散財という経験
夫がいなくなってから、姉妹や息子たちにお金のこと、私のやりたい事の相談をいつもしていた私。それに気がつけたのも最近だけれども。
人に相談すること自体は、他の見解が知れるし、自分の考えも整理できて、いいことだろう。
しかし自身が熟慮することも必要かもしれないと、思えてきた。というのも、自分の考えがだんだん見えなくなってきて、結果、他人の意見が、私の考えを覆い尽くしてしまう気がするのだ。
この2年で、「やりたいこと、結構あるんだな」と自分の思いに気づいた私。
でも、まだそれって箇条書きの段階。その箇条書きの段階で、人に相談をする。
そして、そのやりたいことを、その人も一緒にやるとなると、その人の分の費用も負担しなくては(私が同行してもらいたいのかも?)いけないと勝手に思ってしまう。
お金は有限だし、私以外のお金まで出すとなると少なくとも2倍はかかってしまう。今後、ずっと続けていったら、費用は膨大になる。
夫が亡くなって、ひとりで生活するということはこういうことなのか。
やりたいことを共有して、夫婦同じ財布の中からお金を使うということが、夫婦のあり方なのか。
私は、夫がいないので、それを共有する人がいない。だから、ひとりでやりたいことを見つけ、遂行し、お金を使っていく。
実はこの2年、私に付き合ってくれた人の費用を可能な限り負担してきた。しかしここにきて、あったはずの貯金がかなり減っていることに気がついた。
一応保険は入ってはいるが、家族が費用のかかる大変な病気や怪我にかかるかもしれないし、事故で多額の賠償金を払わなくてはならないかもしれない。
そう思うと人にお金を使っている場合ではない。自分の身を守るためにも蓄えが必要だ。誰も守ってくれないのだから。
そうは言っても、今まで使ってきてしまったお金は、どうしようもない。問題はこれから散財しないということだ。
回り道にしては,2年は近かった、(よね?)と思おう。
とにかくこれをありがたい経験として、今後は貯金を10万はしていく目標を決めた。
あまりに長期の目標は挫折するかもしれないから。とりあえず来年春までは、人との付き合い方とお金の使い方に少し神経質に気をつけていきたい。ひとり行動も本当に必要なモノ考えつつ本質を見つけていきたい。
幸か不幸か、今年度は有給が全くない。これも神様からの、いや、夫からの、プレゼントかもしれない。
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