私は優しい子?
昔から考えていることがある。
それは、
「優しい人間であるべきか」
ということ。
私は昔から「優しい子」ポジションだった。
私自身、人には優しくありたいと思っていたし特に不満に思うことはなかった。
しかし、歳を重ねるにつれて「人に優しい」ことでジワジワと自分の首がしまっていく感覚を感じ始めた。
困っている人には手を差し伸べられる人でありたい。
見返りを求めているわけじゃない。
でも、差し伸べた手を引っ張るだけ引っ張って颯爽と去っていく人を何人も見送ったあとヨレヨレの自分が立ちすくんでいた。
そこで初めて気づいた。
私は自分に優しくない。
本来、人に優しくするには自分に余裕がないといけない。
そうじゃないと相手に見返りを求めてしまうから。
自分が我慢していると他人にも我慢させたくなってしまうから。
優しくするのは私の勝手で、それを受け取るも受け取らないも利用するも相手の自由なのだ。
それでいいんだ、と思える心の余白が無かったから私は苦しくなっていたんだ。
それに気づけたのは大人になってから。
子どもと大人の狭間で迷い戸惑っていたあの頃の私は自分自身のことも嫌いになりかけていた。
若い頃は、ワガママで毒気のある方がチャーミングに見えたりする。
「自己中心」が「芯の強さ」に変換されて見えていた。
私はいつのまにか、「優しい」と言ってもらえるのは他に特筆するような魅力がないからだと思うようになった。
でも、大人になった今思う。
大人の世界には優しい人があんまりいない。
みんな自分のことで必死だから。
忙しない日々の中で自分で自分の余白を作ることがどれだけ大変か痛感している。
でも、だからこそ思えるようにもなった。
「人に優しくありたい」という強い気持ちは私の信念で、何にも変えがたい私の個性だ。
優しい人ばかり損をする世の中なのかもしれない。
でも、それでいい。
自分の身をも守りながら、人に手を差し伸べて共に歩む道だってあるはずだ。
少なくともいつだってその道を探す人でありたいし、そんな自分が好きだから。
「歳とって、ワガママでちょっとした毒気がチャーミングな人っていないな、ただの嫌な人ってパターンの方が多いよな…。」とふと思いながら、朝からご機嫌ナナメな職場のお局オババにチロルチョコをあげた。
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