慰めはいらない、頑張ってるんだねって言われたいだけ
鬱になると孤独になります。
私は今、こうして苦しんでいるけれど、それでも変わらずに世界は回っている。
苦しんでいる私のことを誰も見ていない、誰も知らない。
それなのに、どうして苦しまなければいけないのだろう。
なんか、損した気分だ。
ひとりぼっちの部屋の中で、誰かを待っているような、誰にも会いたくないような。
そんな葛藤を抱きます。
それからしばらくして、元気になって外に出ると、いつも通りの日常が広がっています。
いつもの登校中の子どもたち、いつもの大学、いつもの友達。
変わらない存在、変わらない世界に安心感を抱きます。
けれど、心の奥深くには、それまで感じていたはずの苦しみをなかったことにされたような、そんな悲しみもあります。
私自身、しんどかったことはすぐに忘れます。
上手く思い出せなくて、「あ、なんかしんどかったんですけど、今は元気です!」と言ってしまいます。
だから、この苦しみは、誰にも知られることはないし、自分自身にすら忘れられてしまい… そうして、苦しみに暮れているもう1人の私は、置き去りになってしまうのです。
それで私は、そんな私をどうにかして助けてあげたい、報われてほしいと、友達に話してみたこともありました。
「こうこうでしんどくって、大変なの。」と。
でも、返ってくるのはいつも当たり障りのない言葉で、「無理しないでね。」「ゆっくりしてね。」と、優しい一言で話が締めくくられてしまうのでした。
いや、全然いいんですけどね。
「甘えてるだけじゃない?」とか言われないだけ、私は恵まれていますよ。
でも、なんか違うんですよね、、、すみません。
自分でもわからなくなるんです。
なんでこんな話を持ち出してしまったんだろうって。
相手が私の気持ちに共感できるはずがないし、共感させるということは、経験したことのない種類の苦しみを味合わせてしまうことになります。
だから、「共感してほしい」わけじゃないんです。
じゃあ「慰めてほしい」のかと言われると、これもまた違って、
優しい言葉をもらっても、このモヤモヤはモヤモヤのままです。
それに、「助けてほしい」というのもまた、どうしたら自分が助かるのかわからないし、誰にも助けられようのない問題だと思っているので、違うんです。
それでも、話したいのは確かなんです。
私は相手に何を求めてるんだろう。
なんで話したいと思ってしまうんだろう。
どうしたらモヤモヤがなくなるのだろう。
何度も何度も、考えに考えて、気づきました。
たぶん、こうなんじゃないでしょうか。
「頑張ってるんだねって言ってほしい」
みんなが就職したり、進学したりしている中、私は何も進んでいない。
それでも、そう見えていたとしても、私もみんなと同じように頑張っているんだよ。
成果として表れていないだけで、みんなと同じだよ。
そう伝えたかったんだと思います。
だから、優しい言葉じゃなくて、求めているのは、きっと対等な言葉なんです。
「就職決まったよ。」「すごいね。頑張ったね。」
それと同じように、ただお互いを、その努力を、称え合いたいだけ。
そういえば、友達が鬱になった時、私は友達に「頑張ってたんだね」って、むっちゃ言ってました。
自分がほしいと思っている言葉を、友達にはあげていたんですね。
誰か、私にも言ってくれないかなぁ。笑
その言葉をくれる人があまりにもいないから、今日は私から送ります。
みなさん、苦しくても頑張ってるんですね!!お互いに、頑張ってますね!!
その頑張りが成果にならなくても、失敗に終わっても、あなたは絶対に素敵な人です。
〜追記〜
言い方が悪いと思ったので、追加で書き留めます。
優しい言葉をかけてくださる方々にはとても感謝しています。
特にうつ状態の時には優しい言葉に救われますし、どんな私でも受け入れてくれるおかげで、自分の存在価値について考えずに過ごせています。
ただ、当たり障りがないなぁと思ってしまうことについては事実なので、それは単に私の性格が悪いということです。本当にすみません。