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流麗に美を映す -パルミジャニーノの絵画の魅力


 
【月曜日は絵画の日】
 
 
歴史の流れから外れた天才の作品の中にも忘れ難いものが沢山あります。
 
16世紀のイタリアの画家パルミジャニーノは、そんな何にも属しがたい個性が魅力の画家です。




パルミジャニーノは1503年、イタリアのパルマ生まれ。早くして父を亡くし、幼い頃から叔父の画家に育てられて、美術を学びます。
 

『凸面鏡の自画像』
ウィーン美術史美術館蔵


パルマと言えば、何と言ってもルネサンス後期の巨匠コレッジオ。優美な寺院の天井画や壁画、油彩画を学び、何よりもラファエロの影響を受けて、多くの模写を残しています。
 
1524年に傑作『凸面鏡の自画像』を含む作品を持って、ローマへ旅行。称賛を受けて仕事をするも、折悪く「ローマ略奪」と呼ばれる騒乱のため、ボローニャ、そしてパルマに戻ります。
 
いくつか油彩画を手掛けた後、1540年、熱病のため37歳の若さで死去しています。




彼の作品の特徴は、流麗なその形態でしょう。
 
パルミジャニーノの傑作として名高いのが『長い首の聖母』。ほっそりとした美しい首の女性が、赤子のイエスを抱いている絵画。
 

『長い首の聖母』
ウフィツィ美術館蔵


安定した三角形の構図におさまる聖母に、聖母の細長い指やかなり長い赤ん坊の胴体が見事にその三角形を補強しています。画面の左側にぎっしり詰まった6人の天使たちや、画面右端に小さく収まった聖ヒエロニムス(依頼者から入れるよう要請があったと言われます)の姿も、アンバランスで面白い。
 
何よりも聖母の美しい姿が印象付けられると同時に、流れるような筆致はどこか謎めいており、この天才の畢生の名作と言えるでしょう。




パルミジャニーノは、ルネサンス後、マニエリスムの画家と言われます。
 
マニエリスムとは、美術史において、15世紀のルネサンスの理想的で調和に満ちた絵画表現と違い、極端に捻じ曲がった身体や歪んだ遠近法、謎めいた象徴で画面を溢れさせる等の特徴を持ち、後々の「バロック」様式にも通じる、不自然で劇的な16世紀前半のスタイルを指します。
 
例えば、「世界一売れた美術書」で有名なゴンブリッチの『美術の物語』、あるいはこのマニエリスムそのものに焦点を当てた、グスタフ・ルネ・ホッケの『文学におけるマニエリスム』でも、基本的にこの見方は踏襲されています。パルミジャニーノは、ブロンツィーノやスペインのエル・グレコらと並ぶマニエリスム期の一人とされます。
 

エル・グレコ『聖三位一体』
プラド美術館蔵


勿論、それは正しい見方です。ただ、それはあくまで後世から振り返った時のものの見方であることは、注意しておいても良いかと思います。
 
以前も書いたことがありますが、歴史には生きながら「創られる」歴史と、後世から振り返る「発掘された」歴史があります。同様に芸術の流派で言うと、「実際にあった」流派と、「創られた」流派があります。
 
前者は例えば、ティツィアーノ一派のように、師匠と弟子がいて、ある種の継承が行われている場合。あるいは、新聞に載った揶揄の言葉を当人たちも使った「印象派」や、自分たちで作った「ラファエロ前派」のように、実際に流派の本人たちが名乗っていた場合。
 
後者は、「マニエリスム」や、ジャーナリストに付けられた「アメリカン・ニューシネマ」とかのような、ある種の「歴史の物語」に沿うような時代の区切りによる「流派」です。
 
例えば、この文章を書いている2025年は、後世から見れば、SNSの初期の時代とくくられるでしょう。でも、私のように、別にそんなことを意識しないで生きている人も沢山いる。
 
パルミジャニーノや、マニエリスム期の画家たちも、自分たちがマニエリスムと意識して活動していたわけではありません。ただ、自分の創りたいものに従うままに製作し、それが後世から見て、ルネサンスとは何か違うものとして(割と苦し紛れに)マニエリスムと名付けられたのだと思っています。


『聖ヒエロニムスの幻視』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵


ではパルミジャニーノはなぜ、このような絵画を創ったのか。それは単に、物を歪める線描が好きだったからではないでしょうか。
 
傑作『凸面鏡の自画像』のように、現実の線を歪めつつ、それ自体非常に見やすい美しさを持っている図象が好きで、そして作ることも誰よりもうまくできた。

 

『凸面鏡の自画像』(再掲)


そうすることで、他の画家にはない特色も付加できる。ローマに売り込みに行ったように、画家として仕事を得るには、他の誰も真似できない美を創造することが第一条件でしょう。
 
だからこそ、自分独自の画風として、一見どこか歪んでいるように見えて、全体としてみれば新鮮な美しさが味わえる像を、パルミジャニーノは追求したように思えるのです。
 
ミケランジェロを始めとして、ルネサンス期の巨匠たちの作品の方が、マニエリスム期の画家たちよりも、遥かに歪められた形態や、強烈なポーズを持っている例は、結構あります。更に「新古典主義」と言われる18世紀のアングルなど、マニエリスムの比ではない、驚くほど過激に引き延ばされた人体像を創っています。
 

ミケランジェロ『聖家族』
ウフィツィ美術館蔵


ただ、パルミジャニーノは、ルネサンスの巨匠たちよりも、遥かに遅く生まれました。長命を保って1564年に亡くなったミケランジェロを除けば、パルミジャニーノがローマに出た1524年にはダ・ヴィンチもラファエロも既に亡くなっています。
 
ルネサンスとは、何よりも15世紀のフィレンツェを中心とした新しい文化でした。メディチ家の庇護を受けていたそのフィレンツェが16世紀に没落していくに従って、ある種の文化的な活気も変わっていくことになる。
 
それゆえに、間違いなくルネサンスの枠組みにくくれない画家なのが、パルミジャニーノです。しかし同時に、ラファエロに多大な影響を受け、巨匠たちが持っていた調和への志向を決して捨てていないようにも思えます。
 
そうした背景を頭に入れておくと、「マニエリスム」に囚われない彼の作品の美も頭に入ってくるように思えるのです。


『アンテア』
カポポディモンテ美術館蔵





 
 
歴史というものは、多くは後から振り返った時に創られた「物語」と言えます。
 
後からいくら解釈しようとも、その後に何が起きるのかを分からないまま生きていたのがその時代の人々であり、それは私たちも例外ではない。人間は、自分の歴史的な役割を意識することなく(意識しても後世の人がそう評価してくれるかは分かりません)ただ、夢中に生きることしかできないのでしょう。
 
パルミジャニーノもまた、偉大な巨匠たちの遺産を吸収しながら、流麗な線と構図で独自の美を追求した画家です。
 
歴史を学ぶ楽しみとは、何かの物語に作品を当て嵌めるだけでなく、背景を知ることで、今までは見えてこなかった、感じてこなかった美を見つけ出すことでもあります。そうした自分独自に感じられる美を、何度でも発見していただければと思います。
 
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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