オズワルド・チルトナーの「ミニマル・アート」(アウトサイダー・アート)
オズワルド・チルトナーの「ミニマル・アート」(アウトサイダー・アート)
オズワルド・チルトナー(Oswald Tschirtner, 1920-2007/オーストリア)
アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の作家だ。
1920年、ペルヒトルツドルフ(ドイツ)に生まれる。
その後、オズワルド・チルトナーの子供の頃は、神父をしていた伯父と叔母の家に育ち、10歳からは、神学校に進学してる。
それは自身も神父を望んでいたのだろう。
1937年には、大学の神学部に合格したが、オーストリア帝国軍に徴兵され、その後、ドイツ軍に編入された。戦争の末期に、フランス軍に捕らえられて南フランスの収容所に送られ、1946年にオーストリア帰還する。
この一連の試練に耐えきれずにいた時期だ。(その時点では、死刑に処される思い込みから、より悪化していく)そのあたりから、統合失調症を患っていたと言われている。それは、それまでの宗教的な視点と暴力的な戦争という間に生きて、1947年に、精神科研究所に送られた。
1954年、オズワルド・チルトナーは、ウィーン郊外のクロスターノイブルク病院(Klosterneuburg Hospital)に送られている。そして、オズワルド・チルトナーは、絵は治療と更生の目的で、医師にすすめられて、はじめて描いていたと言われる。
その絵画は、周囲から、促されて描いていると言われる。モチーフさえも、外部から促されていたと言われるがそうだろうか?
ただ、いずれにしても、描こうとする行為は資質に合っていたのだろう。それは、作品から理解できる筈だ。
(c)Oswald Tschirtner
その絵画には、気負いは無いように感じるのだが、リズムがある、決して、無気力の状態の患者が、こういった絵画をまとめられる筈もないのだ。
そこには、一般的な見方だが、線とディテール(detail/全体の中の細かい部分)に、独自のアプローチをしている。
そこには、自らの思い入れの濃縮された世界が、軽やかに単純化した構成で表現されている訳だろう。
かんたんに申し上げると、「ミニマル・アート」であり、ミニマル・アーティストだろう。
オズワルド・チルトナーの描く人物は、写実ではなく、実にシンプルで概念的なのだ。
最小限の努力と言う評価もあるかも知れない。それでもだ、それは画く努力なのだ。そして、表象として、まとめてある。
Oswald Tschirtner
1981年、病院内に「芸術家の家-グギング」が誕生し、そのオリジナルメンバーとなる。
そして、院内の10人の画家たちの、ドキュメンタリー映画も際作された。
このメンバーで、チルトナーの作品は象徴的と言われる、その由縁は、やはり、その作品が語っているのだ。
オズワルド・チルトナーの内面にある多様な事象を、見事なまでに、シンプルに表象されている。
この作家は、多様に語られてもいるが、アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の作家を語る際は、その生い立ちではなく、「作品」からの視点(極)を見てほしいものだ。
(追記)このところ、扱っているアウトサイダー・アートは、その作家の辛い生い立ちだったから、このようなすばらしい作品が出来たと言うことではないのだ。ましてや、その病の症状は、それぞれだろうし、その辛さは察して察しきれないものがあるだろう。
私が、記述したいのは、そこではなく、「作品」だ。
なぜ、作品を追うのかと言えば、それは、人に見せるために描いた物ではないと言う事実があるからだ。そこには、飾らない真実の表象が存在してと感じるからだ。
(今後のお知らせ)
このコンテスト #2020年秋の美術・芸術 は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-1人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。そして、主催者は、多くの企画をされている秋氏のデレクションと、私(artoday)のコメント(評)で構成されております。 それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術、芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。この間は、私のアート系コラムをランダムに、連載致しますが、入稿があり次第、応募作品にシフト致します。(ていねいに査読致したく、多少の順不動お許し下さい)
締め切りは、11/14の24時までございます。どうぞ、気軽に日常のことで、アート関連で、思いつかれた事、アート系のイベントレポート、また、ご自身の美術作品等を応募なさって下さいませ。
(註) #2020年秋の美術・芸術 は全角ですので、よろしくお願い致します。