「アール・ブリュットに対する反論」を私的に考える
「アール・ブリュットに対する反論」を考える(アウトサイダーアート)
*それは、21stのパラダイムの1つだろう。
*アール・ブリュットに対する反論
アール・ブリュットの全体像から、2000年以降- 芸術史的言説で継続的かつ批判的に議論されている。それは、アートブリュット?アウトサイダーアート(部外者の芸術)?そして、思考と主張の図(絵画)なのか?というところだ。
・アートブリテンにおいて
2000年11月に、エジンバラ(Edinburgh/スコットランドの首都)でアートブリュットとアウトサイダーのアートに関するシンポジウムが開催された。
ダニエル・バウマン(Daniel Baumann/ベルン美術館-アドルフヴェルフリ財団/評論家・キュレーター)は、以下の2つの用語についてコメントし、それらが、今日生き残った理由を解説している。
① Art Brut?
② Outsider Art?
思考と主張のグラフィック
*要約 - Daniel Baumann氏の見解を「私的に考える」
Daniel Baumann
1)アール・ブリュットは:
原始的で経済的対応物であり、植民地主義者の世界観に対するロマンチックな魅力から生じている。
19世紀以来、新しい形の具体化を探してきた夢でもる。
そのArt Brutは、民芸、アフリカの芸術、子供たちの芸術、また、精神障害者の芸術?(なのか)・・
1945年にフランスのジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet/画家・美術評論)によって立ち上げられ、彼の個人的な歴史とフランスのアート界における彼の立場の産物でもある。ジャン・デュビュッフェは、それを彼が嫌ったフランスのエリートの芸術的な考えに対する武器としてアール・ブリュット使用した。-Intellectuels Carrière(知的キャリア)
そして、アートブリュットは、蜃気楼?それとも、芸術的なマニフェスト?
これは、ただ、Art nouveau(アール・ヌーボー)、Art Deco(アール・デコ)、またはArt abstrait(アブストラクト-抽象芸術)に類似した、特定のスタイルだったのか。
そして、スイスのローザンヌの「Collection de l'art brut」を訪れたことがある人なら誰でも、さまざまなアーティストの作品がそこに集まっており、ジャン・デュビュッフェによって集められたという理由を除いて、ほとんど、関連性が薄いことを知っている。
*アール・ブリュット(Art Brut)とは何でしょうか?
それはスタイルではなく、特定の地理的領域を包含せず、明確に定義された期間を定義せず、特定の芸術的方向性を指定していない。それは何でしょうか?
アール・ブリュット(Art Brut)は、このジャンルに典型的な特徴を備えたデュビュッフェ(Dubuffer)の芸術的なマニフェストです。ロマンチックで英雄的な想像力、暴力的な反論、効率的なセルフ・マーケティングマシンです。
そして、アール・ブリュット(Art Brut)は、おそらく、ジャン・デュビュッフェ自身が、多くの支持者を得て、むしろ、驚いたことだろう。
(註)著作権が、切れた作品も、強力な所蔵権が、立ちはだかるが、それは、逆境や病んだ作家が密かに、生きている証として描いた作品にだ。
2)アウトサイダーアートという用語について
1972年にロジャーカーディナルによって同名の彼の本で導入され、アートブリュットのより若い英語版と見なされている。
それはまた批判的に問われるべきだろう。
外にあるもの(アウトサイダー)とそうでないもの(インサイダー)を誰が決めるのですか?その芸術家?コレクター、美術史家、それともキュレーター?市場?歴史?そのような区別は、アーティストと視る者に何をもたらしますか?
(註)アウトサイダーとインサイダー・アートの仕分けは、意味があるのだろうか?
・例えば、部外者の文学、部外者の詩、部外者の音楽はないだろう。
では、なぜ部外者のアートがあるのか?
「国家に縛られた芸術」また「精神障害者の芸術」?
観るものは、芸術作品を適切な観点から見ているのか?
そして、それらを定義づけした彼らは、作者の尊厳を取り戻すのを助けるのか?
3)アール・ブリュット(生の芸術)?
生(Brut/ブリュット)ですか、それとも調理済み?
