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街を歩き、ストーリーを拾い、まちづくりを考える——YAU SALON vol.7「まちあるき」
アートの持つ創造力やアーティストならではの視点を、都市での活動やその設計にどう活かしていくか。そのことについて思考し、実践していく新しい街のムーブメント、「アートアーバニズム」。
この理念に基づき、アーティストをはじめとした芸術文化に携わる人と、大丸有エリアで働くビジネスパーソンが出会い、交流を深める場として、月に2度ほどの頻度で開催されているイベントが「YAU SALON」だ。
第7回目の開催となる今回は、「まちあるき」と称し、実際に「YAU STUDIO」が入居する有楽町ビルから東京駅、丸の内方面までを参加者とともに歩いた。解説は、この「大丸有」エリアのまちづくりを地権者と共に進めていくことを目的とする団体「一般社団法人大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会」事務局長の金城敦彦さんと、「都市体験」をテーマにしたデザインスタジオを運営する一般社団法人「for Cities」の石川由佳子さんが務めた。
「まちあるき」という、一見シンプルなこのイベントであるが、人知れず蓄積する都市計画の重層的な歴史や、ビジネス街という特徴を踏まえた新しいまちづくりの工夫を知り、深めていく最良の機会となった。
当日の模様を、音楽家でもあるライターのシャラポア野口がレポートする。
文=シャラポア野口(ライター、音楽家)
写真=Tokyo Tender Table(一部「✳︎」はYAU編集室撮影)
■さまざまなコンテクストが入り組む、楽しい「大丸有」へ
有楽町のまん真ん中、「YAU STUDIO」の大きなフロア。作業や会議など、各々の目的でスペースを利用する多種多様な人々で賑わうそんなフロアの中心に、一枚の大きなスクリーンが置かれている。さまざま活動の渦の中、「まちあるき」のための導入として、はじめに金城敦彦さんの大丸有エリアに関するレクチャーが行われた。
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YAUが所在する有楽町のエリアは、100棟ほどのビルがあり、28万人が勤める、日本を代表するビジネス街。金城さんは、そんな街を仕事だけの街にするのではなく、いろんな人たちが街を楽しんだり、アクティビティのある街づくりにしていきたいと語る。
「僕は大丸有を、『仕事をする街だし、休日に行きたくないよ!』というよりも、休日に友達や家族を連れてくるような街にしたいんですよね。今回のまちあるきの目的は、街の歴史の移り変わり、そして現在のまちづくりについて知ってもらうことにあります。この街にはさまざまな要素が断片的に入り込んでいます。歴史建造物がまちづくりの作法に密接に関わっていたり、最近のプロジェクトのそばで大正時代から続く街の様式が守られていたり……。さまざまなコンテクストが複雑に絡み合っていることが、大丸有の大きな特徴なのです」(金城)
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「大丸有」とは、大手町、丸の内、有楽町の総称で皇居の内堀と外堀で囲まれたエリアを指す。この辺り一帯はかつて、大名屋敷がひしめき合う場所だった。その場所が明治維新後、陸軍練兵場として再整備され、さらにその跡地が民間に払い下げられたという。そこから有楽町のまちづくりが始まり、さらに1914年の東京駅誕生により、丸の内、大手町と、どんどんビジネス街として広がっていったそうだ。実際にこのエリアには、明治27(1894)年に竣工され、平成になって復元された三菱一号館をはじめ、日本の近代を象徴する歴史的建造物がいまだに数多く残っている。
このようなエリアの歴史的経緯を踏まえながら、大丸有エリアのこれからのまちづくりについて考え、ガイドラインを制定していくのが、金城さんが事務局長を務める「一般社団法人大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会」だ。
「もとある街並みを活かしながら、魅力ある楽しいまちづくりを進めていくこと。その活動の手がかりを掴むためには、実際に街を歩きながら、さまざまなストーリーを拾っていくことが大切になります」と金城さんは語る。今回の「まちあるき」は、そんな金城さんによる、街への触れ方、そして愛し方を深く感じさせるものになった。
■YAU STUDIOから見る有楽町の「交通」
「実際に大丸有エリアを歩く前に、このYAU STUDIOの窓から見える風景を眺めてみてください」と金城さん。大きく広がる窓の真正面には、有楽町の代表的な建物である東京交通会館が見える。この辺りはかつて都内中の路面電車が集まる、まさに「交通」のハブとなるターミナルだったそうだ。
