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わたしが国際協力分野の就活支援を始めたわけ(コミットするということ)

わたしは、このたび国際協力キャリア支援のナビゲーターの仕事をはじめました。国際協力に関心がある人たちが、それを仕事として考え始めた時に、その水先案内がしたい。そこに、わたしの個性と経験の全てが生かせるのではないか。そのように考えています。

社会人経験から言えること

これまで20数年間、社会人をしてきたのですが、1992年に初めてついた仕事が、まったく何の予備知識もなしで飛び込んだ民間の開発コンサルタントの仕事でした。より正確には農業分野では業界トップクラスの建設コンサルタント会社で、わたしは事務系のコンサルタント(のちに社会開発コンサルタント)として、国家計画からコミュニティ開発にいたるまで幅広い地域開発の業務に従事させていただくことができました。

開発コンサルタントという仕事

開発コンサルタントの仕事は、ほぼ100パーセントが政府開発援助(ODA)の仕事です。つまり、わたしは、16年間、みなさんの税金で、ご飯を食べさせていただきました。

しかも、開発途上国支援という、おそらく今、世界で一番ホットでおもしろい社会事象のフロントラインで学ばせていただきました。

10年前に、事情で仕事をやめて、実家のある愛知に戻ることになりました。

その際に、この経験や知識を自分だけで死蔵していいのだろうか。昔はよかったという、そしておそらく脚色された武勇伝とともに墓場にもっていってしまっていいのだろうか。

そのように漠然と考えて不安になったことがありました。

ひとりで何ができるのか?

しかしながら、単なる元開発コンサルタントがフリーでやっていけるほど甘い世界ではありません。しかも、開発援助の世界で働いている日本人は、おそらく9割がた、東京に足場を置いていると思います。

愛知県に戻ったわたしは、開発コンサルタント会社のスタッフという看板がない中で、日本の片田舎にいる自分になにができるのかと常に考えていた気がします。

その答えをだそうともがきつづけたのが、この10年であったともいえます。

まったくの異業種で5年間はたらいて、それなりに仕事に慣れてきたのですが、地域開発への情熱が捨てられずに退職して、大学院へいこうとしました。

しかしストレートにいかず、縁があった国際協力NGOで一年間、スタッフとして働かせていただくことになりました。その中で、大学院に進学すべきかどうか、また道に迷い…。そのいきさつを、ざっくりと話しましょう。

外交官旅券で仕事をする

ODA(政府開発援助)では、あたりまえのことですが、日本政府の調査団員として青パス(正確には、緑色のパスポート)、一時雇用の政府関係者のパスポート(外交官パスポートのような特別なものです)で仕事をします。

本人が意識しようとしまいと、とどのつまり親方、日の丸で(まさにそのもの)偉そうに専門家気どり(実際には、開発コンサルタントは間違いなく専門家そのものですが)で、肩で風を切っていたのかもしれません。

そんな頃が懐かしいというかはずかしいという経験を、この1年余りの国際協力NGOのお仕事の中でまざまざとさせていただきました。

今思えばとんでもない話ですが、開発コンサルタントのスタッフの時には、開発途上国の国家元首や大臣、官庁(役所)のハイレベルスタッフとあたりまえのように会議をしたり、コンサルティングをしてました。

ただ、それは、客観的にみるまでもなく、青パスのおかげてあり、その国なりを援助する側の人間であるという特権であったことを、自分の能力だと錯覚していた。

本当に、そんなおめでたい仕事ぶりというか、世界認識だったのです。そのことを、まざまざと見せつけられたのが、このわずか一年ですが、国際協力NGOでの仕事でした。

国際協力NGOで働く

ここでの経験はあまりにこれまでみていた世界とは異なる壮絶なものでした。詳しくは語れませんが、仮にこの経験なしに大学院に進学していたらあまりにおめでたい論文しかかけなかったことでしょう。

さて、この迷いから、あらためて大学院の研究テーマを考えなおして、一旦、受かっていた大学院も入学辞退して、別の大学院を受験しなおしたのが、この5年間の動きです。

その放浪の過程はともかく、わたしは、他人の人生にコミットしたことがあったかというのが、このエッセイのテーマです。結局、それをしてこなかった自分に、齢50近くになってようやく気がつきました。