これらの概念に対する私(Daniel Baumann)の批判は、デュビュッフェ(Dubuffer)や他の多くの人々の並外れた芸術作品や芸術家への多大な取り組みを誤解していることを意味するものでない。
ここ数年の間、これらの解放のためのジェスチャーとその言説は日常的になり、基準を設定し、壁と孤立した世界を作り始めた。
その一方で、彼らの長期的な取り組みは実を結び始めており、一般の人々、コレクター、ギャラリーの所有者、美術館の館長、美術史家の意見を広げ始めている。
そして、「内側(インサイダー))」または「外側(アウトサイダー)」、「素朴(原始的)」か、どうかの問題は、理解を深めることが不可能だ、(イデオロギーの観点を除いて)重要ではなく、むしろ、障害となります。
(註)例えば、Wölfli、Darger、Aloïse、Ramirez、Soutterなどの作品は、時間と歴史の外にあったため、オリジナルアートの例として扱われている。(アドルフ・ヴェルフリ、ヘンリー・ダーガー、アロイーズ・コルバス、マルティン・ラミレス、ルイ・ステール)
そして、「アールブリュット」、「アウトサイダーアート」とそれらに関連する用語は、私たちの視野を広げ、同時にそれ(作品)を支配下に置いた。
4)今、門を開く時が来た。
これらの偉大な野生(素朴なアート)のオリジナルの芸術作品も彼らの囲いの中で自由に歩き回ることができたが(Art Brut、OutsiderArt)。今、門を開く時が来た。
ヴァルダウ精神病院(スイス)の院長である、ヴァルター・モルゲンターラー(Morgenthaler,1882–1965/医師・美術評論・画家)は、なんと、1920年代に、ハイデルベルクのハンス・プリンツホルンの有名なコレクションとほぼ同時に、患者の画像の包括的な文書が作成された。兄のエルンスト・モーゲンターラー(画家)を通じてスイスのアートシーンと密接に関係し、ハンツ・プリンツホルン(医師・美術評論)と接触していたモーゲンターラー(Morgenthaler)は、ヴァルダウ精神病院で作成されたすべての患者の絵を無批判に保持するのではなく、美的基準に基づいて選択しました。
この芸術的な品質的管理は、今日でも作品を魅力的なものにしている。
モーゲンターラー(Morgenthaler)によるアドリフ・ヴェルフリ(AdolfWölfli)の研究「芸術家としての精神病者」(1921)は、ハイデルベルク大学付属精神病院において、医師のハンス・プリンツホルン(医師・美術評論)の「精神病者の芸術性 - 精神病者はなにを創造したのか」をベルリンで刊行。(カラー図版も入る)(1922)により、古典的モダニズムの芸術家の推進力となった。アドリフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli)の作品は、最終的に、ベルン美術館のアドルフヴェルフリ財団に寄付された。
(註)日本では、どうだろうか?
5)(私見)「アール・ブリュット」から「アウトサイダーアート」そして作品・・
1945年、アール・ブリュットから、
1972年、アウトサイダーアートに至る訳だが、はたして、インサイダーアートと分断する必要性はあるのだろうか?
それは、「作品」が語っているからだ。
21世紀となって、よりアール・ブリュットに批判的な視点も発生してきた。
それは、「物質と精神」-アンリ・ベルクソン、からの解釈ができるように動体であるという事だろうし、表象は、ベルクソンの以下の図解のようにパラダイム・シフトしているという事だ。
Fig.現在の行動を有効に展開するイマージュと観念(ベルクソン)
アンリ・ベルクソンの解釈から、
物質と記憶を考えるとき、「身体とは、動いて止まない実存であり不可分だ、時間性と空間性を切り開く平面上(現在のすべてのイマージュ)の点から、自分の記憶の中に蓄積された。想起(思い出し)の全体。」と考えられる。
(註)円錐SABによって、自分の記憶の中に蓄積された。想起の全体。
点S:身体のイマージュの凝縮
平面P:すべてのイマージュ
この流れで、無数の心的性の反復の余地がある。
(追記)アール・ブリュットに対する反論の掲載だが、お読みになってどうだろう?
このダニエル・バウマン氏の反論にも、一理はあると言うものだ。