EMDR後の夫婦カウンセリング①
あの頃の私は、複雑性PTSDともう一つの問題として、幼少期から引きずる愛着障害を大きな問題と捉えていた。
両親(特に母)との異様な関係により、受けるべき愛情を受けられず、社会や他人との関わり方がわからないまま生きてきて、
夫との出会いのおかげて、孤独感を愛情のピースで埋めてもらい、10年以上の間、社会や他人への不信感を忘れたように生きることができました。
私の中の闇を感じることもなくなり、
重いくらいの愛情表現をしてくれる夫の存在が、本来不安定なわたしのバランスを取っていました。
今思うと、夫の愛情に依存していただけで、
自力では絶対に手に入らなかったモノを、急に与えられたのだから、誰よりも大切にしてきた、はず。
一緒になる前、不安でいっぱいのわたしは夫にこう話した。
「人は変わる。愛情も考え方も変わる。君の愛情も今のままなんてことは絶対にない。」
それでも、夫は笑顔で俺は大丈夫!と言った。
愛情に飢えていたわたしは、子どもみたいな口約束に期待してしまった。
信じてしまった。
そして、十数年後、
あの時のわたしの言葉通りになった。
「人は変わる」
変わらないと言い切った夫は
新たなトラウマ事象を作り、
一緒に暮らす中で、何度もトリガーを引く人になり、
昼も夜もなくフラッシュバックから抜けられない私の方が、昔のまま変わらないままだった。
苦し紛れに放った言葉が
びっくりするくらい真実な時がある。
そんなの当たらなくていいのに…
感情がたかぶると言葉が溢れる私。
腕を組み沈黙していく夫。
そんな私たちを観察する先生。
ASD寄りの夫には、
ASDの説明をわかりやすくしてくれる。
専門家や職人が好きな夫は、
戸惑いより、専門家の解説に満足そうにしている。
夫の詰められると黙る癖や、
緊張した状況で無意識に笑ってしまう癖も、実は幼少期のトラウマが影響してるかも?という見立てもあって
本人の希望があれば、折を見てEMDRしましょう、という流れも。
(夫は希望しなかったので治療はしませんでした)
夫婦カウンセリングを始めた頃は、
私は愛着障害を改善しないと生きていけない、と強く思っていて
当事者として、わたしのPTSDや愛着にちゃんと向き合わない夫にイライラしている状態だった。
感情的にはなるものの、
第三者がいると感情だけで暴走することがなくなる。
ブレーキ役であり、話しの交通整理もしてもらえる所がありがたい。
まだまだ道半ば。