芸術と概念とその周辺
芸術と概念、と言えば、コンセプチュアル・アート(概念芸術)とキーワードとなるだろう。
コンセプチュアル・アート(Conceptual art) は、美術史的に要約すると概念芸術となるのだが。
ただ、芸術(表象)というものは、いずれにしろ、コンセプト(理念)があるものだ。例えば、Fourth plinth, Trafalgar Square(第四の台座-ロンドンのトラファルガー広場)に選ばれた作品は、どれもそうだろう。
ここで、ロジック的に、コンセプチュアル・アート(Conceptual art) について触れると・・
そのルーツは、マルセル・デュシャンの1910年だのワークだ。それは、レディ・メイド(既製品)からの芸術としての形式を提起した。
そして、コンセプチュアル・アートの基本的な考え方は、芸術における、従来型の区分,制作の視点から乖離(かいり)させて、いわゆる芸術を「芸術」という概念にまで極限化することだった。
ネオダダ、ポップ・アート、ミニマル・アート(最低限の芸術構成)のあと、そして、コンセプチュアル・アートは、1960年代半ばから概ね10年間程度は、欧米の美術界で主流をなしたと前衛芸術活動だと一般的にはいわれる。という事は、1975年あたりでコンセプチュアル・アート(概念芸術)は終わったということになるが、果たして、そういった閾線は引けるのだろうか?
Fig.Maurizio Cattelan
それは、コンセプチュアル・アート(概念芸術)が、芸術と非芸術との閾を取り払った視点だからだ。
尚且つ、それには、流動的なヒト(作家)が介在している。
それは、アーティストが言うことやすること(重心)、「アーティストの思考の記録という」だろう。
2020年の現在では、いわゆる概念芸術(コンセプチュアル・アート)は存在しないという事ではない。
それは、言葉の上(美術の定義)では、ともかく、常にランダムな表象の中で、美術史は、後から語られるという事だ。
「芸術といえばそれが芸術なのだ」-Joseph Kosuth
に集約されるのかも知れないのだが・・・これは、CIAの支援まであり、右往曲折の末のことだったと言われる。
この雑文でも、しばし、概念の元で制作された作家や表象を扱っていきたい所存です。ただ、ごく私的な解釈ですが・・
(註)コンセプチュアル・アートは、文字通り、アイデア、または、コンセプト(理念)が重要だ。
作者がコンセプチュアルな形式を取り入れた時、そのプランニングから制作のフィニッシュの決定までのすべてが前提としてなされているという事が重要であり、制作のプロセスには、意味論はないだろう。
In conceptual art, ideas and concepts are the most important aspects of a work.
If the artist uses a conceptual form of art, it means that all planning and decisions are made in advance and the production process has no meaning.