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六花寮同窓会から村上春樹ライブラリー


出発前

 僕が学生時代4年間を過ごした六花寮の同窓会があった。5年前の100周年には参加できなかった。今回の幹事は1年先輩のMiyさんとHさんだった。これは参加しないわけにはいかないと思って、友人のSに声をかけ、いっしょに参加することにした。土曜日の午後、僕は事前に有給休暇がもらえるように、代わりの先生に声をかけていたが、その方が2日前にコロナに感染したとのこと。一瞬あせってしまったが、他の校舎の方にも声をかけてもらい、なんとか担当する方が見つかって、安心してお休みをいただいた。

往路

 
 土曜日午前8時出発。9時京都駅から新幹線のぞみに乗る。自由席は席がいっぱいで仕方なく車両の一番端にもたれかかりながら、読みかけの新書の続きを読んでいた。名古屋駅でわりと降りる人がいたので、そこからはちゃんと座って東京に向かうことができた。座ったのは北側2列の通路側。それでも富士山がきれいに見えた。久しぶりの新幹線であった。東京駅は何年ぶりだろうか。ずいぶんと変わっていた。そこから上越新幹線ときに乗り換える。便利になったものだ。たしか僕が学生のころに開通したのだが、最初は上野から乗らないといけなかった。完全にはつながっていなかったのだ。

 新潟駅13:43着。こちらの駅もまったく変わってしまった。そして駅前はまだまだ工事中である。いろいろ見てみたかったけれど、幹事の1人であるNaに受付を手伝ってほしい、会が始まる15時より1時間早く来てほしい、寄り道しないで来てね、と連絡が入っていた。それで僕はスマホ片手に万代シティにあるホテルを目指した。徒歩12分とある。まだ間に合う。暑い日差しの中、少し汗ばみながら早歩きで向かった。エレベーターに乗るとちょうど14時であった。ぎりぎり間に合った。

六花寮同窓会


 すでに、NuやS、さらに2年下のWも到着して、幹事の人たちと準備をしていた。僕も挨拶をそこそこに手伝いに入った。ほどなくそれも終了すると、次第に卒寮生たちがやってきた。上は80代から下は30代まで、幅広い世代の方々が60名ほど集まった。僕が住んでいたのはA館4階、僕が入寮したときに4年だったMimさん、3年だったYさん、2年だったTさん、それぞれに挨拶をした。いや、向こうからまわって来ていただいたのか。それにYさんはすれ違っただけだったかもしれない。そして、幹事のMiyさん、いまは神戸に住んでいるのだとか。それでよく幹事ができたものだ。まあ打ち合わせはオンラインで、そして実務的なことは地元に住んでいる他のメンバーがしてくださっていたようだ。プロのカメラマンとして働いているという同学年のNoも大活躍であった。たくさんの写真をありがとう。

 少し遅れて、2年下のMo、それから3年下のKなども合流してきた。同室だった後輩は今回残念ながら不参加だったが、数年間、いわゆる同じ釜の飯を食った仲間である。すぐに昔話に花が咲く。はずなのだけれど、なかなか思い出せない人もいて、大変失礼しました。僕は、寮祭で頭を丸坊主にして白塗りもして暗黒舞踏の真似事などをしていたので、覚えていてくださった方もいるのだろう。僕の方はサークルなども不熱心だったので、同じ階の住人以外はあまり良く覚えていない。

 そんな中でちょっとした自慢は、1984年入学のA館4階に住んでいた学生は8名いて、そのうち4名が参加していた。これだけの参加率は他にないのではないか、と思ってちょっと名簿を調べてみたら1981年入学のA3の先輩方も4名参加されていた。率的にはどうだっただろうか。それから、僕は京都からの参加で一番遠いのではないか、と思っていたら、大阪からOがやって来た。さらに、北海道にいるとばかり思っていたMiyさんは神戸在住。ということで、あまり自慢できることではなかった。

 大きな和太鼓も準備していただいて、久しぶりに寮歌を何曲も大合唱した。もちろん、ストームも。「ヤーヤーヤー、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは新潟大学大六花寮の男(おのこ)なり・・・」これ、実は僕は毎年卒業パーティでやっている。そして、頌春の歌の1番を歌っているのだ。小中学生の子どもたちはあっけにとられている。いまどきの子どもたちはすぐ動画に撮ったりしている。ウソコン(新入寮生をだまして歓迎する行事)の話も、毎年のようにしている。学校の先生をされている方も多いと思うが、皆さんどうでしょうか。

