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朝妻桜:栗原玉葉

朝妻桜:栗原玉葉


栗原玉葉《朝妻桜》文展第12回展

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栗原玉葉は、明治から大正にかけての女性日本画家。長崎県出身。本名・栗原文子(あや子)。同時代を代表する女性画家として活躍し、「京都の松園」・「東京の玉葉」と並び評された画家。
女性の強さ、母としての愛情、初々しい少女、激しい感情を秘めた女性の姿などを描き、いずれの女性像も、もの言わぬ凛とした姿として描かれている点に玉葉作品の特徴がある。

栗原 玉葉(くりはら ぎょくよう)経歴

栗原玉葉  長崎歴史文化博物館

栗原 玉葉(くりはら ぎょくよう、1883年(明治16年)4月19日 - 1922年(大正11年)9月9日)は、明治から大正にかけての女性日本画家
長崎県南高来郡山田村(現・雲仙市吾妻町)に生まれる。
当時長崎市内にあった梅香崎女学校(現・梅光学院)在学中に、長崎美術展覧会(商工奨励館)に《桜》を出品し、郷土史家・林源吉らに画才を認められ、1906(明治39)年東京女子美術学校(現・女子美術大学)に入学。卒業後は、同校で教鞭をとりながら寺崎廣業の門に入り研鑽に努めた。

1913(大正2)年に《さすらい》が第7回文展に入選したのを機に、第8回展には《幼などち》《噂のぬし》が入選、前者は褒状を得た。その後も第9回展に《お鶴》、第11回展《身の幸・心の幸》(対幅)、第12回展《朝妻桜》(永見徳太郎旧蔵、現・中右コレクション)と入選を果たす。
1921(大正10)年の第3回帝展では《清姫物語》5点組が入選し、同作品は翌年に他の帝展入選作とともに「国民美術協会展日本部門」(グラン・パレ、パリ)にも出品された。
門下生約100人とともに「銀葉会」を設立し、また1920(大正9)年に東京の女性画家の団体「月耀会」創立に参加するなど、女性画家の地位確立に努め、これからの日本画壇を担うと期待されたが、1922(大正11)年に40歳で夭折した(病歿)。- 長崎美術館(部分参考)

栗原玉葉のアートワーク

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