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毎日昼休みに蝶になる私と、電波に乗らない声と、そもそも感染対策として廃止すべきなのではないかという制度と、追加としてのエロティックな話。
昼休み、私は蝶になる。某楽曲のように、愛する人に抱かれて「なる」といった官能的な意味合いではない。ましてや、昼休みだけのヒーロー(そんなん存在する?)のようにその時間だけ变化し、活躍するわけでもない、、、蝶になったところで怪人と戦えるとも思えないし。
昼休み、昼食を取ったり、のんびり微睡んでも(たぶん)よい時間に、何を好き好んで蝶になっているのかというと、社員の皆々様にランチョンマットを配るためである。
我が社では、「自席で取る昼食が、仕事の部品を汚してはならぬ。」という誰かの鶴の一声、もしくは全員の異口同音により(はい、『他にスペースを作ればいいではないか』、のツッコミの声いただいております。)ランチョンマットを敷いて昼食を取ることになっていた。
そして、どれだけ文明が進んでいる令和の時代でも、ランチョンマットはひとりでにひらひら飛んできたりはしない。誰かが配らねば。
さて、ここで問題:誰が配りますか?
ひらひらするランチョンマットを配り歩くこの仕事は、誰かがやらねばならない本来の業務以外の仕事であり、それすなわち「新人の仕事」なのである。
答え:新人が配ります。
そして私は新人だ。配り歩く。階級ごとに順番に。
ただ面倒なのが、学校のように「プリント後ろに回してね」と言えるような配列でもなければ、端から順に階級が上がり下がりする並びで座っているわけでもない。人と人の、椅子と椅子の間や前後を渡り歩き、ひらひら配り歩く様はさながら花と花をひらりひらりと行ったり来たりする蝶のようで……。
そんなわけで冒頭に戻る。
蝶になるのは好き好んでではなく、新人という属性の元仕方なく、なのだ。
しかし、実は先程の答えは、厳密には不正解である。これは、新人の「女」の仕事である。新人は私1人ではないのだが新人に(女)と付けられるのはどうも私1人のようでただでさえ新人だけに振られる役目は多いのに、新人(女)の私だけに降ってくる役目は梅雨の雨より多く、私を存分にじめじめとさせる。
毎朝のお茶配布、お昼の時間のランチョンマット配布、3時のコーヒー配布(そう、厳密には昼休みだけでなく1日のうち何度か定期的に私は蝶にならねばならない。) お客様へのお茶出し、後片付け会議室のセッティングから窓の開閉などなど全部が新人の、、、いや失礼、新人(女)の仕事になる。インターホンでの来客対応や、電話対応も原則男性は行わない。
どうやら、うちの会社は、男声は電波に乗らないと思っているらしい。
「動け、先輩より早く」という新人への不文律はそのとおりだろうが、
「動け、男より多く」という不文律に疑問を呈したくなるのは私だけなのだろうか?
女が入れたお茶と男が入れたお茶女が入れたコーヒーと男が入れたコーヒー何が違いますか?
ホットコーヒーにいたってはサーバーのボタンを押すだけなのですが?
面白いことに、この話は世代によって綺麗に反応が分かれる。
両親や祖父母の世代になると「まあしょうがないね。」や「女の人が入れるほうがいいでしょ、『なんとなく』」などとなり、
私の年齢に近づくにつれてひそまる眉の幅が増す。
こんなふうに、違和感を押し込めるための『しょうがない』や『なんとなく』で固められたガラスの天井は、とてもとても分厚い。
なぜか?その上に乗っている、男性陣や諦めた女性陣、捨てられない『昔』という幻想の、ねばねばした名残りを支えているからだ。
そのうえ曇っているに違いない。
なぜか?向こうからガラスのこちら側は見えないようになっているからだ。(もしかしたらすりガラスなのか?)
見えていないかのごとく「当たり前に」無視されているからだ。
ふと思った。
ジェンダーや平等が叫ばれる世の中で、本気で何かを変えたいならば、まずは小さなコミュニティから始めねばならないのでは?
大きな問題に目を向けることも大切だと思うけれど、大きなスポーツの祭典の会長が変わってもたとえ国のトップに女性が就いたとしても、たとえ男女2つの性に縛られない世の中が訪れそうになっても、私たち中小企業や家族など身近な小さな世界が変わらなければ、この先の未来は絶対に変わらないだろう。
いつまでも、大して理由のないねばねばしたものを次世代に渡し続けることになるだろう。
昼休みに配布するランチョンマットよりぺらっぺらのぺーぺーの私は、小心者でもあるので声を大にして、会社で異を唱えることがまだできない。こうやって今までの人たちも文句と唾液をたくさん飲み込んで、慣れてしまい、違和感を見ないようにして、「誰かがやるなら私でもいいか。」「大した手間じゃないし別にいいか。」
「よく考えたら、眠気覚ましにちょうどいいのでは?」
「茶を入れて運ぶだけで同給料ならラッキーでは?」と、
無理矢理いい面に目を向けて日々をこなし、後輩にバトンを渡してガラスの向こう側へ行ったのだろうか。
…私も?
まだまだ先の話になるだろうが、次に入ってくる新人(女)や、将来生まれてくるかもしれない自分の子どもに、どうして女性だけの雑務があるのかと聞かれたときに明確に答えることができないし、答えられないなら、これは女だけがやることなのだ、と押し付けたくもない。
これは、ひよっこの戯言ですか?
世の中を知らない甘ちゃんの戯言ですか?
ひよっこで甘ちゃんで小心者でぺーぺーの私は今日も明日も、ひらひらと何かを配って歩く。
にこにこと何かを配布し、ハキハキとと何かを洗う。
同期(男)たちが黙々と業務をこなす傍ら、コップや茶と向き合い、
インターホンに、向かって走る。同じ条件で採用されて、同じように階段をのぼっていくはずなのに彼らの階段に、水っ気は1つもない。
彼らの階段は、電波が飛び交うこともない。
私は明日も蝶になる。
これ、官能的な意味にしたら少しは見ようとしてくれますか。
ガラスの向こう側の見えないあなたへ届きますか。