2次会


 さて、2次会は、おいしい魚とおいしい米とおいしい日本酒と、と思って、すし屋にでも行こうかとSと話をしていたが、皆さんとご一緒して近くの居酒屋で過ごした。何でもおいしく感じたのはきっと味が濃いからなのだろうなあと思う。もうずいぶんと薄味のものしか食べていないから。日本酒はおいしいものをいただいた。上越のかたふね。残念ながら、お土産で買おうかと思ったが見つけられなかった。いつかどうにかして手に入れてまた飲んでみたい。かわりに麒麟山を買って帰った。こちらも割とおいしくいただいたので。ところで、久保田や八海山、越乃寒梅まで最近は近くのスーパーで普通に売られている。だから月1回ほどのペースだけれど日本酒を飲むとなったら、だいたい八海山の普通酒を、特別なときは大吟醸をいただいたりしている。さて、2次会でもいろいろな人のいろいろな逸話や、最近の出来事など、たくさんのお話を聞けた。名残を惜しみながら解散となった。A4のメンバーで今度は京都に集まろうという話をして。そのわりに、ラインの交換をしたのはSだけで、酔っ払う前に先にしておくべきだった。

 さて、どうしても大人数になると僕は聞き役に回ってしまう。ということもあって、Sと2人でもう少し話し込むことにした。同じホテルを予約してもらっていたので。僕の部屋に来てもらって3時間ほど話しただろうか。アルコールなしで。そう言えば学生時代から、Sの部屋でいつも3,4人集まってウーロン茶とお菓子でよくしゃべったものだ。アイドルの話から政治経済の話?まで。Sとゆっくり話をするのは10数年ぶりだろうか。今回、彼がどうして10数年勤めた銀行を辞めたのかという話が聞けた。最近、どんな勉強をしているのかという話も聞いた。僕のことは、未だに幼児教育で勤務していると思っていたようだ。年賀状に書いて、その後元にもどったことは触れていなかったからだ。それから、彼の家庭の様子、僕が両親を見送った話、実家を売った話、妻の両親の状況なども話した。そして、僕の子どもたちのことも少し。


2日目


 次の日、朝食を食べて、9時に出発。新しくなった駅をいろいろ見て回ろうかと思っていたが、10時にならないとオープンしない様子。仕方がないので、開いていた小さな土産物屋で笹団子と麒麟山を買い、リュックに詰め込んで予定より1時間早い新幹線に乗った。Sは群馬在住だが東京まで付き合ってくれるとのこと。いつも本当に付合いが良いのだ。当初は、最近、鈴木保奈美がよく行っているという大手町丸善を見て東京駅のどこかでランチでも食べて帰るつもりをしていた。ところが、新幹線に乗っているときにふと思いついてしまったのだ。東京に行くことがあったら必ず訪れたいと思っていたところがあったことを。にもかかわらず僕はそれをすっかり忘れていたのだ。早稲田大学構内にある村上春樹ライブラリーである。スマホでちょっと調べると、本日はイベントがあるため大階段から下は入れないとのこと。それでもいい、ざっと見て回るだけでいい。下の喫茶だけでもいい。Sにたずねると付き合ってくれるとのこと。僕1人では地下鉄東西線に乗り換えて、その後もどうするのが良いか分からなかったから安心した。実は1日くらい充電器はいらないだろうと思って持ってきていなかった。ところが1日手元にあると良く使ってしまうので、思いの他電池が減っていたのだ。ナビを使うわけにもいかない。Sがいてくれて本当に助かった。

村上春樹ライブラリー

 早稲田駅に到着すると、僕はSの指示通りについて行った。早稲田中高のきれいな建物を横に見ながら、少しずつ近づいていく。オシャレな感じの喫茶店があったので僕は思わずここがライブラリー併設の喫茶店ではないかと思った。が、全然別の建物であった。そこはまだ大学の構内でもなかった。やっとキャンパス内に入り、少し歩くと白い建物が見えてきた。橙子猫の看板もある。間違いない。ここがあの村上春樹ライブラリーだ。とうとうここにやって来たのだ。僕は玄関で写真を撮り中に入る。

 その日のイベントは柴田元幸さんや詩人の方などのトークだった。到着したのは12時過ぎで、イベントは13時スタートだったようだけれど、すでにけっこうたくさんの方が来られていた。受付の女性が僕たちを見てイベントに来たと思って声をかけられたが、見学に来ただけですと話して中に入った。僕たちは2階に上がって、村上春樹のJAZZレコードのコレクションをながめたり、カフカ関連の書籍や影響を受けた方々の作品などを見て回った。ザムザの予想図を皆さん選んだり、直接描いたりされていた。チョウの幼虫を選ばれている方が多かった気もするし、チョウの成虫の方も結構いた。僕はどちらかというとゴキブリというか、ちょっと汚い嫌われ者のイメージがあった。でもそういう絵がなくてシールがはれなかった。

