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思考のOSが違う?――スピノザ哲学が広げる視界と可能性
國分功一朗さんが出演しているyoutube動画がおすすめに上がって色々見ていると、スピノザについて知りたくなったこの頃です。
そんな時、僕は『はじめてのスピノザ』を手にしました。
この本はスピノザの入門書的なもので、文体と内容も分かりやすく書かれております。
スピノザというと『エチカ』のイメージがありますが、正直読むのは困難に思えていました。
そんなところ、この本を読めたのは良いタイミングでした。
今回は本書の特に興味深かった点に触れながら話していこうと思います。
スピノザは思考のOSが違う
スピノザは17世紀、オランダの哲学者です。
國分さんは、スピノザは例えるなら思考のOSが違うと述べています。
アプリケーションを入れること=新たな価値観を入れること、とすればそのアプリを入れる感覚とは異なる。
考え方そのものが違うということでしょうか。
そう言われると非常に難解に思えてきます。
ただ考え方そのものが違うとと聞くと、それがまた気になります。
それは何か新しい視点を得られることが期待できるためでした。
”考えること”に対し僕は最近無気力です。人間の限界というものを感じてくるのです。
哲学をアプリと捉え、アプリを入れるとそれが動いてくれる。
そのような考え方は、考える行為そのものを考えてるというか、概念を使いこなすのは自分自身であることを思い出させてくれる言葉でもあると感じます。
(スピノザの考えについてどのようなものか示すために例えた言葉かもしれないが・・)
スピノザ的な世界の捉え方。善悪は組み合わせ
存在している個体は、それぞれがそれ自体の完全性を備えている
スピノザは自然界に完全/不完全は存在せず、その個体自体は完全であると述べています。
完全は人間がそれぞれ持つ一般的観念を通して決められているとしています。
そこから善悪は組み合わせによるものだと導きました。
自然界にはそれ自体として善いものや悪いものはないけれども、うまく組み合わさるものとうまく組み合わさらないものが存在する。それが善悪の起源だとスピノザは考えているわけです。
面白いのは組み合わせという考え方。
:音楽を例にすると(本書を要約)
落ち込んでいる人×音楽=力が湧いてくる
悲傷な人×音楽=悲しみに浸るにあたって邪魔になる
音楽それ自体はただ在るだけの状態。
薬も悪い部分がある人にとっては効用があるが、無い人にはかえって身体に悪いでしょう。
(他にも色々な例があると思うが)
まとめると、自然にあるものは、それ自体完全なものとして存在しているため、その個体自体には完全/不完全がありません。そこから組み合わせによって善悪が生まれると結論づけました。
組み合わせが良い→活動能力が高まる
『エチカ』は日本語にすると倫理学になります。
善悪、完全不完全そのような言葉がいらないというよりか、再定義し、改めてより善い生き方といった倫理学的問題に立ち向かっているように思います。
スピノザの倫理学は実験することを求めます。どれとどれがうまく組み合うかを試してみるということです。
先ほど、音楽の例を挙げましたが、これは人によって違うとも感じます。
ですがそれで正しいのでしょう。方向的には
あくまで組み合わせなので、Aの人には善い組み合わせ、Bの人には悪い組み合わせ。
そうして個人の差が考えられている部分が、通常善悪について考える際と大きく異なる点で、同時にエネルギーや明るさを感じますね。
個別の実験を求めるとのことでしたので、生活の中で何が良い組み合わせかを日々実験していきましょうという姿勢です。
感情すらも自然界か
スピノザ的考えでは自然界に完全/不完全は存在せず、物の組み合わせによる反応で善か悪かが判断されると、ここまで述べてきました。
これは自然界に対する物の見方です。生物どうしは組み合わせが悪いと何か毒を被ったり、組み合わせが善いと効用を得られます。
感情に対しても、自然界と同様に捉えているように感じたのです。
本書内で、暑い→発汗するという反応が例として出されていました。身体の反応が起こった原因です。
そのような外部の反応に対する分野は医学や科学が解決してきました。原因を探っていくことで。
人間の感情や見えない部分も徹底して原因を調べていく。組み合わせについて考える(実験する)ことをしようということなのでしょうか。
活力を与える考え方だなと
ここまで本書のおおまかな内容を述べてきましたが、確かにスピノザは考え方そのものが違うように思えます。
僕的にスピノザは活力を与える考え方なように思いました。
人間の可能性を信じているというか、希望とエネルギーを感じます。
現代でスピノザOSを動作させるとしても、あまり違和感は感じないかなと思います。
というのも、現代は○○らしさよりも個性を大事にする時代に入ってきていると思います。
(スピノザを語る上でそういう話題はどうなのか分かりませんが・・)
とにかく感情に左右される人間であれば、自分の感情をコントロールしたいと思うはず。
そうした場合、予備にでもスピノザ的なOSを構えておくことは悪くないと感じました。
自分の行動と重なること
スピノザは組み合わせとしての善悪を提案した上で、それぞれの人間が組み合わせを実験することを求めました。
自分との組み合わせを考えていく上で、先ほど例として音楽がありましたね。
音楽×気分というより、この気分の時、○○な気分になりたい時、この曲を聴こうといった考えは各々あるのではないでしょうか。
僕も昭和歌謡を聴きたい気分の時と、hiphopが聴きたい気分の時は異なりますし、組み合わせが悪いと、今は聞きたくないなといった瞬間もあります。
また気持ちをクリアにしたい時にはクラシックを聴きますね。
(僕は特にクリアにしたい際にはドヴォルザーク交響曲第9番第1楽章をよく聴きます)
音楽を例にしても人それぞれですし、音楽のジャンルをどんな感情の時に聴くか異なる。サブスク時代ならではかもしれませんね。
細かく考えなくとも、○○をやると自分にとっていいかもしれない・・と思えば、それを把握していきます。
トリガーメモ
僕は昔トリガーメモといって自分の感情の起伏が起きるきっかけをメモったりしていました。
(内容は恥ずかしいので公開できませんが)
ただ、こういうことをすると生活に彩りが加わるのではないか・・自分について理解を深めようとする行為は皆やっているでしょう。
そのようなものを言語化し、認識していく試みは自分にあった組み合わせを実験している行為と言えるのではないでしょうか。
Notionで自分の興味を把握する人々
最近までNotionの記事をいくつか書いていました。
noteではよくNotionの記事が見受けられますが、すごく使いこなしている方々は全てをnotionに詰め込んでいる印象です。
(僕は現状すべてを詰め込むことはできていませんが・・。詳しくは下記の記事)
とにかく、全てを詰め込んでいる方々は、タスク管理から自分の興味まで全てを言語化し、俯瞰しています。そうして自分についての理解を深めることで、実験的なことをしているのかもしれません。
コナトゥス
コナトゥス:個体をいまある状態に維持しようとする力
コナトゥスはエチカを読む上では大事な用語になってくるみたいですが、現段階の僕には詳しくは説明不可能です。
ただ自分を維持することと言うと適当ですが、感情の左右はキーかもしれません。
ただ自分を維持することですから、各々の個性をかなり大事にしている気がします。
実験し自分について理解を深め、よりよい組み合わせで自分を洗練し維持していくこと。それがコナトゥスといった言葉に関係している気がします。
(なんとなく・・)
その上で自分を突き詰めた先、社会全体はどうなのか。
それは本書でも触れていましたが、上手く説明できる気がしないので、この記事では割愛したいと思います。詳しくは本書を読んでみてください。