noteにいる人は8割病んでいる

悪意はありませんので、心穏やかにごゆっくりどうぞ。

自覚がある人も、ない人も、こんばんは。
noteに入り浸って、離れて、また覗きにきて、思ったんです。
ここにいる人、病んでるなって。
note書いてる人、ひたすら自分と向き合って。
note読んでる人、見えない相手に共感したりしなかったり。
そして1割の人はたぶん純粋に文字が好きで、残りの1割の人はビジネスとしてnoteという場で働いている。

すごいところですね、noteって。
(注:病んでいます。)

そんな私は病みすぎて、noteに来れないくらい、もう自分と向き合い文字にすることもできないくらい。病んで、病んで、病み落ちて、落ちるとこまでとことん落ちて、少し這い上がってきて、noteのことを思い出して、こんな文章書いています。

最低ですね。
でも最高ですね、文字にできるって。


私の中で、自分の精神状態を測る指標の1つがSNSです。
SNSに発信できなくなった時、少し落ちてきてるなと思います。
SNSを開けなくなった時、結構しんどいです。
SNSのことなんて頭にない時、もう地を這いつくばっています。

noteはSNSではないけれど、スキやフォローを通して人との繋がりも感じました。私にとってnoteは、SNSのような、少し違うような。
ただ圧倒的に違うのは、落ち込むからこそ来るところがnoteだというところ。

ここに書いている時がその象徴で、文字を通して自分と向き合い、時には思いもよらぬ言葉で自分を癒す。

吐き出す相手がいないとか、誰でもない誰かに聞いてほしいとか、その時々で画面の向こうに思うことは違うけれど、この編集画面を見つめている時、病んでいるのは間違いないなと思います。

もちろんみんなそんなわけではないと思いますが。

不思議なことに、私はとっても楽しくてリアルが充実している時、SNSはぜんぜん開きません。楽しい思い出もタイムリーに発信しません。
どちらかというと、後から振り返って楽しかったなーって思い出に浸って、まるでそれを高々と世界に見せびらかすかのようにSNSに載せることはあります。最低ですね。でも最高なんです。あぁ、楽しかったなって。

けどnoteって、そういう感じじゃない。
誰にも言えない自分をさらけ出していたり、日常と頭の中をいったりきたり書き起こしていたり。
そんなの楽しいってだけではやっていけない、、、気がするのは私だけでしょうか。
1人でコツコツnoteに向かう作業、やっぱりどこか病んでると思います。病みながらも前を向き、病みながらも文字を打ち、病みながらも創り続ける。

病んでいるけど、苦痛ではない。
病んでいるけど、なぜか楽しい。
あれ、気付いたら楽しくなってる。
もしかして病んでいるからこんなに書けるの?
ランナーズハイならぬnote’sハイにまでなっているのかも。
書ける、書ける、まだ書ける!
・・・そして
バーっと書き終えた時
はーぁ!今日も病んでて良いもの書けた!
って
実はいい顔してるのかも。

なーんて、調子よくなってきたところで終わります。
最後に、これだけ書いておきながら心配なことがあります。

あの、、、「病んでる」って死語ですか。
(そこかーい!)

おしまい

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