ちょっと性別不明の友人がいます -5-
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5. サワと子どもたち
サワはめちゃくちゃ面倒見がいい、
わけではない。
本人も面倒見がいい性格だとは
思っていないと思う。
どちらかというと
面倒なことは避けたいと思っていて
それなのによく面倒なことに巻き込まれている。
要は困っている人をほっとけない
優しい人、それがサワだ。
そんなサワは
私の子どもとよく遊んでくれる。
遊ぶのも上手で
子どもたちもサワのことが大好きだ。
私には4歳ともうすぐ2歳になる
2人の息子がいる。
サワが初めて私の子どもに会ったのは
上の子が2歳になる前だった。
その年の秋、
私たちは東北から東京に引越し
落ち着いた頃に大学の同期も集まって
みんなで会いに来てくれた。
それからことあるごとに
サワはよく私と子どもたちに会いに来てくれた。
話は逸れるが
変な勘違いをしてほしくないので
あえて書いておくと
大学が同じだったこともあり
夫とサワも知人関係である。
が、夫がサワのことをどう思っているのかは
よく知らない。
よく知らないけど
夫はサワのことはどういう人なのか
よくわかっていると思う。
よくわかっていて
いつも子どもたちが
サワの話をすると
ニコニコ嬉しそうに聞いてくれる。
たまにタイミングが合えば
夫もサワもみんなで遊んだ。
子どもたちはいつも以上に
ダイナミックでふざけた遊びができて
本当に楽しそうだった。
見ている私も楽しかった。
そんなサワと私と子どもたちは
家の近くの公園で遊ぶこともあれば
一緒に新幹線に乗って旅行したことまであった。
東京から新幹線に乗って
静岡に行った。
静岡にいる大学の同期に
会いに行った。
まだ下の子が生まれる前で
私とサワと子どもと同期と
4人でお茶の博物館に行ったり
さわやかでハンバーグステーキを食べたりした。
とっても楽しくて
とっても美味しかった。
そして予定にはなかったが
大井川鐵道が近いことがわかり
もしかしたら大きなトーマスが
見れるかもしれない!と
無計画に見に行ったりした。
そしたら本当に実物大(?)の
蒸気機関車トーマスがいて
みんな大興奮だった!
そんなことも一緒に楽しんでくれた
サワと同期にあれほど感謝した日はない。
そんな風に子どもの成長も
一緒に見守ってくれているサワは
この数年間で少しずつ
身体的に変化があった。
それはもちろんサワが
いろいろ考えて、悩みぬいて。
でも何がきっかけだったとか
どんな迷いや悩みがあったのかは
それほどたくさん話してくれなかった。
けれど
ホルモン治療を受けることや
胸の手術をすると決めたこと
それぞれの変化や周囲の反応、
そしてサワが感じたことなどは
こと細かに教えてくれた。
それはもしかして
私が医療従事者で
少し医療的知識があるから
話しやすかったというのが
あるのかもしれないし
もしかして
心から信頼して
話してくれていたのかもしれない。
そこまでは思っていないけれど
なんとなく話しやすいから
話してくれたのかもしれない。
どんな理由で
いつも私に話してくれたのか
わからないし知らなくていいと思うけど
そのどんな理由でも
私に話したいと思って話してくれた
そのことが嬉しかった。
サワが考えながらとめどなく話してくれる話は
どんな話も興味深くて
時には私の無知さを
時には世界の広さを
教えてくれるような
そんな気持ちになった。
そしてサワは
私の反応や率直な感想、
私がさらに考えたことなども
よく聞いて受け止めてくれた。
Ft M当事者のサワと
そんなサワをずっと見ている私。
ホルモン治療を始めて
声が低くなった時は
すぐにサワの声だと認識できなかった。
シンプルに驚いた。
そして電話だと聞き取りにくくて
申し訳なくなりながら何回も聞き返した。
ごめんね、と謝るとサワは
声の出し方やボリュームなどが
調節しにくく
どんな喋り方がちょうど良く聞こえるのか
