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暮らしを営む、豊かに生きる力を身につけるには

自然に近いところで暮らすこと。。。

私は子供の頃から、両親の影響もあり、自然の豊かさを味わいながら暮らすというのが日常でした。

とは言っても、誰もいない山奥の一軒家で暮らしてきたわけではなく、人里から少し離れた、自然のある場所で暮らしてきました。

きっかけは、都内に住んでいた私たち4人家族ですが、毎月熱を出すほど体が弱かった私のことを思い、絵描きだった父が「空気のいいところに引っ越そう!」と決意したことです。
私が8歳の頃、神奈川県の真鶴町に引っ越しました。

わたしを育ててくれた母は、元々北海道で育ち、自然が大好きで(特に食べることですが)「おじさんと十勝川でシャケを捕まえてさばいていた」と聞いています。

真鶴に越してからは、野いちごを家族で採りに行き、ジャムを作ったり、野草(山菜よりももっと日常的に周りに生えている草ですね)を摘んで料理をしたり、海に行けば、貝や海藻を採って、佃煮やところてんを作ったりと、母は特に楽しそうでした。

その楽しそうな母の姿につられ、子供だった私も、ヨモギやつくしやフキやアシタバを摘んだり、海で貝を採ったり、野いちごを摘んだりということが遊びのようになっていました。

今思えば、母は何も教えようとはしませんでした。

自分が楽しんでいただけ。

そして私も楽しいから真似していただけです。

でも今の私には、「その体験が、暮らしを豊かに営む土台になった」と言っても過言ではないほど、素晴らしい教育だったと感じます。

自然が与えてくれる恵みを味わってきたから、自然を傷つけようなんて思えません。これは自然なことです。

体で覚えたものは忘れないし、楽しい経験とともに記憶に染み込んでいるから忘れようがないのです。

母が亡くなった今では、春になれば私も庭のヨモギを摘んで草団子を作るし、ザルを片手に庭を一回りすれば、食べられる野草を見つけて、いくらでも天ぷらを作ることもできます。そしてそれを自然にやっている。

自然に私はやっているけれど、都内から遊びに来る友人なんかは、びっくりして、感動してその野草料理を食べてくれたりするのだから、みんながそのように生きているわけではないのだということはわかります。

なので、本当に母には感謝しています。たくさんのことを教えてくれました。

私が毎日の暮らしを豊かに楽しめるための知恵をたくさん授けてくれたんだと、今本当に感じます。その時は気づいていなかったけれど。

編み物もそのひとつ。

私は小さい頃、編み物をしている母の手元を見ているのが大好きでした。

幼稚園児だった私は、ある日母に

「わたしもあみたい、おにんぎょうのもうふ」

と言って、赤紫色の細い毛糸を見つけて差し出しました。

どういうやりとりがあったかは覚えていませんが、母は、5歳の私に根気強く、怒ることなく何度間違えても、教えてくれました。

私がうまくできなくて何度泣いても、直して、教えてくれたのです。

今振り返ると、もっと太い糸で、太い針で編んだ方が楽に決まっているのに、母は、私がこれで編みたいと言ったその細い赤紫色の糸で編ませてくれました。教えるのも大変なのに。

そして出来上がった小さな毛布。

それからも、編み物をしている母の近くで、自分もよく編み物をしていました。

わからなくなったら母に聞けばすぐに教えてもらえます。そのおかげで、わたしはどんな模様もどんな形のセーターも編めるようになりました。ゲージの取り方や、糸の太さが本と違っても、持っている糸で編む方法など、子供の頃にそういうことを教えてもらえて本当に良かったと感じています。

今では編み物はわたしにとって瞑想の時間。

手元を黙々と動かしていると、心は落ち着き、一本の糸が魔法のように自分の着るものを生み出していくその豊かさ。

「私たちは、いろんなことが出来るんだよ。なんでも作れるよ。その力があるんだよ。」

と母は言いませんでしたが、今のわたしの身についていることは、すべて人生の日常を豊かに工夫して楽しく美しく生きる技術なんだと感じます。

トップ画像のセーターは、一番最近編んだものです。自分で考えた簡単な形で。

自分たちで収穫してきたもので作る母の手料理が、幼い私の記憶にしっかりと残っているように、わたしも自分の娘に同じようなことを伝えてきました。

編み物も、娘が4歳の頃に教え始めて、その頃は母もまだ生きていたので、みんなで編み物をしたり、野草を摘んだり。。。。

ある日、小さい娘が車の窓から外を見て、こう叫びました

「バァバ!ほら食べられる葉っぱがいっぱいあるよ!」

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本当の豊かさって、毎日の中でいくらでも味わえる。

そしてその豊かさは、自分で見つけ生み出すものだということ。

その力を人は持っているのだということを、わたしは母から学んだのだと、今とても感じています。

あまりに自然な日常の中で得たものだから、それが特別なことだとは感じていませんでした、、、。

今わたしは、ヨガを教えたり、絵本を描くことによって、(またはこういう記事を書くことによって)周りの縁のある人たちにそのことを伝えているのかもしれません。

母はきっと、「ただ自分が楽しいからこれをやっているの、あなたに教えようなんて思っていなかったわ〜」って、笑っていると思いますけどね・・・

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母のことを書いていたら、涙がたくさん出てきました。

2年前に亡くなった時は、あまり涙が出てこなかった。

わたしが赤ちゃんの時から育ててくれました。
自分が産んだのではないのに、わたしが二十歳の時までそのことにも気づかないほど大切に丁寧に。。。

お母さんありがとう。

今年は寒いので、編み物をたくさんしています。

わたしはヨガの講師でもありますが、

編み物好きな方も、よかったらヨガもやってみてください。肩こりにもいいですよ。

ヨガも人生を楽しむための素晴らしい道具です。


see you soon!

シャンティ

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