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輝く流水の音楽 -ベートーヴェン晩年の弦楽四重奏の魅力
【金曜日は音楽の日】
巨匠の晩年の作品には、全盛期の頃とは一見全く違うように見えて、どこかその味を残している場合があります。
ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲は、『運命』や『第九』とは全く違う静寂と透徹した響きがあり、同時にベートーヴェンらしさもどこかに残る、珠玉の作品群となっています。
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弦楽四重奏とは、二人のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのアンサンブルによる室内楽曲。ハイドンがこのジャンル曲を大量に作曲しています。
ベートーヴェンは16曲の弦楽四重奏曲を残していますが、11番までは中期以前に作曲したもの。それから10年以上経った1825年、55歳の時に12番を作曲しています。ちなみに、あの『第九』の初演が前年の1824年5月です。
作曲された順番としては、12番、15番、13番、14番、16番と進み(順番が前後しているのは、出版順に番号が付けられたからです)、16番が完成したのが1826年の10月。
それから二か月後にベートーヴェンは肺炎を患って、以前からの病気もあって衰え、1827年3月、肝硬変により56歳で亡くなります。
12番から16番までの弦楽四重奏曲は、『第九』のその先の、まさに最晩年のベートーヴェンの全てが詰まった作品と言って良いでしょう。
13番は6楽章、15番は5楽章形式ですが、基本的には従来の4楽章形式の弦楽四重奏曲形式を崩すことのない作品群です。しかし、そこには派手さやこれ見よがしな効果は全くありません。
例えば最初に分かりやすいメインのメロディが出てきたりはしない。どこか幽玄な空気の立ち込める山水画のようにモノクロームの音の連なりから始まる。
そこから、どんどん複雑に絡まり、時折激情に燃えるかのような鋭利なアンサンブルに高まっていく。しかしそんな高まりはすぐ消え、穏やかな光に満ちた雰囲気になるも、すぐにそれも曇って変化していく。
一瞬として弛緩することはなく、それでいて張りつめた空気は身を締め付ける緊張感があるわけではなく、どこか安らぎすら感じさせる、複雑な印象。
水が流れるように変奏と対位法が組み合わさって、伽藍のような音響が立ち上がり、ステンドグラスを通した光のように変化しては、フィナーレへと消えていきます。
ハイドンの弦楽四重奏曲は、演奏する人が楽しめるような部分がありました。しかし、ベートーヴェンの場合は、音楽ありきでこれを創ったことが感じられます。
13番の初演では、最終楽章の通称「大フーガ」があまりにも長大で演奏も難しくて不評だったため、急遽最終楽章を書き直して、「大フーガ」だけは別作品として出版されています。こうしたところからも、ベートーヴェンが作品に込めた熱量を伺えます。
どうして晩年のベートーヴェンは弦楽四重奏曲をこんなに大量に創ったのか。まず端的に言えば、注文があったからです。
1822年にロシアのガリツィン公から2,3曲の弦楽四重奏曲を書くよう依頼があり、『第九』の仕上げ等あったため1825年以降に完成させ、12番、15番、13番は公爵に納品されました。しかし、14番と16番は、全く関係なくその後に作曲されています。
おそらくは久々に完成させた弦楽四重奏曲という形式に、ベートーヴェン本人もかなりの手応えを覚えたのでしょう。
そして、そういう自由な方向性の作曲が出来たのは、ベートーヴェンが注文に囚われない活動をできていたからでもありました。
バッハやモーツァルト時代の作曲家のようにパトロンや宮廷に作品を献呈して報酬を貰うだけでなく、ベートーヴェンは楽譜を出版社に送って売ることで生活できるため、作曲家主体で、創りたい音楽を割と自由に創れました(勿論バッハ時代から楽譜の出版業はありましたが、ベートーヴェンの新作の出版を楽しみに待つ一般市民のファン層が形成されていたのが重要でした)。
そんな状態だからこそ、外部からの注文による制約が、かえって自分を縛って新しい霊感を呼び込む契機となります。
注文の前にも弦楽四重奏曲のスケッチを始めていたことが明らかになっており、おそらくは大作『第九』と並行して、この形式にも再び関心が向き始めた時期だったのでしょう。そうした時に偶然注文があり、この美しい作品群へと結晶したということかもしれません。
では、一体なぜ弦楽四重奏曲というジャンルにそれほどはまったのか。それは、このジャンルが、オーケストラともピアノ曲とも違う特性を持っているからではないでしょうか。それはいってみれば、「モノトーンの対話」というものです。
全て弦楽器で、音の高低はあるものの、トーンはほぼ同じ。そして、4奏者ということで、オーケストラのような複雑な色彩は望めず、それでいて、ピアノソナタのような孤独な独白とも違う、モノトーンだけど豊かに膨らむ対話のようなものを描ける。
4つのメロディが互いに響いて絡まり合うような、対話と合奏、反発と融合を繰り返して変化していく有機体のような音楽。
晩年のベートーヴェンの作品は、ほぼ耳が聞こえない状態で書かれた作品でした。そんな状態で彼が夢見た音楽の中に、変化と対話を求めるこうした音楽が大きな割合を占めていたというのは、非常に頷けることのように思えるのです。
この晩年の弦楽四重奏曲の演奏では、多くの室内合奏団がチャレンジしていますが、私がよく聞いているのは、アルバン・ベルク四重奏団による1980年代のEMI盤です。
ふくよかな響きでありつつ、それでいて程よく枯れていて鋭い響きもある。そのバランスが絶妙で、過度の哀愁なしにざくざく進む様が、この作品の美しさを自然に表しています。
16番の第4楽章には「苦しんでつけられた決心」という副題があり、ある旋律の主題に「そうでなければならないか?」とあり、別の主題に「そうでなければならない!」という謎の言葉が書き込まれています。
家政婦との会話とも、昔金を払わなかった注文者とのやりとりとも言われていますが、それは、ベートーヴェンが最後に辿り着いた境地とも言えるかもしれません。
私たちはこのように生きるのか? そうでなければならない! という、『歓喜の歌』よりももっと簡潔で、詩的な愛の言葉もないけど、全てを肯定する言葉。
そんな言葉と共にある巨匠の最後の至高の作品を、是非堪能いただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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