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そしてその手前には、JR有楽町駅がある。有楽町近辺といえば、いまでも高架下にたくさんの飲食店がひしめいているが、この辺りは開業当初から高架だったという。というのも、鉄道が走る前にはすでに都市化されていた銀座界隈。その交通の流れを踏切で遮らないために、高架にすることが要請されたそうだ。当たり前のようにあると思い、気にもとめてなかったそのレンガアーチには、明治から今に通じる都市計画上の役割と、その歴史的蓄積が詰まっていたのだ。
■有楽町ビルヂング・新有楽町ビルヂング
私たち参加者は、YAU STUDIOのある有楽町ビルを外に出て、お隣の新有楽町ビルへ。この辺りのビルの一階部分は、人々が行き交うパサージュを意識して設計されているのが特徴だ。重厚かつモダンな内装でありながら、人々はショッピングや飲食を楽しみながらそこを通り抜ける。
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一行は、新有楽町ビルの一角にスペースを構える「ソノアイダ」に立ち寄ることに。ここは、ビジネス街のまん真ん中にアトリエを持ち込み、アーティストが本格的な作品制作をする、「通勤型レジデンス」とのこと。この街を通りかかるビジネスパーソンなど、アートと日常的に縁のない方であっても制作現場や作家の営みを目の当たりにしてもらえる現場を作ることが、このスペースのコンセプトだ。有楽町を象徴するレトロでモダンなビルの一角に構えるこのアトリエは、まさに大丸有エリアのアートアーバニズムを象徴するスペースだろう。
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■仲通りの「パサージュ」
新有楽町ビルを出て、きらびやかなショーウィンドウが並ぶ丸の内仲通りを歩く。この通りは、近年の再開発がなされる前までは、現在よりもビジネス街として特化していたそのため、平日に通勤していたビジネスパーソンたちは休日には消え、人影はほとんどなかった。そんな誰もいない休日の仲通りに、かつては神田の子どもたちがやってきて、なんと、凧揚げや自動車の練習をしたりと、ビジネス街を遊び場にしていたそうだ。金城さんは、1958年撮影されたという、レンガ造りの建築が建ち並ぶかつての仲通りで子どもたちがフラフープをして遊んでいる、なんとも心休まる写真を見せてくれた。
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そんな遊びに対する姿勢は、現代にも生きているかもしれない。実際、パサージュさながらの歩行者天国として平日は11時から15時、土日祝には11から17時まで歩行者に開放するだけでなく、仲通り全体を「公園」として活用する実験的プロジェクト「丸の内ストリートパーク」や、通りのまん真ん中で行われる「大手町・丸の内・有楽町 仲通り綱引き大会」が開催されているそうだ。そのようなイベントが実現できる背景としては、この通りに面した建物の仲通り側には、駐車場の出入口が1ヶ所もないことが大きい。「仲通りはオフィス街の顔だから」ということで共通認識となっていた駐車場に関する作法によって、交通規制のハードルが低くなったそうだ。よりよいまちづくりを実現するためのヒントが、駐車場一つにも詰まっている。
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公園として使われたり、ときにランチ販売、トークショーやライブが開催されるこの場所も、もともとは駐輪場や荷物置き場としてしか使用されていなかったそうだ。新国際ビル側の入り口は、もともとは大きな壁。薄暗い、ただのビルの裏側だったスペースを大胆に壁を抜き、開放的なパサージュが完成した。じつは、この場所が誕生したきっかけにはアーティストの目線が大きく関わっているという。アーティストたちに大丸有エリアを歩いてもらい、面白い場所を見つけてもらうという企画の中で、この路地が「発見」されたのだ。
このように、路地を活かすまちづくりは大丸有エリアのあちこちに見られる。重要文化財でもある明治生命館を含む「丸の内MY PLAZA」のパサージュもその一つだ。ここは昔、西通りと呼ばれていたが、隣接するビルによって通りごとなくなってしまった過去がある。このパサージュは、西通りをもう一度復活させる、という意図が込められているのだ。
◼️三菱一号館
そのまま仲通りを進むと、「三菱一号館」が見えてくる。非常に装飾が豊かな通り沿いに比べ、中庭側には窓飾りがなく、シンプルなデザイン。こちら側は、荷物置き場や資材置き場といったバックヤードとして使われていたが、現在では中庭に飲食店などが入居し、平日の昼間や休日には座るところがないほど賑わっているという。
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この一号館は、規模には劣るものの、じつは単位面積当たりでは東京駅よりも多くのレンガを使っている。基本的な構造体を鉄骨等で造っている東京駅に比べ、こちらは本物のレンガ造り。時代の要請から、一時は解体されたものの、2009年には当時と同じように、230万個におよぶレンガを組み上げることで復元され、現在は三菱一号館美術館としても愛されている。
