ続けるプロセスをお伝えした。

お義母さんは了解するとなんでもすぐやってみる。

その日から、気が付くとひとりで「ふぅーっ」とかやっている。背ものびている。

一度納得したら、なんでも続けるひと。


「お義母さんはわたしにも気を遣うと思うんだけど、わたしに年老いたお義母さんの面倒を見ているという気はないんです。

やがて、かのじょやわたしが必ず通る道を今学んでいるんだと思うんです。

徐々にからだのいろんなところが劣化し、寝るばかりになる。

寝るばかりになれば、さらに動けなくなる。

でも、とわたしは思うんです。

確かにいろんなところが劣化し、最後はゴールに誰でも着地するんだけど、でも、すこしは訓練は出来る。

すこし訓練すれば、たしかにすこし回復する。

衰えるままに諦めるんじゃなくて、いろいろ出来ないことが増えて行く中で、でも、すこし工夫してみる。

工夫したってやっぱり坂道を転がり続けるんだけど、それでも出来る工夫はいつもチャレンジする。

お義母さんはたぶん、そうして生きて来たひとだと思うんですね。

だから、ほぼ寝たきりに近い状態になった今でも、また、すこしチャレンジをして欲しいんです。

しかも、腰、背骨、肺、腹はすべての基本にあると思います。

けっして好奇心を失わないお義母さんですからね、

諦めずに最後の最後まで生き抜くというのがお義母さんらしいし、また、それがわたしたちの今後を照らすと思うんです。」


どうせ衰え続け、どうせ死ぬんです。

それは変えられないけれど、でも、ひどい状態ならひどい状態なりに工夫してみるという選択肢はあります。

苦難が連続したからといって、どう受け取るかは本人の選択です。

わたしたちに唯一残されているのは、この”選択する”という点だけでした。

どうせ死ぬんだものと諦め手放してしまう在り方は、わたしにはどこか納得できないのです。

そう。

しあわせな結婚をすれば、良い会社に入ればしあわせになれるという考え方は間違っています。

いまいちな結婚だから、あまり良くない会社に入ったから不幸だとも言えない。

幸福なら幸福なりに、不幸なら不幸なりに、わたしたちには常に選択権があるのではないでしょうか。

環境は変えれない。

他者も変えれない。

でも、わたしたちは良い環境を雨乞いのようにただただ神に恵んでもらおうとするのではなく、みずからの工夫をすることが可能です。

お義母さんは呼吸法を了解しました。

あまり無理せず少しすこしとはじめてくださいねと添えました。

お義母さんは、はいと返事をされました。

お義母さんは、知らずと、みなの未来のためにできることをします。


P.S.

あまりに過酷な職場はさっさと辞めるべきです。メンタル壊してまで尽くすのはばかげています。

あまりに思いやりの無い相手と結婚し続けることはできません。

お金が極限まで無いと、もちろん生きて行けません。

まあ、でも、たいがいのことはそこまでのことではありません。

無意識にわたしたちはすべての”苦”から逃れようとあがくのですが、しかし、”苦”は1つのシグナルでもありました。

「で、きみはいったいどうしたいの?」という人生からの問いです。

この問いはとても貴重な経験となります。

わたしたちは恵まれた他者に目が移り易いですが、他者比較はあまり役に立ちませんでした。

苦が来たとき、その苦をちゃんと自分で味わい観察することが必要でした。

すぐ逃げてはなにも学べないのです。

パンデミック、戦争、恐慌が来た時、わたしたちは慌てるのですが、そもそも、小さな”ぷち苦”の扱い方も知らないと、烏合の衆となるでしょう。


今、あなたの目の前にも苦があるかと思います。

避けようも無い辛さがあると思います。

しかし、お義母さんの生き方を見ていると、苦自体が問題ではないことに気づきます。

来た苦が選ばせる選択肢こそがその人を成長させるでしょう。それがその人らしさと言えるんじゃないでしょうか。

周囲はあなたの”その人らしさ”を見ています。

場合によっては、人は無意識に光を周囲に放射します。

お義母さんとは、そういうひとです。

たとえそれが死に向かっての不可避な道にあろうと、単なる寝たきりに落ち込むのはお義母さんらしくないのです。

お義母さんは、さっそく工夫を始めてくれました。

わたしも、お義母さんを手本にやがて来る最終周回に備えるのです。

わたしがお義母さんのケアをするのは、じぶんのためなのです。

そのように生き抜いたひとを励みにわたしも生きてみたいのです。

お義母さんの光が、わたしたちが未来のためにできることを放射してくるように思うのです。

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