Rudolf horacek:構造化された顔を描く(アウトサイダーアート)
Rudolf horacek:構造化された顔を描く(アウトサイダーアート/アール・ブリュット)
ルドルフ・ホラチェック(ルドルフ・ホラチェク/Rudolf horacek,1915-1986/オーストリア)アウトサイダー・アーティスト
ルドルフ・ホラチェック、1970年代後半から、描き始めるのだが、人物を描く時、そこには、全身を描くことはなかった。
人物の頭部の部位を卵形の円で始め、それを線、数字、文字、また、ごく短いフレーズで描いているのだ。
かんたんに言うとグリッド(grid/格子状)のように構造化されているのだ。
by Rudolf horacek(c)
図面の線が形を作り、ホラチェックは、そこに、ハッチング(一定の面を平行な線で埋める技法)を追加する。
それは、その前に書いたものが不透明なレイヤーを重ねるように隠されてしまうことがあった。
ホラチェックがブラシで絵の具を塗った。それは、ベースに描いたすべて描写が永久に消えることだ。
それは、彼の大型の作品でも確認できる。
ルドルフ・ホラチェックは、様々な硬さの鉛筆だけを用意していた。
また、いくつかのエッチングと少数の「風景画」を制作している。
ホラチェックは、数百枚の小作品を制作している。
その作品は、アール・ブリュットの他の作品とは明らかに異なる、それは歴史的にもだ。(そこは異論もあるところだが、ジャンル分けよりも作品だろう)
そして、詳細な部分にも芸術的な価値がある。
それは、作品から、観るものの極が揺すぶられる、そんな作品なのだ。
略歴-Rudolf horacek
1915年、マンスウェルト(ウィーン近郊)で生まれた。当初は、園芸関連の会社で労働者として働いていたが、寡黙になり、ついには、引きこもってしまう。
1949年、24歳で、マリア・グギング国立精神病院(The Maria Gugging Psychiatric Clinic)に患者として入所した。
病院の精神科医レオ・ナヴィラティルの潜在的な極を引き出す、そのアプローチは素晴らしいと言えるだろう。
当初、芸術家の家(マリア・グギング/Gugging)の活動に、ルドルフ・ホラチェックは、興味もなかく、横に座って、他の人々が何をしているかを見ていた。
1979年頃から、時折、他の作家と絵を描き始めまたが、それは頼まれたからだった。
そして、1981年に、ルドルフ・ホラチェックは、芸術家の家(マリア・グギング/Gugging)となる場所に移り住みんだ。
1986年に、そこで亡くなっている。
Rudolf horacek
2006年、グギング美術館がオープン時には、比喩的なマークとなった絵画”Horacek Rudolf Mannswörth”の作者でもある。
Horacek Rudolf Mannswörth