自己犠牲からの卒業
ここ数年で、た~くさんの感情、観念を手放してきました。
それはもう、これまでの宿題を夏休み最後の日に
いっきに片づけるみたいな勢いです(笑)
魂的には
地球の波動があがり、エネルギーが上昇するこのときに
すべて根こそぎやっちゃおうぜっ!ていう計画で
タイミングを合わせて来てたんだろうなと思います。
ですが
根こそぎって、前世だけでなく、この地球転生すべてのカルマ、トラウマから、さらには他の惑星でのカルマさえも解消しちゃおう!ってことなんで
それはそれは、もう深いのがどんどん出てくるわけで(汗)
めっちゃしんどい。
向き合っても向き合っても、まだある
まだある
終わりはくるの?
そんな3年間でした。。。
でもこれまでも何十年も自分と向き合って、色んな感情やらトラウマやら重たいものをみつめて、セラピー受けたり、エネルギーワークしたり、コーチングしたり、、、
色々してきたのです。
苦しかったから、少しでも楽になりたかった。その一心で向き合っていました。
それでも、手放せなかった。
もうこの感情、癖、捉われは、終了した!と思っていたのに、忘れたころにまた浮上するとかね。
そういったものが今、根こそぎバンバン手放して統合できているって、本当に凄いことだなと実感しています。
「今」の地球の波動域だからこそ、できているわけです。
波動がもっと荒く、重かったときは、なかなかそこから抜け出せず、手放すことも難しかったですね。
ついこないだ、またひとつ古い自分の在り方、癖を手放し統合しました。
私の中に根強くあったあり方は
自己犠牲
これが、もうなかなか抜け出せなかった。
癖って、気づけないから癖なわけです。
気づいたときには、今までと同じようにやってしまっている。
仕事場でもプライベートでも
なぜ、いつも全力で尽くしているのに、心が満たされないのだろう
気づいたときには、もう疲れ果ててしまって、すべて嫌になっている。
そのパターンの繰り返しで、そんな自分がほとほと嫌になっていました。
自己犠牲って何かって言ったら
自分を蔑ろ(ないがしろ)にするということ。
辞書で引いてみました
蔑ろ = 人や物事を、あっても無いかのように軽んずること
ひーーーー
自分のことを、あっても無いかのように軽んずること
自分のこと、こんな風に自分が扱っているから
次第に
辛くなって、苦しくなって
被害者意識がうまれて
「私はこんなにやっているのに」
「自分が思っている以上に認められない、評価されない」「周りの人は私のことをわかっていない」 etc…
いつしか
欠乏感
が生まれる。
見返りがほしくてやっているわけじゃないのに
そういう気持ちが出てくることで
また自分を責めてしまったり。。。
負の連鎖のはじまりです。
すべては、自分に小さく我慢させて、何かをしたり人に尽くしてしまっているから。その積み重ねが溜まりにたまって爆発する。
誰も頼んでいません。そこまでやってほしいとも言われていない。
な・の・に
ついついやってしまう。
自分の心を置き去りにして。
置き去りにしていることすら気づけない。そんな状態でした。
この1年は、いくつかやっぱり満たされない、疲れてしまったということが続いて、その度に自分の在り方を手放して統合していました。
だけど、まだあった
相当根深かったのです。
つづく