ロバート・ライマンは、MoMAの警備員として働き、MoMAに作品が収蔵された。
ロバート・ライマン(Robert Ryman,1930-2019/US)
ミニマリズムのコンセプチュアル・アーティスト。モノクローム絵画の厳密なでリサーチでの制作で著名だ。ロバート・ライマンの代表的な作品は、ビニール、グラスファイバー、リネン(亜麻布)、ジュート(黄麻繊維)、壁紙など、さまざまな表面に描かれたが、ベースは白地の白に限られていた。
ロバート・ライマンの抽象的な絵画はイメージを作成しようとするのではなく、その代わりにそれ自体の主題(本質)としてペイントの無限のバリエーションを提示している。(作品での理解がよいのかも知れない)
「何を描くかという問題はまったくないが、しかし、どのように描くかだ」Robert Ryman
1930年ナッシュビル(テネシー州)で生まれ。
1948-1949年、テネシー工科大学(Tennessee Technological University)で、1949-1950年、ピーボディ教育発達科学大学(Peabody College of Education and Human Development )で学ぶ。
アメリカの陸軍に入隊し、陸軍予備隊に加わり、後に、1953年、ジャズサックス奏者になることを意図してニューヨークに移った。ニューヨーク近代美術館(MoMA)でのガード(警備員は、作品を身近に見る事ができることで、アーティストの育成にも・・)として働いている時に、彼は芸術家に出会う事になる、それは、ソル・ルウィット(Sol LeWitt, 1928–2007/US)や、ダン・フレイヴィン(Dan Flavin, 1933–1996/US)、そして、ロバート・マンゴールド(Robert Mangold, 1937- /US)たちだ。
1950年代、彼らは、絵を描くようにロバート・ライマンを鼓舞(こぶ/はげましふるい立たせること)した。
また、マーク・ロスコ、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン(順不同)等々の抽象表現主義に影響を受けている。
20世紀の芸術の歴史において重要な役割を果たしたロバート・ライマンの作品は、グッゲンハイム「Sistemic Painting」展(1966)、「Documenta 5(カッセル・ドイツ1972)、ヴェネツィア・ビエンナーレ(1976、1978、1980)そして、ホイットニー・ビエンナーレ(1977、1987、1995)に選出されている。
ライマンの作品は、ニューヨーク近代美術館(MoMA-1993)、Dia:Beacon(ディア・ビーコンは現代アート美術館/ニューヨーク州)、テートギャラリー(TATE-London-1993)などの常設コレクションだ。そして、残念な事は、ロバート・ライマンは、2019年にニューヨーク亡くなった、88歳だった。
それら、すべては、ミニマムであり、そして、リアリストとしての作品が語っている。
(c)Robert Ryman
Robert Ryman: Possibilities | Art21 "Extended Play"
Robert Ryman at DIA foundation
(追記)どこか、アメリカの成功の秘話のような話だ。日本で言えば、エリアは違うが、野口英世のような具合なのだろうか?
ただ、ロバート・ライマンの作品を見ると、実にインパクトあるモノトーンの世界だ、それは押しも押されもせね、第一人者の画業だ。
そう言った意味で、アメリカは公平なのかも知れない、お手盛りの日本のアート社会ではあり得ない事だろう。
ただ、誤解なきように申し上げると、警備員とアーティストの職域を比較している訳ではない。
例えば、「芸術学部を出て、それってなんだい」、そして、「例えば警備員さんの仕事で、しっかりと、安定した生計を立てたらどうなんだい」、と普通の親御さんなら、言うだろう。