ほのかに香るエキゾチズム -シャセリオーの絵画の魅惑
【月曜日は絵画の日】
私は、絵画に限らず、エキゾチックな芸術やエンタメが好きですが、それはつまり、自分にとって外の世界、未知の世界を見せてくれるからというのが大きいと思います。
フランスのロマン主義の画家シャセリオーは、そんなエキゾチズムを、大作でなく、様々な断片から感じさせてくれる、夭逝の素晴らしい画家です。
テオドール・シャセリオーは1819年、現在のドミニカ共和国生まれ。父親はフランス人で母親はクレオールの血を引いていました。
パリに移住すると、僅か11歳で当時のアカデミーの大家アングルに弟子入り。しかも、アングルから直々に「この子は絵画界のナポレオンになる」と言われたほどの早熟の天才でした。
1836年、17歳の時には、当時のフランス画壇で重要な位置を占めていたサロン展に出品。同時に、アングルのライバルだったドラクロワに傾倒し、神話や異国を扱うロマンチックな題材が増えます。
また、ゴーティエや、ネルヴァルといった、ロマン主義の文学者とも交流し、シェイクスピアやバイロンにも触れていました。
1840年には、イタリアに旅行、1846年にはアルジェリアに旅行も行き、オリエンタルでエキゾチックな題材も増え、より濃密になっていきます。周囲の評価も高く、1844年にはフランス会計監査院の壁画を制作しています(後に焼失)。
しかし、病魔に蝕まれ、1856年、弱冠37歳で亡くなっています。
シャセリオーの特徴は、柔らかい筆致から醸し出される、ほのかなエキゾチズムです。
最初の師アングルの、すっきりとした線で、すべすべの肌の美女が乱舞する、ひんやりとした質感とは違う。
といっても、ドラクロワの、荒々しい筆致と劇的な光と闇の構図による、沸き立つ情熱の発露でもない、不思議な感触です。
油彩はふわっとぼかしたような柔らかさと穏やかさを持ち、それでいてデッサン力と構図は堅実。
特にうまいのは人物のポージングで、手をいっぱいに頭上に伸ばしたポーズは、彼の絵のトレードマークとも言えます。
ぱっと人目を惹く非常に劇的な効果を持ち、バロック的な美しさもあります。そのセンスの良さは勿論のこと、デッサン力に自信があるが故の見事さです。
ただ、彼の作品で代表作を挙げるのは難しいところ。
油彩もデッサンも美しいのですが、どれも平均点以上の点であっても、ホームラン級の作品というと困ってしまいます。
もう少し長生きしていれば、偉大な作品が生まれたかもしれません。
しかし、例えば、32歳で亡くなったフランス・ロマン主義の画家ジェリコーは、『メデューズ号の筏』という、教科書に載るようなマスターピースを創ることができました。
そういう偉大な作品を創れるかは、あまり年齢や活動期間に関係ない、かなり運に左右されるものなのでしょう。
それで言うと、シャセリオーの代表作として挙げたいのは、肖像画です。
例えば、『カバリュス嬢の肖像』。当時パリで最も美しいと言われた女性を描いた、この肖像画。
情熱的な黒い瞳に、半開きの唇が、品のいい官能美を持っています。
白く輝くドレスの柔らかな質感に、花飾りとブーケが、ほんのりとエキゾチズムを添えて、見事な出来栄えです。
あるいは、『アレクシ・ド・トクヴィルの肖像』。描かれているのは、伯爵にして外務大臣も務めた政治家であり、『アメリカのデモクラシー』、『旧体制と大革命』といった、現在でも非常にアクチュアルでよく読まれる政治学の書物を残した、偉大な思想家です。
こちらも、自然体でありながら、情熱と知性を感じさせる美しい瞳と、落ち着いた表情を持っています。椅子に添えられた手のポーズも美しい。
人物を正確に描くだけでなく、そこに、本人が隠し持つ情熱が、過度に美化されることなく漂ってくるのが、素晴らしいのです。
シャセリオーが描いたアルジェの人々や、エキゾチックな神話画は、一見、ある種、典型的なオリエンタリズムのように見えます。
つまり、西洋から見たある種の「幻想」であり、そこに、西洋の文明に対比される「野蛮さ、無垢さ、無鉄砲な情熱」といったものが投影されていたというのは、思想家エドワード・サイードの『オリエンタリズム』を始めとして多くの指摘があるところです。
それについては否定しません。ただ、私が好きなのは、シャセリオーの作品においては、そうしたオリエンタルなものへの想像力が、一つの場所にとどまっていないことです。
先の肖像画で言うなら、カバリュス嬢もトクヴィルもフランス人です。しかし、どこかエキゾチックな情熱を秘めた、高潔な美しさを持っています。
それは、エキゾチズムに染まるだけでなく、自身の出自にもそうしたものを持ち、旅行を繰り返したシャセリオーだからこそ創れた、新たな美のように思えます。
アングルとドラクロワという異なる芸術を融合し、エキゾチズムをある意味相対化して取り込んだ、彼独自の「異国」です。
そして、シャセリオーのエキゾチズムは開かれたものでもありました。
道半ばで倒れたシャセリオーの道を引き継いだのは、何といっても、ギュスターヴ・モローでしょう。
親友であり、私淑もしていた天才の死に衝撃を受け、『若者と死』という絵画に「テオドール・シャセリオーの思い出に」と署名しています。
古代のあらゆる美術を溶け合わせ、もはやどの場所ともどの時代とも分からない、エキゾチックな異国を創りあげたモローの絵画は、シャセリオーの、その先を見せてくれるようです。
また、簡素で象徴的なシャヴァンヌや、タヒチを題材に独自の画風に辿り着いたゴーギャンも、シャセリオーを高く評価しています。
エキゾチズムとは、自分の世界を広げる夢想であり、試みであると思っています。
シャセリオーのエキゾチズムは芽生えた後、満開になる前に止まってしまいました。
でも、そのほのかに香る爽やかなエキゾチズムは、決して途絶えることなく、時を超えて様々な場所の人に伝わって花開き、現実にはない場所を創りあげていきました。
そんな美の一端を是非体験いただければ、と思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。
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