被爆地長崎を考える-2024.8.9
被爆地長崎を考える-2024.8.9
1945年8月9日には、プルトニウム原子爆弾が、長崎で落とされた。
1945年8月9日には、プルトニウム原子爆弾が、長崎で落とされた。
そのプルトニウムとは、核施設(原子炉)のウランで発電をした後、残留物質であり、従来は、ウランと違い自然界には、ないと言われていたが、ウランに、ごく微量、含まれている事が近年分かった。
広島に落とされた原爆は、ウラン原子爆弾だった。プルトニウム原子爆弾は、それより、強力だ、そしてそれは、長崎の空中で爆破されて、より大きな犠牲を被った。
これは、日本の国内を核の実験場に使われたようなものだ。
御前会議では
その後、8月15日には、停戦になるのだが、御前会議では、2:2で決まらず、陛下が停戦の側にまわり、3:2で停戦が決まったと言われる。
全てを受け入れるかのように、淡々と生活を
それから、ショートスパンで、長崎の人々は、日常生活に向かって、全てを受け入れるかのように、淡々と生活をして行った。いや、そうせざるを得なかったのだろう。
米軍の従軍カメラマンのジョー・オダネル氏の写真をご覧いただきたい。
このような悲惨な状況でも、淡々と生きるしかない一般の国民の生活があって、はじめて、現在の日本が形成されている。
これらの写真の多くは、(cc)ジョー・オダネル (Joe O'Donnell) 1945
Extension:こういった議論もある。
日本も原爆を持たないと核攻撃の危険性がある。例えば、ウクライナのような例。
そして、核爆弾の廃棄をいくら唱えても、強力な核を持たない限り、核抑止の流れの中にも入れない。確かにそうだろう。
ここで、現在、日本には、宇宙ごみを回収する衛星技術と、そのロケット(ミサイル)を多く打ち上げている。種子島から、打ち上げを失敗するとマスコミが騒ぎ立てるが、その技術は、国際的にも評価が高いと言われている。そして、実際は、日本のロケット(ミサイル)打ち上げ技術や、その周辺技術は、今現在、世界に誇れるものなのだ。
プルサーマルとは
原子力発電所で使い終わった燃料をリサイクルして、燃え残りのウラン(U)とプルトニウム(Pu)を取り出して作った燃料(MOX燃料)を、原子力発電所で再利用する。
(参考) 2023年(令和5年)12月末現在の分離プルトニウム保有総量は、4,621キログラム(約47t)(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)
日本の分離プルトニウム保有総量は
この分離プルトニウム保有総量は、原爆に換算して約6000発分に相当する。
現在(2024)の日本は、ほぼ90日以内に核爆弾を製造し、ミサイルに搭載できる技術的能力をすでに持っていると言われる。大陸間弾道弾(ICBM)水準のミサイル(ロケット)を保有しており、約47t以上のプルトニウムを備蓄している。
なお、三菱重工等で、原爆とは離れるが、すでにトラックに乗る小型原子炉が開発されている。
日本も原爆を持たないと核抑止の流れの中にも入れないのか
前述したが、日本も原爆を持たないと核攻撃の危険性があるだろう。核があれば、ウクライナ戦争は起こらなかったと言われている。
そして、核爆弾の廃棄をいくら唱えても、より強力な核を持たない限り、核抑止の流れの中にも入れない、と言われる解釈もある。
しかし、その懸念もいらないと言う視点もある。
それが、日本の所有する分離プルトニウム保有総量は、原爆に換算して約6000発分に相当すると言う視点だ。
ここで言えることは、日本は、ごく短期間での核爆弾の所有は、世界の大国と足並みを揃えられると言うことだ。
このことは、核抑止に多いに役だっだろう。
毎年感じることは、核のない、戦争ない世界だ。
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