 エレベーターで地下まで行って、喫茶橙子猫に入った。そこでランチをとることにした。おすすめのものがあればと思ってアルバイトの学生に聞いてみた。キーマカレーが一番に出てきたが、朝食でもカレーを食べていた。僕はおすすめ2番手の明太子のパスタを頼んだ。アイスティーをセットにして。Sは日替わりのパスタとアイスコーヒーを頼んでいた。付き合ってもらったお礼に、ここだけおごらせていただいた。僕が選んだ席は木の大きなテーブルだった。どうやらそれは村上春樹自身が使っていたもののようだった。後ろにある棚も。その棚には羊のぬいぐるみや村上RADIOでつくったであろうマグカップなども飾られていた。奥には村上春樹の書斎を模した部屋もつくられていた。写真を撮ったりしているうちにパスタが出来上がって来た。女性が1人でコーヒーを飲みながらドーナツを食べていた。あれはダンキンドーナツだろうかなどと考えながらパスタをいただいた。JAZZのBGMが流れる中もっとゆったりした気分を味わいたかったけれど、次第に込み合ってきたので、早めに切り上げることにした。隈研吾さんの建築や安西水丸さんのイラストも十分に堪能させていただいた。ちょうど13時になっていたので、ミーハーな僕は柴田さんのお顔だけ少し拝見して話も聞かずに建物から出た。心残りなのは、大階段の横の大きな本棚にある蔵書をじっくりながめることができなかったこと。次に訪れる機会があれば、もう少し時間をかけて本を手に取ったりもしてみたい。

演劇博物館


 それでも、予定外に十分楽しめた。それで駅に戻るつもりだった。ところが、すぐ横の演劇博物館でもイベントをしているということだったので少し寄ってみることにした。この中は基本的に撮影禁止であった。でも、実はここに多く感動的な出会いがあった。谷崎潤一郎や三島由紀夫の手書きの手紙があった。安部公房関連のものもあった。寺山修二が書き込みをしている台本もあった。それから、横尾忠則のポスターもいくつか飾られていた。野田秀樹も登場していた。シェイクスピア関連の展示もあった。散楽から猿楽、能や狂言さらに文楽までいろいろと歴史についての説明もあった。あまり詳しく解説を読んだわけではなかったが、とにかくいくつかの実物を目にすることができて感動した。ついでに同時開催されていた越路吹雪の衣装も堪能させていただいた。外に出て、坪内逍遥の銅像といっしょに写真を撮ってその場を後にした。

八重洲ブックセンター


 早稲田大学のキャンパスを通って地下鉄東西線の駅に向かった。暑かった。新幹線なら日本橋からの方が近いというSの指示に従って東京駅八重洲南口を目指した。そこで感動の出会いがもう1つ待ち受けていた。それは八重洲ブックセンターである。昔あった場所にはもうなくなっておりさみしいなあと思っていたところ、東京駅の構内に復活していた。それもちょうど2日前にオープンしたばかりだった。中央改札から入っていれば通りかからなかった。Sが南口からの方が自由席に近いと教えてくれたおかげだ。もちろん、お店の規模はずいぶん小さく専門書の棚は期待できない。それでもやはり町に本屋さんがあるのは良い。探したい本を見つけるにはちょうどいいくらいの広さだ。待ち合わせに使えば、待たされているということを忘れることもできる。そのとき僕はもうゆっくり見て回る元気はなかったのだが、多くの作家さんたちの最後に記したサインを写真に収めることができた。

帰路


 さあ、前日の14時からずっと一緒に過ごしたSともお別れの時間になった。私の趣味にまで付き合わせてしまって、まあ、また近いうちに会いましょう、ということで僕は改札を通って新幹線のホームを目指した。14時39分発博多行きののぞみに乗車。始発なので今度はゆっくりと座れた。残念だったのは、帰りは雲が多く富士山が全く見えなかったこと。2時間とちょっと、あっという間である。トンネルを越えるとすぐに京都だ。

 60歳まであと半年の6月。思いがけず、楽しい2日間を過ごすことができたので、記録しておいた。

2024年6月15(土),16日(日)

 

 

 

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