慣れるまで苦労していると教えてくれた。
話す方にそんな苦労があるなんて
ぜんぜん知らなかった。
それからだんだん背格好が
見るからに「男の人」
という感じになった。
顔つきも「男っぽく」なり
その頃の私は
「男らしさ」「女らしさ」は
どこから感じ取られるものなんだろうと
漠然と疑問に思った記憶がある。
「男らしさ」「女らしさ」といえば、
子どもの発言で
どうしても引っかかることがあった。
それは上の子が3歳になり
幼稚園に通い出した頃、
公園で遊んでいる時だった。
その頃上の子は
公園にいる誰とでも友達になり
いつの間にか一緒に遊んでいるような
そんな遊び方をしていた。
その日もまたいろんな子と
仲良く遊んでいるな、と
少し遠くから見守っていると
公園内の少し道が分かれたところで
「女の子はこっち!男の子はこっち!」
と何やら大きい声がした。
私の子どもだった。
ちょっと聞き捨てならなくて
近くに行って話を聞いたが
よくわからないというか
特になにか意味があるわけではなく
幼稚園でそうやったから
やってみた、くらいの感じだった。
私にはそれが衝撃だった。
たった3歳の子どもが
「男の子は〜」「女の子が〜」と
言っている。
たぶんほとんど何も考えず。
それから幼稚園での生活や
ママ友と情報交換する中で
いくつか気になることがあり
勇気を出して幼稚園に手紙を書いた。
勇気は出したけれど
文書でお返事をもらえたらいいかな
くらいの気持ちだった。
そしたらなんと
お話しをしましょうということになり
担任の先生と話すのかなと思ったら
通された部屋には
園長先生と副園長先生と
少し離れて担任の先生がいた。
思ったより大事になったなと
ドキドキしたが
とても理解のある先生方で
熱心に話を聞いてくださり
幼稚園の方針や今後はもっと
社会の流れに合わせて
変えていこうとしているんです、と
前向きなお返事をいただいた。
それを聞いてホッとしたと同時に
こうやって話を聞いてもらえるだけでも
言ってみてよかったなと
心から思った。
それだけでなく変化もあった。
その幼稚園は何かと
男の子は水色、女の子はピンクと
色で分けていることがあり
それも気になることの1つだった。
例えばちょっとしたご褒美の
先生手作りの首から下げるメダルとか。
それが
私が話をした後の運動会で
いつもよりちょっと豪華なメダルが
男女別の水色とピンクじゃなくなっていた。
少しあたりを見渡すと
どうやらクラスごとに
色を変えたようだった。
そう、これが私が望んでいたこと。
不必要に男女を分けてほしくなかった。
トイレとか着替えとか
必要な場面でちゃんと分けてほしくて
整列のためとか物の管理のためとか
そういう理由では分けてほしくなかった。
そんな私の思いが
幼稚園に伝わって嬉しかった。
子どもが自慢げに見せてくるメダルを見て
少し違った感動を覚えた出来事だった。
ホルモン治療を続けたサワは
筋肉がつきやすくなったと言い
道で女の人の後ろを歩くと
避けられてる感じがすると言った。
元々運動が好きなサワは
社会人になっても運動を続けていて
たしかに体がガッチリしたな
という感じがした。
そしてついに胸部の手術をすると
サワからの報告を聞いた。
それまでは胸部を平らに見せるために
専用のものを着ていて
それはFtMの人には
当たり前のことらしい。
たしかに胸は「女らしい」ものであるし
胸部の凹凸で性別を判断しがちだ。
(自戒を込めて。)
そしてそういう用品は
専門のお店があるくらい
需要と供給が成り立っているらしい。
私はサワが教えてくれるまでは
そういう用品が売られていることも
使われていることも
全く知らなかった。
こう言うとサワの
気に障るかもしれないが
サワの胸部にあったものは
小さい方ではなかった。
だから今回手術をするということが
どんなにサワのストレスを軽減するものか
想像するだけで私まで嬉しくなった。
なんでそこまで嬉しく思うのかというと
私は胸部につける下着が苦手で
