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幽霊とのツーショット:女性画家ジョージアナ・ホートン(アウトサイダーアート前史)

ジョージアナ・ホートン(Georgiana Houghton, 1814-1884/UK)
スピリチュアリスト(心霊主義者)、スピリチュアリスト・アーティスト(心霊画家)、そして、アールブリュットアウトサイダーアートの前史にあたる作家だ。

・略歴
1814年に、7人兄弟の末子としてカナリア諸島(北西アフリカ沖)にて生まれた。そして、幼少時の環境等は不明だ。
その後ロンドンに移り、少女期に古典美術を学んだが、その道では完遂(かんすい)せず、親元を離れることはなく、生涯独身であった。

ジョージアナホートンの心霊写真、1872-76

ジョージアナホートンの心霊写真、1872-76 

Photo-Frederick Hudson (public domain)

1859年、当時、欧州で流行していた心霊術に興味を持ち、1861年頃からは、指導霊からの「スピリチュアアート(心霊絵画)」を制作している。
1865年には、その作品で、展示会を行った。
1871年、ニューブリティッシュギャラリー(New British Gallery/London)での展示会「Spirit Drawings in Water Colors」では、155枚の抽象的な水彩画(スピリチュアアート)を公開した。
そして、1870年前後から、ジョージアナ・ホートンは、心霊写真家フレデリック・ハドソン(Frederick Hudson)に協力した写真は、話題となった。
1882年に、ジョージアナ・ホートンたちは、目に見えない精神的な存在との写真を出版した。(ジョージアナ・ホートン以外に、当時のスピリチュアリストの写真も含まれる。)
ただ、そこあるには、心霊写真、亡くなった方との、多くはツーショットだった。
その後ハドソンの写真トリックが暴露され、ホートンの評価も低下してしまった。そして、1884年、ジョージアナ・ホートンは、死去してしまう。
(それを乾版写真の2重露光と言えば、それだけかも知れないが・・)

・アートワークと近年の評価

「時間切れ」…ジョージアナ・ホートンによる主の目(1870年9月1日)

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ジョージアナホートン、「ウォーランドホートンの花」、1861

ホートンの作品「主の目」の裏側

by Georgiana Houghton (public domain)

話を画業に戻すと、彼女の初期の作品は、いわゆる様式化された植物や果物などの静物画を描いていた。
1860年代後半には、自然界の物体を描写せず、精神的な経験として描写を行なっていた。
そして、ジョージアナ・ホートンは、抽象的なスタイル、また、非客観的な絵画を描いているのだが、それは、あのカンディンスキー(Wassily Kandinsky,1866- 1944/ロシア出身の抽象画創始者)の40年以上は前の話だ。
そこには、ジョージアナ・ホートンの精神性は、スピリチュアリストと、そのアブストラクト(抽象)な絵画にも共通点はあるのだ。
その後、益々のジョージアナ・ホートンの絵画は、レイヤー、色、細部が複雑化してきている。
(ただ、その絵画は、モンドリアンも触発されたと言われている。)
しかし、当時の抽象の画家は、その先駆者であるホートンをスピリチュアリズムへの強いリンクから、無視されていた。
そこには、19世紀は、「抽象化」はまだ概念とされていない、また、ホートンは、形状の他、色彩を「神聖な象徴」と述べていたからだろう。

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Georgiana Houghton

ジョージアナ・ホートンの再評価:2015年4月、モナシュ大学(Monash University/メルボルン近郊)美術館での展示会で、ジョージアナ・ホートンの水彩画25点を展示された。その後、多くの学術機関等でも着目されている。

近年では、心霊写真は過去のものとなるが、心霊絵画は無意識の抽象表現(アウトサイダーアート前史)として、カンディンスキー(Wassily Kandinsky,1866- 1944/ロシア出身の抽象画創始者)等に先駆けており、近年、改めて注目されていることは確かだろう。そして、アンドレ・ブルトンからの流れで、ジャン・デュビュッフェ(Jean Philippe Arthur Dubuffet, 1901-1985/仏)による「アールブリュット」(アウトサイダーアート)へとつながる前史かも知れない。

(追記)この写真はともかく、当時の正統派スピリチュアリストは、男鹿半島、恐山のイタコさんのような存在かも知れない、もし、経由して、会えるなら、お会いしたい何人かの方々がいるのだが。いや、もうすぐ、向こう側だが・・


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