作家ヘンリー・ダーガー: 非現実の世界に生きた。
ヘンリー・ダーガー(Henry Joseph Darger, Jr. , 1892-1973)
アメリカの作家、画家、芸術家、そして、清掃スタッフだった。
アウトサイダー・アート:著書-非現実の王国で/挿絵等が没後、著名になる。
端的に言うと、この自閉的な生き方から生まれた、この創作は、没後40年以上を経て、ようやく、現在、美術館の収蔵が進んでいる。
世の中の誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で1万5000ページ以上もの作品(300枚以上の挿絵)を描き続けた。没後、*アウトサイダー・アート(outsider art)の代表的な作家として評価されている。
(c)Henry Darger / American Folk Art Museum,MoMA etc...
1892年4月12日、イリノイ州シカゴ市で生まれる、そして、4歳の時、母は亡くなり、8歳で父親が体調を崩したため救貧院(聖オーガスティン・ホーム)に入った。施設から、地元のスキナー公立小学校に通った。その後、11歳で、リンカーン精神薄弱児施設に移る。そこでは、夏になると農業に行き自然に触れたが、ヘンリーは生活環境が変わるのを嫌がった。1908年、15歳で父が死去した事を施設で知り、悲しみに打ちひしがれ、同年8月、「自分を助けに来てくれる人はもう誰もいない」ことを悟ったヘンリーは脱走を試みた。その後、名付け親を頼り、その世話で聖ジョセフ病院に住み込みで働き始める。仕事は床拭きだ。それは、54年にわたり、ヘンリーは3つの病院を転々として、清掃、皿洗い、包帯巻きなど、アメリカ社会の底辺のそして、低賃金の職に就く・・
その後、1922年、聖ジョセフ病院を辞め、グラント病院1932年には、ウェブスター通りの貸間に移り、人生の残り40年をそこで過ごした。全てが20平方メートルの小さな部屋だ。33歳の時、教会に養子を申請するが却下されるが、、何度か、申請し続ける。73歳の時、掃除人の仕事を強制的にやめさせられ、できた時間で自伝も執筆している。
そして、階段の上り下りができなくなると、大家であるネイサン・ラーナー(芸術的な視点がある)に懇願して、カトリック系の老人施設に入れてもらう。1972年に亡くなる、81歳だった。
・話はこれからだ、ダーガーの死後、部屋の片付けに入った大家ネイサンが目にしたのは、40年分のゴミとジャンクの集積だった。それらは、十字架、壊れたおもちゃ、テープで張り合わせたいくつもの眼鏡、左右不揃いのボロ靴、旧式の蓄音機にレコードの山。紐で束ねた新聞や雑誌の束、床には消化薬の空ビンだ。
トラッ2台分のゴミを捨てた後、ネイサンはダーガーの旅行鞄の中から奇妙な原稿を発見した。
それは、花模様の表紙に金色の文字で「非現実の王国で」と題名が記された。原稿15冊(全てタイプライターで清書され、7冊は製本済み、8冊は未製本)だ。さらに物語を図解する絵を綴じた巨大画集が3冊。数百枚の絵には3メートルを超える長いものもあり、粗悪な紙の面と裏、両面に描かれていた。ヘンリー・ダーガーの秘密のライフワークだ。
Fig.Henry Darger
そのダーガーの遺作の偶発的発見者となった大家の*ネイサンは、著作と絵、そして部屋を4半世紀にわたって保存し、美術関係者や研究者を招き入れて、1997年、亡くなるまでダーガーのライフワークの真価を問い続けていた、学問を追うタイプの人間だ。
そして、ヘンリー・ダーガーの作品が人々の目に触れるようになると、孤独な男ヘンリー・ダーガーが記したファンタジーが、多くの世界中の人々の心を揺さぶったことは確かだ。そして、後に、女性写真家ヴィヴィアン・マイヤーも晩年には、シカゴのヘンリー・ダーガーの視点(アウトサイダー・アート:著書-非現実の王国で/挿絵)を知っただろうか・・・
その作品は、
2001年、アメリカン・フォーク・アート博物館 (American Folk Art Museum)に「ヘンリー・ダーガー・スタディー・センター」が開設され、そこでは、全著作と挿絵26点の収蔵がなされ、その研究が本格化した。2012年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)とパリ市立近代美術館( Musée d'art moderne de la Ville de Paris)に相当数の作品が所蔵された。
映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」(ジェシカ・ユー監督/2004年公開)
(註)*アウトサイダー・アート(outsider art):フランスの画家・ジャン・デュビュッフェが1945年にアール・ブリュット(生の芸術-強迫的幻視者や精神障碍者の作品)、そして、1972年にイギリスのロジャー・カーディナルがアウトサイダー・アートとして、社会の外側に取り残された者の作品で、美術教育を受けていない独学アートから、概念の枠を広げ精神障碍者以外に主流の外側で制作する人々を含めた。
(註)*ネイサン・ラーナー(ヘンリー・ダーガーの晩年の大家)は、1913年生まれ。彼の経歴は、シカゴ・バウハウス派の写真家で、優れた工業デザイナーだった。第二次世界大戦中は海軍で、敵からの見えない照明やカモフラージュのコンサルタントを務めている、戦後は家具や日用品、玩具のデザインに携わり、イリノイ工科大学でデザインの教師も務めていた。
(追記)ヘンリー・ダーガーの作品(著書:非現実の王国で/その少女達の挿絵等が没後に著名になる)の発生も、ある意味、少女たちへの偏愛と言えるのか?
そう言った視点もあるが、その中に自身も入り、いつも何かに追われている挿絵も多いのだ。単純に少女たちへの偏愛で済ませられる話ではないようだ・・
このコラムを書くために、Amazon、メルカリ、ヤフオクで、これらの書籍をあらためて購入したのだが、それらのオススメ商品には、少女系の写真集がたくさん来るようになった・・なんか、あれだ、、AIの推測のそれ、違いますから・・
(今後のお知らせ)
コンテスト #2020年秋の美術・芸術 は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-一人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。そして、主催者は、多くの企画を成した秋氏のデレクションと、私(artoday)のコメント(評)で構成されております。
それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術、芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。この間も、私のアート系コラムをランダムに、連載致しますが、入稿があり次第、応募作品にランダムではございますが、シフト致します。
どうぞ、気軽に日常のことで、思いつかれた事を応募なさって下さいませ。(註) #2020年秋の美術・芸術 は全角ですので、よろしくお願い致します。