#1)Barnett Newman- その絵画は哲学だ
バーネット・ニューマン(Barnett Newman,1905-1970,US)
その絵画は、一般的には抽象表現主義の美術家として知られているのだが、*表現主義的な筆触を拒絶し、はっきりした輪郭と平坦な色面を用いたことからすると、ニューマンの作品はポスト・ペインタリー・アブストラクション(抽象表現主義以後の新しい抽象の動向)やミニマリズム(最小限主義)の先駆けと言えるかも知れない。この辺りの美術用語は、後から語るにしても微妙だ、バーネット・ニューマン、本人も苦悩したうえでの表象だろう。
それは、「ゼロから始め、絵画が、かつて存在しなかったように描く」-Barnett Newman(MoMA)
理論家でもあり、哲学的だ。それは、「作品を思考の形として、生きている個人の普遍的(すべてのものに当てはまる共通事項)な体験の表現」とした。
1905年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。ロシア系ユダヤ移民の家庭だった。この部分は、ニューマンの理念を晩年まで、理解うえでポイントの一端かも知れない。
その後、ニューヨーク市立大学シティカレッジ(City College of New York)で哲学を学び、その後、家業の洋服屋、教師、批評家やキュレーターとしても活動した。
1930年頃、絵画を描き始めたが、*表現主義(そのキーワードには抽象表現主義も含まれるのだが、日本語訳にすると難解だ)的だったため、後日、すべてを処分した。このあたりを言葉で語るのは微妙だ、それは、作品で語っているからだ。
1940年頃から、独特スタイルの画家として活動を開始。それは、一色に塗られた画面に「ジップ(zip)」と呼ばれる垂直線を配し、カラーフィールド・ペインティング(ミニマリズムの先駆け)と呼ばれる力強い色面の構成によるスタイルを確立した。この時点では、抽象表現主義を代表する作家の一人だった(だろう)、ただ、メジャーに扱われる事はなく、1960年代になって初めて、作品は評価された。ただ、その全ての時期を通しての全体像が、「Barnett Newman」だろう。
(c)Barnett Newman
次回は、#2)Barnett Newman- その晩年と作品、に続きます。
(註)*表現主義美術(Expressionism):1900年代前半にドイツを中心に興った美術。
画家自身の心の内部の世界を表現する、それまでの美術(外部の世界の印象を描く)とは大きく異なる。
分かりやすくは、例えば、エドヴァルド・ムンクの「叫び」は、不安、恐怖を追求している。バーネット・ニューマンは、ナチズムや原爆などの現代の恐怖に対する強い認識があったと言われる。
いわゆる写実性を重視せず、心的感情をモチーフに託して描写する。広義では、抽象表現主義も含まれる。
それは、19世紀後半から、欧州の印象派(Impressionism -物事の外見的特徴を強調して描写する)とは対照的だ。