◼️皇居周辺、配慮あふれる都市計画
仲通りを離れ、皇居の内堀を望む、日比谷通りを歩く。都心とは思えないほど空が広く、時間帯も相まって、夕日が綺麗に輝く素晴らしい光景を目にする。
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しばらくすると、皇居から東京駅まで伸びる、「行幸通り」に出合う。その名の通り、天皇陛下が行幸するため、東京駅を利用する東京駅を利用するときをはじめ、皇室行事の際などに使用される道である。この通りでは現在でも、新任の外国の大使が天皇陛下に手紙を渡す信任状捧呈式の際、東京駅から馬車を用いて皇居まで通る道として、大切に整備されている。
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皇居が所在する象徴的な土地のため、大丸有一帯はさまざまな配慮がなされている。例えば、行幸通りから東京駅の中心部を見る際、背景にビルが写り込まないようにする八重洲口側の建物規制や、皇居を中心にすり鉢状のスカイラインを形成する考えもそのひとつ。また、ビルの頂部においては、外壁に掲げられる建物名や企業名のサインが皇居の向きを避けて付けられていることも配慮だという。
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◼️日本工業倶楽部会館、marunouchi HOUSE
行幸通りから仲通りに戻りしばらく歩くと、セッション様式の風格ある建築が、近代的な高層ビルに組み込まれているように建っている。この建物は、財界人の交流を目的に1920年、大正時代に建築された「日本工業倶楽部会館」だ。阪神淡路大震災後の耐震検査において、安全性が確保できないとのことから、一時は取り壊す予定だったものを、背後にあった旧永楽ビルと一緒に共同建て替えをし、再構築することによって、なんとか建物の保存・再建に成功した、とのことだ。
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その向かい側、新丸の内ビルディングの7階ある「marunouchi HOUSE」が、今回の最終目的地。大きめのテラスからは東京駅を目の前に見下ろす好立地にも関わらず、フロアにはさまざまな飲食店が入居し、朝の4時まで店の明かりが灯っているという。「HOUSE」の名の通り、DJブースまであるそうだ。フロア単位で運営しているため、店同士でお客さんの紹介をしあったり、フロア内での流動的なコミュニケーションが日々生まれる有機的な空間づくりを目指しているという。
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そのような空間のあり方は、新宿ゴールデン街のような、小路の飲み屋街を彷彿とさせる。大丸有で遅くまでバリバリ仕事をこなすビジネスマンや外資系企業に務める方にとって、この立地で遅くまで営業している飲食店はとても貴重なことだろう。「実際、24時を過ぎた頃からむしろ、このフロアは盛り上がるんです」と金城さんは語る。
◼️都市の見方を変える機会に
今回、金城さんの聞き役を担った「for Cities」の石川由佳子さんは、今日のまち歩きを振り返り、こう語る。
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「改めてこの街を歩いて、聞かないとわからない細部の計画や、工夫を感じました。しかし、とにかくビルも大きく、力を感じる街でしたね。個人では動かせない、『企業の街』の力を感じました。
そんなビジネス街に生きる人々はもちろん働くためにこの街に来る。だけれど、『働くこと』から一歩引いた隙間を作ってくれる場所が、オフィスビル裏の小さな小路だとか、建物のちょっとした空間などにある。そんなホットスポットを見つけ、まちづくりに活かすことで、より人間らしい都市が生まれていくのかな、と思いました」(石川)
今回の「まちあるき」では、なにげなくそこに建っているビルといった建築や小路などの背景にある都市計画と、それぞれがたどった歴史的な厚みに触れることができた。「ビジネス街」として作られた都市はその目的に特化するあまり、仕事以外の魅力を十分に発揮することができなかった。かつての三菱一号館が建て替えの憂き目にあったことも、このことを象徴する出来事だろう。
都市のなかには積み重なった過去を忍ばせるさまざまな断片が、建築やストリートなどのなかに密かにきらめいている。そして、その気になれば、「ビジネス街」を凧揚げやフラフープをしにいくような「遊び場」に変えてしまうことだってできるのだ。「大丸有」はビジネスだけのものではなく、現在だけのものでもない。今回の「まちあるき」は、私たち参加者に、この「大丸有」エリアを立体的に見せてくれただけではなく、これからの都市の観察の仕方、ついてはまちづくりに関わるために必要な態度を教えてくれた。
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