第二次性徴で体の変化があり
スポーツブラなるものをつけた時は
鎧を身につけたくらいの苦痛があった。
それからもどうしても
胸部を締めつける感覚が苦手で
今ではなんとかブラトップで
生活している。
だから
そんな締めつけから解放されるサワの
気持ちがわかるような気がしたんだ。
手術はぶじ成功し
術後の痛みも乗り越え
子どもたちの希望で
サワが我が家に泊まりに来た。
子どもが寝た後
ゆっくりいろんな話をする中で
胸部の手術の話をしていると
サワが見せてくれると言った。
あの胸部はどうなったのかと
気になってはいたが
内心なんだか見てはいけないものを
見るような気持ちで
傷跡を見せてもらった。
見せてもらうと
そこには普通に
男の人の平らな胸部があった。
普通に、とか良くないのかな。
でも本当にただただ
男の人が男の人の上半身を
見せてくれているだけ。
そして小さくある傷跡の説明を
してくれているだけ。
そんな感じだった。
こういう感じなんだ、
と言いながら
見せてもらう前の気持ちが
さーっと引いたのがわかった。
サワは身体的に
ほとんど「男」になった。
男の人なんだな、
とぼんやり思った。
なんだか当たり前のような
でもどこかしっくりこないような。
宙に浮いたまま
まぁそれでいっかと
なんとなくそう思った。
そんな私はある時、
子どもに聞いてみた。
「ねぇサワって、
男の人だと思う?
女の人だと思う?」
上の子はキョトンとして
何も答えなかった。
おしゃべりな息子は黙ったまま
何も答えなかった。
もちろんこの質問に深い意図も
正解もないのだけれど
もし模範解答があるのなら
子どもの反応はそれに当てはまると思う。
深い意図がないのなら
聞かなければよかったのかもれしないけど
このエッセイを書いていたこともあり
子どもがサワのことをどう思っているのか
単純に興味があった。
そして子どもの反応を見た時
とてもしっくりきた。
子どもたちもサワのことは
サワだとしか思っていないんだろうな。
サワはサワで
それが全て。
私がサワに対して思っているのと
同じように。
サワはサワだと思っている。
若干の推測はあるけれど
きっとそうなんだと思う。
サワのいろんな変化に
子どもたちは気付いているのか
気付いていないのかすらわからないけど
いつも遊んでくれるサワはサワで
何も変わりないことを
教えてくれたような気がした。
そうだ、私もそう思っていたんだ。
声が低くなって驚いたし
体が変わっていくことに
いろんなことを感じたけれど
やっぱりサワはサワで
この居心地の良さは
ずっと変わらないんだな
って。
そう思っていたんだ。
そこに性別は関係ないって。
性別不明でも関係ないって。
そして
男と女しかいないと思っていた世界は
男でも女でもない人や
男でも女でもある人や
もっともっといろんな人がいて
でもそれは
ただそれだけってことなんだって。
サワと私の関係は
特別なものだと思っていたこともあるけど
きっとそれも特別じゃない。
どこにでもある
人と人の深くあたたかく
優しい関係。
そんな当たり前のことに
気付いた私。
次回は
いよいよ最後。
私からサワへ。
「サワと私の13年間」
愛を込めて「サワわた」!!!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今、まさに
締め切りに駆け込んでいます。
続きます。
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創作大賞2023狙って全力を尽くします。
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コメントも嬉しいです。
もしかしたサワも見てるかも!
(サワへの直接の質問、コメントは嬉しいですが
サワからのお返事は難しいです。ごめんなさい。)
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