他人の人生へのコミットメント

この事業は、自分の今までの人生経験の全てをかけて本気で取り組みます。本気で、自分の人生を、国際協力にかけてみたいという、日本中の有志がいるかぎり、全力で、このプロとしての国際協力の世界をナビゲートします。

おそらくわれわれが、本気でタックルしなければならない課題や問題は、まちがいなく仕事としてコミットしないかぎり、相手(課題や問題そのもの)が、われわれを相手にもしてくれない。

コミットするということは、結論がでるまでやり抜くこと。結果は結果で成功も失敗もない。そんな、結果にコミットした仕事をしていきたいと思います。

わたしができること

わたしができる、やるべきだと思うこと、そして、なにより、わたしが手伝えることで悩んで迷っている仲間がいれば、わたしの力の全てをつかってナビゲートする。一緒に、この海路のない、荒波を乗り切ろうとコミットできない人は、残念ながら、わたしはその人の船から降りなければなりません。

なぜなら、あなたの船(人生)のキャプテン(船長)はあなた自身であり、わたしは、一介の、たまたま難所を案内するナビゲーターにすぎないからです。

ささやかな成功体験

すでに、わたしは、ふたつの船をナビゲートして結果を出しています。一人は、社会人で全くの異業種から国際協力の世界へキャリアチェンジをしたいと、わたしのホームページをみていきなり電話してきたHくん(男性・20代半ば)。電話だけ(結構長電話)のコンサルティングでしたが、見事、志望の国際協力が学べる大学院に進学し、その経験を活かして社会人として、あらたな道に進まれました。

もう一人は、たまたま国際協力関係のイベントで言葉を交わした現役の大学生のEくん(当時、大学4年生)、そのイベントの後で、あらためて日時をきめて彼の進路相談にのりました。彼なりに、就職先や仕事観をもっていましたが、学部と国際協力のボランティアの経験では、開発コンサルタントの仕事は難しいとあきらめていたようですが、わたしが業界のことを説明し、さまざまなアクターとその仕事内容の生情報(これが大切です。本には書いていない裏の裏まで。)を語りました。

その後、ずっと連絡がなかったのですがSNSでひょんなきっかけでつながったときに、その後、開発コンサルタント会社に就職したという喜びの声をききました。

それは偶然ではなく必然の結果でした

確かに、今のところ、わずか2件の経験でしかありません。今後、私の一言が他人の人生を変えてしまうかもしれない。

2つのあげた事例は、本人も納得して、本人が望んだ方向に進んだからよかった、たまたまうまくいったケースなのかのしれない。

しかし、これは偶然でもラッキーでもありません。本人も、本気で何かをしたいと思った。その判断のために必要な情報を、わたしが持っていて、わたしも本気で、かれらの人生のことを真剣に考えてアドバイスした。そう、必然の結果ですし、ほぼ100パーセントの成功しかない事業だと思います。

わたしのいままでの経験や、開発援助の現場で、なにをみてなにを考え、なにに失敗してきたのか、はたまた、なにか新しいイノベーションをおこすことができたのか、については、すでにおそらく何千万文字以上も、ホームページやブログに、すべて無料でリンクフリーで、2000年からずっと公開しています。

このウェブという公共空間にだせない情報がいくらでもあることは、みなさん、想像に難くないと思いますが、わたしが、仕事としてナビゲートするからには、海図(ウェブページ)にのっていないベテランしかわからない秘密の暗誦や、もしかしたら、宝島の宝の隠し場所を教えてあげれるかもしれない。

一緒に宝を探り当てましょう

あなたが、本気でコミットするかぎり、わたしも、とことん、コミットし続けます。倍返しどころか、10倍くらい?は、ちょっと盛りすぎですが、あなたが思う以上の情報を提供します。むろん、わたしの得意でない分野もありますが、そのときは、一緒に勉強しましょう。おそらく、しばやんネットワークで、ほとんどの分野への対応が可能だと思います。

仕事としてやるかぎり、100パーセント以上のコミットを、わたしもしますし、お客様である船長さんにも求めます。あなたの海図づくりと進路をわたしにも考えさせてください。一緒に挑戦しましょう。

原題:コミットするということ-仕事をするのにあたっての決意 ブログ版歩く仲間 2018年12月9日 2021年6月1日 加筆修正

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