(イメージと文化) レーニン像は打ち倒された...
レーニン像は打ち倒された・・「イメージと文化を考える」
レーニン像は打ち倒された
ソヴィエト社会主義共和国連邦の全土に、おおよそ14,000体以上もあったレーニン像。
そして、ソ連時代の主要都市キエフ(キーウ/工業都市≒軍需)のあるウクライナでは、ソ連崩壊後、ロシアとの関係悪化を経ても、かつ、このレーニン像が次々と倒されていった。
ボリシェヴィキ革命(十月革命)のリーダーであり、ソ連時代の強力な政治的象徴であったのが、ウラジーミル・レーニンだ。( Влади́мир Ильи́ч Ле́нин,1870- 1924/ロシアの革命家・哲学者・政治家)
ソ連全盛期、政府関係者たちは、そのレーニンを讃えるために約14,000体の銅像を建立していた。
ソ連が崩壊すると
ただ、ソ連が崩壊すると、そのレーニン銅像も倒されはじめた。
スイス人の写真家、ニールス・アッカーマン(ニルス・アッカーマン/Niels Ackerman,1987- /フォトグラファー)が、この像の末路を写真というメディアで記録している。
by Niels Ackerman
銅像や胸像が、ガレージの片隅に置かれ、地下室に捨てられたり、地面に俯せに倒れている様子が見える。
そこは、銅像がかつて立っていた広々とした公共の場とはほど遠い場所だ。
それは、彫像が地下室の棚に置きっぱなしになっていたり、工場の裏につめ込まれていたり、雪の積もった庭に捨てられているのを発見した。
草が生い茂った広場には、首が切り落とされた金の彫像があった。 キエフでは、かつて、ソ連の国内最大のレーニン像だった28フィート(1フィート≒0.3048 m)の彫像の鼻を見つけた。
Fig.レーニン像の鼻。今は、エフゲーニャ・ヴェロセットのインスタレーションの一部として、キエフのPinchuk Art Centreで展示されている。
レーニン像がダース・ベイダーに..
ここで、特質すべきは、オデッサ(現ウクライナ)のあるレーニンの彫像は、もはや原型をとどめておらず、彫刻家アレクサンダー・ミロフ(Alexander Milov,1979- /アーティスト・彫刻家・映画監督)によって、ダース・ベイダー(Darth Vader)に加工されていた。
オデッサはロシア革命の象徴
(映画)戦艦ポチョムキンで、オデッサはロシア革命の象徴でもあった黒海に面した都市だ。オデッサの階段は、モンタージュ理論の文脈に、必ず出てくるシーンだ。
「しかしこの写真の核心は、国が自国の過去と向き合うという複雑な状況を、より深く探ることにあるのです」-Niels Ackerman
次回は、多少ランダムになりますが、スイスの写真家「ニルス・アッカーマン:アイデンティティを探して・・」に続きます。
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