アンドリュー・フレンダーとリユースされた作品/アウトサイダーアート
アンドリュー・フレンダーとリユースされた作品/アウトサイダーアート
アンドリュー・「グランパ」・フレンダー/ANDREW "GRANDPA" PFRIENDER
アンドリュー・フレンダー(アンドリュー・「グランパ」・フレンダー/ANDREW "GRANDPA" PFRIENDER/1909-1986/ブリックリン生まれのアウトサイダーアーティスト)
(註)アンドリュー「グランパ」フレンダーは、画家のグランマ・モーゼス(Grandma Moses-アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス,1860-1961/アメリカの画家)に敬意を表し、アーティストとして同じような成功を夢見て、自らを「グランパ」と名付けた。
拾い集めた素材を使って
ニューヨーク州を拠点とするフレンダーは、拾い集めた素材を使って、物語や説明を「テキスト ラベル」に盛り込んだ活気に満ちた芸術作品を制作した。
テキスト ラベルは通常、ボールペンで書かれ、感嘆符が頻繁に使われていた。
フレンダーは、白紙や平らな表面に絵を描くことはほとんどなかった。そして、彼のロジックは、特に粗い木材を素材にすることが好きだった。
聖書からの引用の多くが作品の題名に
アンドリュー・フレンダーは、神と聖書(聖書からの引用の多くが作品の題名に)を崇拝していたことは明らかだろう。また、ローマ法王、ケネディ家、ビートルズ、エルビスといった神のような存在も崇拝していた。アーティスト、芸能人、そして政治的な歴史上の出来事(ロンドン爆撃)や文化的な歴史上の出来事が、彼の作品に登場している。
(註)ミケランジェロが作業中のシスティーナ礼拝堂のプレビュー
フレンダーの作品の素材は、包括的だ。
フレンダーの作品の素材は、包括的だ。(対象物が広範囲にわたる)
実際に彼が使用した画材は、手芸店や 50セントショップで手に入るようなものだった。
それらは彼の作品の言語性に合っており、それを補強していた。時折、彼は妻と共同作業を行い、彼女のかぎ針編みの作品の断片を組み入れた。さらに、フレンダーはあらゆる種類の拾い集めた素材や見つけた素材 (割れたガラス、毛糸、木片、金属、プラスチック、そして廃棄された金属類) を収集して利用した。
いわゆる、ジャンクアートとは異なる。
経験を集めるのと同じように、彼は想像力を刺激する、可能性に満ちている素材やスクラップを集めた。壊れた装飾的な椅子の背もたれは、様式化された海の荒波と、それに翻弄される船の両方になることも、彼の開放性と想像力は流動的で、形状と意味の間を行き来し、その過程でほのめかしたり、そして、背景を拾い上げた様相を感じる。
前述のように、フレンダーは、真っ白な表面や滑らかな表面にさえもほとんど絵を描かなかった。
彼は、以前に使われたものや、彼のイメージやアイデアを生み出すのに役立つ特徴を持つものに惹かれたようだった。彼は特に荒い木を好み、必要に応じて木を彫り、すでに絵が描かれている紙の表面を好んだ。
リサイクルショップで売られている既存の絵に手を加え・・
彼は、リサイクルショップで売られている既存の絵に手を加え、それがすでに十分に良い出来だと判断して、自分の名前だけサインすることにしたことがある。
他の画家とのつながり
全体的な印象では、フレンダーの美術史に対する認識は限られていたが、意図的かどうかは別として、他の画家とのつながりが時々現れる。
拾った木に描いた別の絵「Are You Guys for Real?」(あなたたちは本物ですか?)には、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826- 1898/フランスの象徴主義の画家)の絵に描かれていてもおかしくない神話上の生き物が描かれている。トロピカルな色のパレットと、絵の流れの中に埋め込まれて縁に沿って広がる平坦な形状は、ピエール・ボナール(Pierre Bonnard, 1867年10月3日 - 1947年1月23日)は、ナビ派に分類される、19世紀から20世紀に活動したフランスの画家)やエドゥアール・ヴュイヤール(Édouard Vuillard, 1868 - 1940/19世紀-20世紀のフランスの画家)/ナビ派の画家よりもさらに平面的、装飾的傾向が顕著)を彷彿とさせる。
ニューヨークの PS 122
その作品は、1986年2月にニューヨークの PS 122 (Performance Space New York /formerly Performance Space 122)で開催された「Wild Surmise」(ワイルドな推測)という展覧会で最高潮に達した。この展覧会では、フレンダーの作品のいくつか展示された。
彼は、ようやく世界が自分を理解し始めたと感じたに違いありません。おそらく彼は、自分の作品の中で溶け込んでいる文化的、歴史的に重要な世界が、ようやくより実質的な形で自分の人生に入り込んできたと想像してい。
(繰り返すが、彼は、画家のグランマ モーゼスに敬意を表して、自らを「グランパ」プフレンダと名付けていた。- "Grandpa" Pfriender)。
彼は芸術界でのこの「名声」の瞬間にもっと多くのことを期待し、それによって人生が大きく変わらなかったことに、がっかりしたのではないだどうか?
そして、アートディーラーの1人を通じたが、残念なことに・・
その周辺には、アウトサイダーのアートディーラーの1人を通じて彼のギャラリー代理店を探そうとしていた人もいたが・・・。しかし、残念なことに、アンドリュー・フレンダーは、ニューヨークデビューから1年も経たないうちに亡くなってしまった。
アンドリュー・「グランパ」・フレンダーのアートワーク
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