挑戦の条件

本投稿のGOAL:
人は挑戦する。もしくは挑戦しない。その違いとなる条件は何なのか、考えるきっかけになる。

アルカスユース熊谷、ヘッドコーチの菅原です。

昨日、自分の「幸せ」のために挑戦するやすし君を紹介しました。

「拙速は巧遅に勝る」「直観」「挑戦」あたりが最近の私の中のキーワードでして、活動が制限されている中ですが、とにかく「今自分が本当に求めていることは何か」「今自分が本当にやらなければならないことは何か」「今自分が本当に求められていることは何か」「それを本当にすぐに実践できるのか」…。といったことを常にイメージしながら生活しています。

1、「挑戦」の定義

昨日の文脈と重複しますが、本当は誰しも「自分が本来求めていること」があって、それを実現することが「幸せ」につながることはわかっていながら、現実を知り、様々なものを諦めていきます。
「挑戦することをやめてしまう」とも言い換えられます。

なぜそうなるのか。
簡単に言えば「失敗を恐れているから」。
共感していただけると思いますし、私自身もこれまでを振り返り、痛感します。

もちろん、現状に甘んじること、と言ったら聞こえが良くありませんが「現実とうまく付き合うこと」や「諦めること」は全くもって悪いことではなくて、守るべきモノがあれば、自分の意思や活動をある程度制限しなければならない、ある種の決断を迫られるシーンも多分に出てきます。
それはそれで、めちゃくちゃ尊いですし、守るべきモノのために自分の意思を抑えることだって、ある意味「挑戦」と言えるかもしれません。

ただ昨日、そして本日は「(本来的な意味で)挑戦をすること」をテーマに記しています。
皆、何の制限もなければ、様々なことに(本来的な意味の)挑戦をするはずだ、という文脈です。
繰り返しますが、簡単にまとめると「挑戦しないこと=悪」ではありません。

2、「挑戦」の条件

ここで「挑戦」のための条件を2つにまとめてみました。

①明確なゴール(到達点)と、正確なスタート(現在地)を設定する。
②「失敗」を許容する文化がある。

①について。
明確な、できれば数値化できるようなゴール設定の重要性は、以前の投稿でも書きました。

https://note.com/arukas_y_hc_2020/n/nda44e39193c1

もうひとつめちゃくちゃ重要なことが、

「スタート(現在地)を見誤らない」

ということです。
これも、アルカス熊谷の宮崎氏に見事に言語化していただきました。
「理想(ゴール)と現実(スタート)がマッチしているか」とも言えます。
例えば私が「今年までにセブンズの日本代表になって、東京オリンピックを目指す」と言い出したら、皆さんはどう思われますか?
「無理」の一言だと思います。
私だって、本当に実現可能なら、本当に一切の制限がなければ、オリンピックに出たいです笑。
ただ大学卒業後以降から現在まで、ほとんど厳しいトレーニングをしていない、そもそもオリンピックに出場することを目指していない、というのが私の現在地です。
だから今の私が「オリンピアンになりたい」とか言い出したら、それは現在地の認識が誤っている、ということになります。

そして、正しくスタート設定ができたら、設定したゴールと照らし合わせてみる。
私は「本気でやれば不可能などない」と考える派ですので、全くマッチしないスタートとゴールはないと思います。
ただ、問題になるのが、期間、期限です。
「そのスタートからゴールまで、どれくらいの期間を要するのか」「求める期限までに実現可能なのか」といったことも計算に入れなければなりません。
ただ闇雲に「やりたいことをやる」のではなく、こうした計画までしっかり練って挑戦したいものです。

②について。
挑戦に失敗はつきもので、その失敗から学ぶことで、トライ&エラーの質が高まるはずです。
ただ、何かに挑戦しようと意気込んでいる最中、「いやいや無理だろ」とか言われたら、誰だって挑戦する気が失せます。
何かに挑戦した後、「お前何やってんだよ」とか言われても、意気消沈します。
挑戦する人の周囲に「失敗を許容する文化」がなければ、その挑戦は原則成功させなければならなくなる。
「失敗が許されない」って、めちゃくちゃストレスじゃないですか?
もちろん、状況にもよります。
組織を無視して、計画も無しに暴走したり、組織のカルチャーや規律、風紀を乱したり、法に抵触したりするようなことがあった場合は厳しく罰せられて然るべきです。

3、「挑戦」が全てではなく、それを応援できる人間でありたい。

「皆、本来的な意味で、挑戦することを求めている。」
「なぜならそれが、本来的な幸せにつながることが潜在的にわかっているから。」
と述べました。

しかし、全ての方に共感してもらえるなどと考えてはいません。
本来的な意味の挑戦ができない理由だってあります。
どうしても自分の意思をコントロールしなければならない状況だって、生きていればそりゃああります。
無難な人生にだって、それはそれで充実させることだってできます。
「本来的な意味の挑戦」が全てではないです。
心惹かれますけれどね。

ただ私は、たとえ望んだ挑戦ができなかったとしても、大小に関わらず、

「挑戦する人を応援できる人間でありたい。」

と強く思うのです。
挑戦する人を妬んだり僻んだり否定したり…足を引っ張り合うのではなく、快く「おう、やってみろよ!」と送り出せる人になりたいですし、たとえその人が失敗しても「切り替えろ!」と言ってあげたい。
こうした爽やかで前向きな人がひとりでも多い世の中になればいいな、と感じています。

そのためにまずは自分から。

「ゴール、スタートを正しく見定めて、挑戦する」
「失敗を快く許す」

考え続けたいと思います。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。


ARUKAS YOUTH KUMAGAYA ヘッドコーチ 菅原悠佑





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