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【論考】山内文貴展『フルホログラム・サイコシティー』から考える「検索できない絵」

アニメから引用するキャラクター図像の限界を見つめ直し、今後の可能性を手繰る

何か画像を探したいと思った時、グーグル検索は便利だ。「ツンデレ 女の子」と検索すれば眉をつり上げたツインテールの女の子がたくさん出てくるし、「火の魔法 女の子」なら赤髪でローブか魔法学校の制服的衣装を着た女の子の背景で炎がカッと燃えているイメージがいくつも出てくる。

村上隆によるスーパーフラット宣言(2000年頃)以降、美術にオタクカルチャー(萌え、アニメ、ゲーム等)のイメージ、つまりキャラクター図像を持ち込む波がきた。2000年代からはリアルの展覧会だけではなくインターネット上でもその余波を感じられるキャラクター図像を用いた作品が散見されるようになるが、時代の経過とともにその余波は主にインターネット上でのイメージ飽和、いわゆるエコーチェンバーへの疑念に接続する。今回はある展覧会のレビューとともに、この文脈でキャラクター図像を用いた絵画の今後の可能性と「(簡単に)検索できない絵」について考えてみたい。

「飽和」の要因について

飽和の要因は二軸あると考えられる。

(ⅰ)「アニメ的イメージ」への慣れ

そもそも、90年代半ば頃までアニメは子どもかおたくの娯楽とされ社会の世間一般(これをアニメカルチャーの外部とする)から距離を置かれていたが、98年以降は『新世紀エヴァンゲリオン』など青年向けの深夜アニメが一般化し、00年代には『涼宮ハルヒの憂鬱』『化物語』などのヒット作も登場。外部とアニメの距離はグッと縮まった。

2010年以降からは自嘲気味におたくを自称できる風潮が生まれ、2020年以降から現在に至るまでオープンな趣味として「推し活」が市場を賑わせるようになる。距離が縮まるどころか、外部がアニメを購買意欲を煽る商材として囲い込んでしまったような状態だ。

00年代から現在にかけてアニメのイメージはテレビのリアルタイム放送を超え、映画上映から動画配信、広告、さらには個人SNSのアイコンまで場所と時間にこだわらず捉えることができるようになった。より身近に、洗練された「アニメ(とそのキャラクター)」を娯楽として享受することは当たり前になったのだ。

また、先述したスーパーフラット以降は美術だけでなくイラストレーションにも同じような波がきていた。1980年以降、漫画雑誌『ガロ』等に強く影響を受けていたり、自身が漫画家のキャリアを持つイラストレーターが活躍する動きはあったものの、2017年からは平泉 康児によるポップカルチャーを横断するイラストレーター名鑑「ILLUSTRATIONシリーズ」が年次でリリースされるようになり、イラストレーション市場には衝撃が走る。美術界で村上隆の余波的アクションが見られたように、ガロ出身の中村佑介や元々漫画家のキャリアを持つ江口寿史からの余波も伝播しているようなシーンの幕開けを感じた出来事のひとつである。

(ⅱ)複製されサジェストされ続ける引用先

そもそも小説、漫画、アニメ等に登場するキャラクターは斎藤環の言説を引用すると「同一性を伝達するもの」。つまり、漫画やアニメのキャラクターにおいても共通認識を持てる記号から構成されたキャラクター図像こそがそういったキャラクターたらしめるものといえる。

しかしながら、それが持ち込んだ先でも氾濫している状態には懐疑的だ。(i)でも述べたようにアニメイメージへ慣れた社会の中で️️キャラクター図像を用いた作品を作り続ける意味はあるのだろうか。

まだアニメファンが外部から気持ち悪いとされる空気感が立ち込めていたからこそ衝撃的だったスーパーフラット。作家活動にSNSはほぼ必須の今、その余波はエコーチェンバーから抜け出せないインターネットで複製され続け、各々へ還元される。見慣れたキャラクター図像をモチーフとして扱い続け、焼き直し続ける意味とはなんなのか。東浩紀は2010年代からそういったインターネットの弱さ(強さゆえの弱さ)について指摘し続けているため、陳腐な提起の自覚はある。

とはいえ、ぼくたちはもうネットから離れられない。だとすれば、その統制から逸脱する方法はただひとつ。グーグルが予測できない言葉で検索することです。

弱いつながり 検索ワードを探す旅』東浩紀

ただ、東氏の言葉を借りるとするならばグーグルが予測できない言葉で検索して出てくる絵、言い換えれば「検索できない絵」はキャラクター絵画の今後を照らす光源となりうるだろう。

