世界で自分はひとりだと思った時には社会に出てみよう
世界で自分はひとりだ。誰も助けてくれない。
そう思った時こそ外に出てみよう。大人も子どもも。
家庭や学校といった集団は閉ざされたコミュニティだ。
そこが安全な場合もあるし、安全でない場合もある。
社会に守られる一員(客)という立場でサービスを受けるならば、とても温かい心遣いを受けられるだろう。
例えば…
・薬局で商品の場所、入荷状況を尋ねたら、他の店舗に問い合わせて取り寄せをしてくれた。
・美容院に行ったら美容師さんが、「ヘアスタイルによってその人が明るく生きられるようになったらいいな、人のためにこの仕事をしていたい」と言っていた。
・バスの運転手さんが、小学校低学年くらいの子が立っているのを見つけ、「前方の席、空いてますよ」と声をかけていた。
「仕事なのだから当たり前だろう」という人もいるかもしれないが、私が出会ったこの人たちは、自分の役割以上の気遣いをしてくれている。
商品が無いなら無いと伝えればいい。勝手にどこかで買うだろう。
髪だってオーダー通りに切ればいい。交通手段は人を運べばいい。
でも、今”目の前の人”がより気持ちよく過ごせるように心を砕いてくれたのだ。
また、社会で協力し合う一員(働く、生活する)として手を取り合うならば、きっと見捨てないという心意気で接してくれるだろう。中には、余裕がなかったり、自分とは相容れない場合もあるけれど。
例えば…
・道案内をしたり、してもらったり
・席を譲ったり、譲られたり
・働く仲間として労わり合ったり、食べ物を共有してみたり(お土産など)
社会に出て、社会の一員として大切にされる経験をすると、
安全だと思える領域が広がったり、自分は大切にされて然るべき存在なのだと思えたり(自己肯定感が上がる)して、
自分も社会を、人間を、大切にしようと思えるようになる日がくるんじゃないか。
小学生。私の安全地帯は本という数cmの厚さの中だけだった。人間がひたすら怖かった。
中学生。洋服屋で接客を受け、他人が自分に時間と知恵を割いてくれることに驚愕した。少し外に出てみてもいいのかもしれないと思ったが、服の全てのポケットにカッターナイフを入れていないと動機が止まらなかった。
高校生。自分を攻撃してこない人間たちに毎日感謝した。マスクとパーカーを着ていれば、学校までの距離程度の外出ができるようになった。
大学生。カフェで働いた。温かいまかないをもらって泣いた。ただの道具ではなく、人間としてここに居させてくれているのだと感じた。半袖の服が着られるようになった。
今。仕事をして、私を人間として扱ってくれた社会に貢献している。これからもっと、人を支えていこうと奮闘している。やっと、一人で遠出ができるようになった。
あなたも社会の中で生きてみないか。