さて、今回この提起(仮定)のもとこちらの展覧会を見ていきたい。

山内文貴展その22
フルホログラム・サイコシティー

2024.7.23 (火) – 8.4(日) 
11:00-19:00(日曜日17時/月曜定休日)
【スペースA】
2週間の開催です。
皆さまのご来場をお待ちしております。
#サープ
sarp-sendai.com

SARP現地会場の様子(撮影、SNS掲載OKとのこと)

山内文貴氏と本展覧会について

山内 文貴

2002年生活文化大学の生活美術学科入学以降、個展やふたり展へ精力的に参加し、近年では宮城県芸術選奨新人賞を受賞。

少年時代は(コロコロコミックではなく)コミックボンボン、SDガンダム外伝に熱中。中学時代は卓球部、エアマックスが流行っていたが自身には関係なかったという。

美術界は、何のいんがかスーパーフラットからまんがOKみたいに波及していて写実が描けないのがバレなかった

氏の自分史「山年表」より
氏の自分史山年表

本展覧会『フルホログラム・サイコシティー』会場内にはステートメントの類が見当たらなかったが、前提情報としてDMの挨拶文を以下引用する。

お世話になっております。 個展を開催しますのでよろしくお願いします。 暮らしの中ではさまざま風物が薄まって感じてどうなのと思いつつ、心持ちの 奥からかなり単純なものが直接的にショルダーみたいな。ありがトーのトー がつま先でハーモニーなのですとかで。 はい奏でてますだいじょぶですみたいなものすごいおもむろですが、そういう根源的な極太のおもむろがはいショルダーですみたいな可能性出てきてます。 是非ご高覧下さいませ。

フルホログラム・サイコシティー DM裏面「ごあいさつ」より

「検索できない絵」があった

《山年表》とDMのご挨拶でなんじゃそりゃ、と思わずひっくり返りそうになるのだが、鮮烈な文字とビジュアルのイメージの数々を眺めているうちに気づいたら会場の奥に進んでいる。

まさに先述した「検索できない絵」が飾られているのだ。

山内 文貴《︎島谷ひとみ》

「島谷ひとみのパピヨンっぽい絵を観たいな〜」と思い立って[島谷ひとみ パピヨン 絵]と検索欄に打ち込むシーンはそうそうないだろうし、たとえそういう絵を求めていたとしても蝶々不在のパピヨンはどういうことなのだろうか。逆にこの絵を画像検索にかけるとどうなるのだろうか。

勝手に検索にかけて申し訳ありません


当たり前だが、蝶々はおろか『パピヨン』のジャケットすら出てこない。


失礼は承知で、山内氏がこの作風でアニメーションやイラストレーションの仕事をされていないか少し調べたものの、この名義ではそのご実績を確認することはできなかった。あくまでこれを美術のフィールドでやっている思い切りの良さと、コミカルさ。

「こういうイメージを見たい」と思った時、グーグルでなんと検索すればいいのだろう。タッチでいえば浮かぶ漫画家や漫画レーベルは想起すれど、検索しても山内氏の絵には辿り着けないのだ。

今回、この展覧会と偶然出会った結果、キャラクター絵画でキーとなるのは「(ワードで容易に)検索できない絵」なのではなく、「(絵そのものを)検索にかけてもコンセプトや表象に結びつかない絵」なのではないか?と着地する。ただ、冒頭で示した飽和のイメージは「萌え系」のアニメ・漫画等から引用したキャラクター図像の色が強く、この展覧会と結節点を見出すことに無理が生じているのも否めない。その無理を「アリ」に寄せるため、今後はこの展覧会で得た気づきをもとに実際に手を動かすスタディーを通して掘り下げていくこととする。

それはそれとして、サイコになりたい夏にはちょうどいい展覧会。会場は会期中、山内氏の手によって徐々にアップデートされているようだ。

おまえも、あせばんでいろ……。ショルダー的に……。



赤瀬川 沙耶


参考文献

石川洋明『「キャラ」論・再考、あるいはポストモダンにおける自己形成をめぐる試論』名古屋市立大学大学院人間文化研究科『人間文化研究』抜刷 20号

東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』幻冬舎文庫

斎藤環『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』筑摩書房

『盛り上がりをみせる「推し活」──変遷するカルチャーの今とは』マスターズ2022年11月号

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